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★運動会は日帝残滓、村祭り、マスゲームだ。韓国世界日報
運動会は万国旗飜る広やかな運動場へ来た家族が意気揚揚として登校して一日中走って食べて応援し
た、学校を媒介にした一種の村祭りだ。学生たちは一月以上マスゲーム、騎馬戦、棍棒体操、競走演
習をして運動会当日の準備をして、雨でも降ったらどうしようと戦々恐々とした記憶が新しい。今も9、
10月なら全国大部分の小・中等学校、幼稚園では運動会が開かれる。
しかし、運動会が戦争遊びを通して「日帝の元気な臣民を作るための装置」という主張が申し立てら
れてショックとともに虚脱感を抱かざるをえない。運動会が日帝残滓という主張は韓国人ではなく、
日本学者たちによって書かれた。最近、ノンヒョン出版社が翻訳出版している「日本近代スペクト
ル」シリーズの一冊である「運動会-近代の身体」によれば運動会はすなわち「身体の規格化を通じて
近代民族国家が要求する国民を作り出す祭りの場にしよう教育の道具」だった。
それが戦争遂行のための勇ましい戦士でも、大量生産のための丈夫な労働者でも、それとも近代イデ
オロギーを再生産する少数のエリート知識人でも‘元気な身体’が要求されたというのだ。日本の近
代化を推進した明治政権が1874年に取り入れた運動会(当時は‘競闘遊戯会’と呼ばれた)と言う初め
はもちろん近代イデオロギーで武装された‘元気な精神’と近代規格に裁断された‘元気な身体’を
力強い国家の礎石にすることに目的があった。
外国人教師の指導で始まった運動会種目も競走、走り高跳び、三段跳び、なわとびなど個人の技量を
競うものが主だった。しかし、清日戦争と露日戦争を経て運動会は旗を奪う、網引き、網抜け、器械
体操と行進はもちろん甚だしくは銃剣術示範まで導入するなど変質し始めた。行事場所の飾りには天
幕と日の丸・万国旗が必需品だったし、開幕式には天皇の勅語奉読と国歌である君が代吹奏合唱を荘
厳な儀式で行うなど国家行事としての色彩が濃くなった。閉会式の時は万歳三唱を怠らなかった。
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