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アメリカのミシガン大学、ジェロ-ム・O・ヌリアグ教授によると、古代ロ-マ帝国が崩壊・滅亡してしまった原因の一つは、帝国の人々が愛してやまなかったワインだというのだ。
古代ロ-マ帝国ではワインの消費量が1人1日3~5リットルにも及んでいた。
特に上流階級の間では、ワインを甘くして飲むことが流行していており、シロップや葡萄液などの添加物が加えられていた。
このシロップや葡萄液を煮詰めて作る際、鉛でコ-ティングされた青銅器を使用していたという。
そのためシロップや葡萄液には大量の鉛が溶けだしていたと考えられるのだ。
教授によると、古代ロ-マ帝国では、鉛中毒が蔓延していた可能性があるという。
それが帝国を支配する皇帝にも大きな影響を及ぼし、滅亡につながったというのだ。
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レコンキスタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムスリム勢力のイベリア侵攻
ムスリム勢力のウマイヤ朝が711年にイベリア半島へと侵入した。
ここでは侵入前後からレコンキスタの開始、ウマイヤ朝の後継である後ウマイヤ朝滅亡までをみる。
ウマイヤ朝の侵攻と西ゴート王国の滅亡
一方、661年に建国されたイスラーム国家のウマイヤ朝は、積極的な拡張政策によって急速に勢力を拡大していた。
8世紀初頭までに北アフリカの西端まで版図を広げていたウマイヤ朝は、710年、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に上陸した。
この時は一部の都市を襲撃しただけだったが、西ゴート側の抵抗が弱いのを知り、本格的な遠征軍を組織しはじめた。
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