07/10/04 00:31:30 71OWvb8y
>>452
唯受一人の血脈が絶対的に必要というのは、どこにも金言が無いと思いますが
総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、
水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、
生死一大事の血脈とは云ふなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。『生死一大事血脈抄』
と、自他彼此の心なく、どこどこの団体、どこどこの組織の人という区別無く、
南無妙法蓮華経と唱えるところに、血脈が流れると日蓮大聖尊は仰せられています。
一、時の貫首(かんず)たりと雖(いえど)も仏法に
相違して己義を構へば之を用ふべからざる事。『日興遺戒置文』
また、日蓮大聖尊から直に血脈を受け継いだ日興上人が
後世の貫首のいうことが仏法に違背していたら
たとえ貫首とはいえ、これは用いてはいけないといわれてます。