07/10/18 23:58:31 WhFuG1sM
・他人のことばかり気になる人は、本当の意味で優しくなれない。
神経症的人間は、他人はこうあって欲しいという願いに負けて、現実に他人はこうであると思いこみがちである。
神のように理想的な人間などこの世にいないはずなのに、神経症的人間は、あの人はこうであると決め混みがちである。
「こう」ということの内容は情緒的に未成熟な自分にとってきわめて都合のよいことである。
たとえば、自分の弱さやわがままを受け入れてくれる寛大な人であり、
常に自分に同情的で自分のことを好意的に解釈してくれる人であり、
常に自分には甘えてきたりわがままを言わない人である。
まず始めに人間は親に対して「こうあってほしい」という願いを持つ。
自分の母親はやさしい人であると思いたい。
ナンシーは不安神経症である。たえず崖のふちを歩いているように思い込んでいる人である。
落ちないように石から石へ、非常に注意不覚歩く人である。
ナンシーは他の人達が自分をどう思っているのかという事に関連した不安をもっている。
私がここで大切だと思うのは、そのような不安をもつナンシーが
他人へのはっきりした感情的反応に欠けているという点である。
不安な人間は感情的に萎縮している。他の人が自分をどう思っているか不安な人は、
他人への感情的反応に欠けている人なのである。
ある人が「わーできた」と何かの達成を喜べば、
「どれどれ、わー素晴らしいよ。よくやったわね!」となる。
ところが不安な人というのはこのような感情的な反応を示さない。