07/09/30 09:36:43 7MV3zXrh
上記の続き
そして本能幸福というネーミングの由来は、私もまだ漠然としか
イメージできてないのですが、自己実現という言葉だけでは包括
仕切れていない部分があると思うからこのようにしました。自己実現という言葉には、
何か自分を向上させたいという意味を含んでいるような印象を受けます。
(私の理解がまちがっているのかもしれませんが)
しかし、人間は自分の向上のためだけに行動を起こすと言う訳ではないと思うのです。
確かに自己実現のための行動が前向きであり素晴らしいものだとも思うのですが、
人間は必ず自己実現をすべき存在なのかというとそういいきることもできないの
です。ただエクジストトゥルース教の範囲で言い切ることができるのは、人間は
幸福のための存在であるとの主張のみなのです。向上のため以外の行動でも
幸福を得られるのなら、それは素晴らしいこととしたいのです。
また、目標が実現した時は確かに幸福感を得ますが、結果だけではなく
行動を起こしていること自体、または行動を起こしている過程で、まだ結果
はわからず失敗のリスクもあるような状態に身をおいているだけでも、
ある種の幸福感があるのかもしれません。このような本能的に感じて
いるのではないかと思われるような幸福感をも包括したいと思いまして、
本能幸福という言葉を選びました。
なぜかといいますと以前にもあげた例なのですが、北欧のような
福祉が整っていて、人生の先が見えた安定しているような状態でも
希望は失われ安く、自殺率も高くなるという話を聞いたことがあるからです。
安全な状態なのに自殺するというのは一体どこから来るのか?と考えま
したら、それは本能がもたらすいたずらなのではないかと思います。
理性を強化することでその本能と戦うというアプローチといかにして本能と
うまく付き合うかの両方で対処していきたいというイメージを持っております。