07/03/03 16:32:32 5uf2gdcM
はじめにASを疑ったとき、自分としてはかなりの確率でそうだと思った。
でも『ASは子供時代で判断するから成人している人でも親の意見が重要』
みたいに書いてあって母親に聞いてみたら「アナタは違うわよ」って言われた。
で、とりあえず違うのかと思って数年を過ごしていたんだけど、
やっぱり自分はASのような気がして最近病院に通い始めたんだけど、その時医者に言われた。
「お母様から見てあなたは『普通』の子供だったとのことですが、
エピソードを拝見するとお母様自体が、何らかの発達障害かもしれない可能性もあるので、
その『普通』も、いわゆる『普通』とは少し意味が違うのかも知れません。」と。
ちなみに通知表などの子供時代のものは全て捨ててしまっていたので、
自分が持って言ったのは、どうしてASを疑うようになったのかまとめた文章と生育歴。
生育歴には母親に聞いた子供時代のエピソードと自分の覚えているエピソードを書いた。
0才から6才までしかまとめることが出来なかったんだけど、生育歴はそれで十分だと言われたよ。
(伝えていない、小学生になってから最近までの方がそれっぽいエピソードが満載なんだけどさ…)
で、何が言いたいのかというと、自分がおかしいと思いながらも克服した(何とか生きてきた)
親の方が自分の子供がおかしいと認めたがらないような気がするんだよね。
そういう親って、子供のおかしい部分を認めちゃうと、自分を支えている何かが崩れちゃうんだよ。
家の親も、私がASかもしれない可能性をまだ認めていない。
だから、私の変なところを聞こうとしても話してくれそうもなかった。
それで、親に私の子供時代の思い出話をしてもらったんだ。そしてそれをまとめてもっていった。
そしたら、医者に上に書いた言葉を言われた。
今は脳派検査、知能検査、SPECT検査を待っている段階で、診断はまだまだ先の話だけど、
親を連れて行くのが不可能な人でも、子供時代の思い出話くらいは聞ける可能性があるから
とりあえず、書いてみた。長文で申し訳ない。