08/01/04 16:11:26 bi6zZJu3
『」<いじめ学>の時代』 P.211~
共同体の力が強い社会にあっては、
私たち個人がどのような価値観を持っているかよりも、
まずは共同体のみんなに同調することを強いられます。
その中の「つながり」や「まじわり」から離反するのは、
よほど大きな犠牲を払わない限り許されることではありません。
学校でのいじめは、そのことが何より典型的な形で噴出したものだと言えます。
……共同体の付和雷同が凄まじい理不尽さで個人の尊厳を飲み込んでしまった例は、
枚挙に暇がありません。
国家による圧制が怖いのは言うまでもないことですが、
しかし中間集団に働くファシズムがある意味で国家全体主義以上に怖い点は、
地域に住む我々自身が、
それを命じられることなく勝手に代行してしまうところにあります。
「郷土愛」を叫ぶ人は、それがいかに危険なものなのか分からないままに、
「必要だ。再生だ」と叫んでいるのではないでしょうか?
結局のところ、右翼も左翼も、共同体に価値を置いている時点で同じ穴のムジナです。
右とか左といった旧来の対立軸を放棄して、
普遍的なリベラリズムの論理に基づいた社会を、一刻も早く構築しなくてはいけません。