08/07/11 17:17:37 xeTtT/kk
>>234
>自分でもしばらく考えて見ます。
というのを見て>>206 >>209 >>214に再度。
>産むことには親の意思が介在するのは免れないのに
>なんでそこを自然に委ねるんだ。
に、対してマリアの例を>>207 >>211に書きました。
「聖母の出産」という絵がある。是非みてほしい。
URLリンク(follia.at.webry.info)
>キリストの神性、マリアの聖性を信仰の柱とした教会が無意識に忌避したもの、そのひ
>とつに聖母マリアの出産という事実があったのではないでしょうか。そしてそれがゆ
>えにフランチェスカは、生身の聖母を、人間の営みを生きた生身の女の悲しみを描きた
>いという衝動に駆られたのかもしれません。
>そしてその結果、描かれたものは、崇高なまでの母性でした。
尋常じゃない生まれ方をしてきたイエスの場合じゃなくても、
親というものは子供の行く末を心配するもの。
「人間の営みを生きた(=自然に委ねた)生身の女→悲しみを抱く」
これは、デフォ、人間の性なんですね。
自分の人生についてどう思っていようが、ひとたび妊娠したら、
天使におされてだか何だか、自然の勢いで産むんです。
が、同時に子供の将来について不安して涙するんです。
実態はこうだ、ということで。何かのヒントになれば。
>>250
人間のエゴで制御可能な領域ってのは、思ったよりも狭いですよ、と。
>>252
それもループ。