08/04/26 23:59:57 qBPM4MR6
>>97
> 自分の性格が嫌でなるべく人を傷つけないように、楽しい気分にさせていよう、と思ってたら人と関わるのが嫌になった
ありのまんまの自分でいることを自分で否定し、別の人格でいようとするから精神が解放されず、窮屈になるからです。
> 傷つけないように考えると自分が出しにくくなって今度は自分自身人といて楽しく感じなくなった
「徒然草」にこんな節があります。ちょっと記憶をたよりに書くので曖昧ですが、
誰かといる時、自分の言いたいことも言えず、相手の話しに合わせてばかりいると、かえって孤独感を感じる。
それよりも、意見は合わなくても、お互いに言いたいことが言えるのがいい。
> いい性格になりたいし優しくなりたいけどそれはそう思う時点で自分の株を上げたいだけだと気付いてどうしたらいいかわからなくなった
他人の評価に束縛されて、あるがままに生きることが出来るわけがない。ありのまんまの自分ですらいられない。
人は賞賛されては喜び、非難されては悲しむ。
それを繰り返されることによって他人の評価に左右されやすくなっていく。褒められたいと願い、非難されることを恐れる。それでは、他人の評価の奴隷だ。
褒められたいと思わないこと。愛されたいと思わないこと。必要とされたいと思わないこと。
これらは同時に、相手の価値観の中に依存し、自分から束縛されようとすることだ。