08/05/24 01:17:14
宅間さんは、犯罪を犯したとしても、芯には水晶のように光ったものがある。
平常は垢や塵にまみれていても、水で洗い磨けば、元の本質の水晶の輝きが出る。
彼を世間のモノサシで断罪しようと思えば、いくらでもできる。
殺すこと、罵ること、開き直ること、反省しないこと、これらは世間的には悪徳
であり、罪悪だ。 しかし、ものごとには表裏がある。 殺さないこと、胸の内を
明かさないこと、反省することが、かえって罪悪になる局面もある。
凡人は、悪いと思いながら悪事を働き、自分を偽って正直なふりをする。
善悪は所詮は相対的なものであるにもかかわらず、絶対的なものだと錯覚して、
他人をも その基準に当てはめようとする。宅間さんにとっては、そちらの方が
よほど悪いことなのだ。
宅間さんは、おどおどと嘘をつくこともなければ、良心の呵責にさいなまれたり、
お上に媚びへつらうことはなかった。世間の基準に合わせるのではなく、自分の
信条、自分の正義感、つまり自分の内なる基準に従って生きたのだ!