06/07/08 15:06:13 u2JBzF1x
他者を通して見た=他人に写る自分 と、 こうであるはずの自分=自身が観測してるはずの自分 がなじめない。
自分で自分のキャラが分からない。他人を通してでしか自分を見ることが出来ない。
だから他人を通して見た自分の姿と、別の他人に見せる自分の間のギャップに怯えたりする。
他人を通して見た自分の姿に傷つかないように人の良いキャラを演じつつ他人との深い接触を拒否した。
と同時に誰かに自分を知って欲しくて仕方がなかった。
「どの自分が本物?」
鏡張りの部屋で映し出された自分に問うようなもの。どれも自分であるがどれも自分でない。
目に入るたびに像全てに無意識に格好つけてしまう。疲れる。気付くと馬鹿馬鹿しくなる。
で、辞めると今度は欠点ばかり目に付く。嫌になる。
嫌な自分は誰にも見せたくなく何も出来なくなり引きこもった。
自分に自信なんて持てない。居ても居なくてもいい存在だと思った。
ただ人に迷惑はかけたくなかった。そんな勇気もなかった。だから生きた。
いま思えば単に子供だったんだろう。
「本当の自分」なんて空想の産物だ。
いま他人に見せてる、あるいは自分で把握してる自分は全て自分だ。
誰かに観測されて初めて自分が成り立つんだ。
100人の他人がいれば、101通りの自分が居る。それは全部自分なんだ。
それが普通なんだと今は思ってる。
以上、チラシの裏。スレ汚しスマソ。