08/01/28 06:11:33 5OAiJM+S
>>631
梟さんの生きている姿はとても真剣で、とても良いものだと思うお。
人に何かを伝えようという姿勢も真摯で素晴らしいのだ。
ここはROM専の人が多いようで、その人たちに、思いがきっと届いていると思う。
俺は、そう願って書き込みをしているお。
今まで食してきた命。そう考えるのは良いね。
犠牲の上に生きているわけだからね。ホントそうだお。
殺すのと食べるのがワンセットだった時代と今とでは、
食物に対するイメージも有り難味も全然違うものになっているよね。
捕鯨の問題は、主観と主観のぶつかり合いだから、悪とも善とも言いがたいよね。
そんなことを言うのだったら、いっそ「肉禁止!」の方がよっぽど説得力があると思う。
観賞してみたり、ペットにしてみたり、食料にしてみたり、実験台にしてみたり、ただ殺してみたり…
人間は、本当に自由にやっているよね。
倫理観というのは、とても難しく、俺も菜食主義を実行したりして、この世界に逆らってみたりしているのだけれど、
結局、殺生の呪縛から逃れる事が出来ず悩んでいるのだ。
今は、植物の痛覚について調べたりして、何とか罪悪感から逃れようとしているのだけれど、
「痛くないなら殺し、食すのか」という、新たな問題に直面している。
人間は「腹ペコ病」という不治の病にかかっていると誰かが言った。俺はそれに同意するのだ。
この世界の苦しみから逃れる方法は、この世が苦しみの塊であることを理解し、諦めることにあると仏陀は言ったそうな。
諦められたら楽になれるというのは、ある意味真理かもしれないね。
人間に許された楽は、諦めにあるのかもしれない。その境地の状態を、確か解脱というのだ。
全てを諦められた状態は、欲を全て満たされた状態と酷似しているのだ。
それどころか、失うものがないので、欲を満たされた状態よりもお得。欲しくて手に入るより、欲しくないほうが楽なのだ。
しかし、生きることを諦め、自殺に辿り着くのは、死を諦められない事として矛盾してしまう。
執着地獄から逃れ、生きることが楽なのだと、今は心に留め、日々楽しく学んでいるお。
そう考えると、梟さんのこの世界への憎しみが少し減るのではないかな。
この馬鹿みたいな世界を、一歩引いた目線で見れて、逆にこの世界が愛おしく思えてくるかもしれないお。
しかし、生徒に「夢を諦めろ」とか「執着を捨てよ」とか言ったら、PTAのモンスターペアレントにたこ殴りにされるかもね。
俺はその辺で悩んでいるところ(笑)
どうしても何かを欲しい人が、それを手に入れようと切磋琢磨する姿って素晴らしいもんね。
まぁ、この仏陀の「一切皆苦」という教えは、夢や何もかもを、「人生の良いエッセンス」程度に考える方法として、
「最後の切り札」的な使い方をすれば良いのかもしれんね。