07/11/04 12:06:14 7fABV9Q6
社会というシステムを支える土台は自殺を許容する社会でも崩れないと思う。
むしろ、自殺できる知的動物で、苦痛を避けたり、問題を解決することで
ここまで文明発達してきたのだから、辛くて生きたくない人で、自殺する事で
他者に損害を与えない程度に、身辺生理をするならば、むしろ自殺は許されなければならない
行為でしょう。
社会の底という辺を作ったのは政治的責任であって、個人の責任じゃない。
金がなければ生きられないというルールが結局は自殺を産んでるのだから。
自殺を許容する道徳を教育して初めて人間として道理が通ると言うもの。
だいいち、産まれてくる時、生きたいか生きたくないか選択できずにこの世に
排出されてしまっているのだから、成人以後は生きたくない人が苦しい思いをして
死ななくちゃいけないというのは、全然道徳的ではない。
道理を逸脱して、非合理的に自殺はいけないとする人間社会に「信用」などおける
わけがない。死んで欲しくはないけれど、死ぬほどの苦しみを訴えた時、
救済方法がない場合、本人の意思を尊重して人間らしく安楽に死ねる社会なら信用できるけれど
放置する今の社会システムの方が道徳的だとは到底言えない。
システムがあろうがなかろうが、いつでも自殺しようとすれば出来るだけに
それが困ると言うなら尚更、自殺申告制度でも作って、管理された自殺を受け入れる
社会の方が理想的だと思う。