08/06/30 12:10:41 5hMhrhSE
かつての巨人監督だった故・藤田元司は、
「このごろの小学校は、授業中の態度というのが評価のひとつに数えられているらしい。そうなると、どうしても活発に発言する子どものほうが評価されがちである。
だから、おとなしい子どもの親は、歯がゆい思いを抑えることができず、わが子を叱咤激励してしまう。
そうなると、子どもは自分のおとなしさという長所を短所にしか考えられなくなってしまうのではないだろうか」と述べ、 「野球の選手にもいろいろな性格の選手がいる」
とした上で、監督に出戻りした平成元年、当時は気が弱くて使い物にならないと言われていた投手の斎藤雅樹に対し、
「“お前は気が弱いのではない。慎重なだけなのだ。ピッチャーはみんなそんなものだと”と言ってやったのである。つまり、短所を長所として言い換えたのである」
と施し、平成の大投手に育てた旨を本で書いている。
※藤田元司『情のリーダー論』ネコパブリック(01年5月)
陰で万引き(窃盗)やカツアゲ(恐喝)、イジメ(脅迫、暴行)をしても、授業中発言するような子は、皆授業態度が「いい子」→すべてが「いい子」
逆に恐喝、脅迫、暴行をされているような生徒は、萎縮して授業中(グループ学習も含め)発言など目立つ言動や行動がとれないと、皆授業態度が「悪い子」→すべてが「悪い子」
金八先生みたいに「国語を教える」ではなく、「国語を使って人を育てる」のが学校教師なんだが、なんか、教師の役目や生徒の潜在能力の引き出し方を、授業態度と称した「発表」や「発言」にウエートを置くなんて間違ってないか?
相対評価(中学)は、裏金(収賄)と成績改ざん(公文書偽造)の巣窟。
有力者・金満家・PTA・教師などの子はテストの素点の割に通知箋の評定がなぜか高めにつきやすく、
逆におとなしい子や貧乏家庭・片親などの子はテストの素点の割に通知箋の評定がなぜか低めにつきやすい。
また、そういうつけ方をする教師のほとんどは、自分の噂や評判を気にしやすい中年・団塊。
聖職者が「裏金」「文書偽造」などバチ当たりなことするな。
圧力に屈する教師は、生徒を見る目がないから、おとなしいイジメられるような生徒の才能や学力を全然引き出せない。
定期テストの問題(一部分でも)を前持って、陰で生徒宅(裏金)にファクスで流したりするな。