07/11/07 21:29:05 EHoxVPMG
鈴木知準に「強迫観念」に成る程指導された「間髪入れない動き」を職場でも家でも自分自身に言い聞かせながら、動く生活をしていましたが、今から思うにそれをやると簡単な事さえ益々出来なくなってしまったようです。
家での雑用がまったく出来ないと言うのは正常ではなく、それも治したいと思っていました。そこで鈴木知準に「間髪入れない動き」と言う標語を自分自身に言い聞かせながらやる動きを続けても良いものか相談した所、
「多くの神経症者はその過ちをする。(「あるがまま、あるがまま」や「恐怖突入」という言葉を念じながら動こうとするなど)本当はそれをやってはいけないのだが、君がそれで動き易くなると言うのなら、仕方が無いが動きの方が大事なので続けても良い」との返事でした。
そこが大きな失敗でした。
ある標語、金言を自分自身に言い聞かせながら動くと言うのは「強迫行為」に他ならず、強迫行為をやらせながら、別の強迫行為が治るという道理はありません。
森田は、患者の強迫観念を別の強迫観念にすり替えよう、覆いかぶそうとして来た面があるように思います。
この一休さんとやらは「あるがまま」の本当の意味が分かってないで鈴木知準先生の批判をしているが「あるがまま」を念じながらやってはいけないのだがと、まで言われているのに、
念じながら「あるがまま」をやっている、只「あるがまま」であれ。只目の前のやるべきこと
を、治すためと思ってやっている。治すためではなくて、只やることが、正解です。神経症の症状の機嫌を取っていてはダメ無視して、やるべき事をやる。それが本当の「あるがまま」
入院を2回もして、3ヶ月+6ヶ月もして先生の言っている事を理解していないと言う事は。
理解力がないのか、理解する気がないのか、理論では神経症は治らない。体験しないと神経症は治らない。
一休さんの「あるがまま」は只の理論を振り回しているだけ。理屈抜きの「あるがまま」が全然分かっていない。
鈴木先生の批判よりも、言われた事の本当の意味を汲み取って下さい。