08/04/07 06:29:23 BlCdDU7w
我々が産まれ、生きる目的は「学び、気付き、成長すること」である。
物質世界を生き、限界や相対といったあらゆる制限を体験するのは、「無限である愛」を学ぶため、そして「自分自身が誰かを思い出すため」である。
我々が産まれ出るとき、ワザと「誰であるかを忘れる」
それは「学ぶ上に於いて、そのほうが様々な体験ができるからである」
では何を学ぶか?
「見えるものを学ぶ」だけである。
そもそも「見える」ということは、「自分自身の投影を見ているに過ぎない」
どんなに素晴らしきこと、悲しむべきことも全て「自分自身を表す鏡である」
個々に見え方が違い、見えるもの見えないものがあるのはそのためであり、我々が「異なっているように見える人生を送るのはそのためである」