08/05/09 01:35:59 kQD6/riz0
>つまり、吃音とは吃る自己から必死に抜け出ようとする不断の葛藤、分裂としてとらえられるのではないかな。
>吃音者は吃るまい、吃るまいとすることがまさに「吃ること」そのものであると自覚しているのにもかかわらず、
>その葛藤を止められない、否、止めることができない。
>それが吃音の苦しみだと俺は感じた。
その葛藤が吃音の苦しみなのは否定できないが、俺の場合はそれよりも
実害からくる苦しみの方がはるかに大きい。
(意志疎通、電話、誤解、蔑視など)
逆に、もし吃音が一般的に理解されていて実害さえ起きなければ
自分ひとりの問題で済む葛藤は些細なことと言える。
それが無理だから苦しんでいるんだが・・・。