07/11/12 04:43:42 dbZzzaE/
>>198
日蓮大聖人が、釈迦如来の使いという意図であったなら
御本尊の日蓮大聖人の名号は釈迦仏より小さくなっているはずだと思われる。
父、子等らの苦悩することかくのごとくなるを見て、
もろもろの経方に依って好き薬草の
色・香・美味みなことごとく具足せるを求めて、
擣し和合して子に与えて服せしむ。「如来寿量品 第十六」
日蓮大聖人の御生涯を通して広く拝すると、
釈尊が説いた法華経寿量品の良医の振る舞いをしたのが
日蓮大聖人である、と拝することが妥当だといえる。
「経方に依って薬を作る」と、南無妙法蓮華経の大良薬を
経に依って作るとあっても、この良医が釈尊の使い
という立場では法華経には説かれていない。
むしろ、
我れもまたかくのごとし。「如来寿量品 第十六」
と、日蓮大聖人の振る舞いに準じる形で
釈尊は我も衆生を救うと説かれている。
よって日蓮大聖人が本仏であるという論が成り立つ。