07/11/11 23:50:44 E81ZjkYA
種種御振舞御書
日蓮は幼若の者なれども法華経を弘むれば釈迦仏の御使ぞかし
(中略)
此れはそれにはにるべくもなし教主釈尊の御使なれば
天照太神正八幡宮も頭をかたぶけ手を合せて地に伏し給うべき事なり、
法華経の行者をば梵釈左右に侍り日月前後を照し給ふ、
かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし、
何に況や数百人ににくませ二度まで流しぬ、
此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと
日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれどもはうに
過ぐれば罰あたりぬるなり、
前後の文を読めば
日蓮は釈迦の御使いである。
(釈迦が本懐とした)法華経の行者を神々は護る。
(釈迦の使いであり、法華経の行者であるところの)日蓮を用いたとしても
(教主釈尊と法華経を)を間違って敬ったら国が滅びる。
とも読める。
少なくとも日蓮さんは自身を釈迦の本懐である法華経を伝えるための使者であり、
自身が梵天に守られるのもそのためであると解釈する方が妥当ではないかと。
こちらの解釈に立てば、日蓮本仏論の方がおかしいって事になる。