07/12/28 21:49:22 /j5VjL9J
人権教育はまずは法教育だね。その根に憲法があり、さらに法治主義や
主権在民と。だが、多数派が是とすれば何でもアリなのか?
(ナチスドイツは民主的に成立したし、戦前日本も一定の民主主義は
機能していた)という問いが出てきたときに、そんなもんの存在を
疑いつつも、民主主義より上のナニカがないだろうか? ってことになる。
けれど、まあ、うまい答えはないわけだ。だから、崇高なほうの
道徳教育は難しい。修身の看板の掛け替えなわけだが、修身の時代と
違って構造主義が出てきてしまったし、ポスト構造主義が何かは
いまだ判らないしで。
身近な道徳教育はまあマナーやプロトコル。ねぶり箸はするなとか、
国家国旗には(どこの国のものであっても。戦争している相手国のもので
あっても。自国のそれらが気に入ろうが気に入るまいが関係なく)
敬意を払え、とか。
が、「なぜ?」と問われると、ムラの論理しか答えがない。つまりは
「そういうことになっているから」「みんながそれを快だとするから」
崇高なほうの道徳教育の根拠が崩れた以上、こっちも、問いつめられると
答えられない。
せいぜい、
「大人になって自分で責任が取れるようになったらお好きに。だが、無知
ゆえに奇矯な振る舞いをするのは単なる馬鹿だ。だから、どう振る舞う
べきか知りなさい。大人になるまでは、自分の考えと異なっても
そう振る舞いなさい」(内心の自由は確保される)というぐらいしか
ないと思う。
法も、結局は一回り大きなムラの論理でしかないんだから・・・