08/08/24 22:24:00 QDpgAZMc
>>233
>あなたは親にその気があれば子供への責任を果たせる、全うな道を
>歩ませる事ができるという主張と、
>親が無くとも、あるいは劣悪な環境を子に与える親でも子供は全うに
>育っていくとも言っている。
これと
>親の子供に対する世話が子供に伝わるかどうかの保証は無いですが、
>それでも愛を注ぐのが親の役目なのでしょう
これは意味が異なると思いますよ。
前者は矛盾しているけど、後者は理解できる。
・親は子供を作った責任を可能な限り負うべきではないか
・親がどんなに頑張った所で、子供を一概に幸せにはできない
この二つは矛盾は無いんです。
親の責務は「幸せにしてやる事」ではなく「幸せになる努力を惜しまない事」
だと私は思うので(実際実行可能なのは後者だと思うし)。
逆に自分に絶対的自信を持って子供を幸せに出来るだろうと
タカを括っているというのには賛同はできないし、もしそうならなかったら
どうなるの?と思う。
ギャンブルという言葉に未だに固執してますか?
言い方を変えるなら、子供の不確定な将来に期待する事、だと思います。
努力を惜しまない事と、実際そうできる事は隔たりがあるから
ある種親は無責任であると思います。
親の責任はあっても、その全てを果たせるかと言われれば
そんな完璧な人間などどれ程いるのでしょう。
また、親が完璧にしたつもりでも、子供にそれが反映されない事もある。
だからこそ不確定だと言わざるを得ない。