07/08/11 16:37:21 bPqxryPW
●ヨハネ1章33節
【わたしもこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしを
お遣わしになった方が、こう言われた。『霊がある人の上に降って留まるのを、
お前は見る。その人こそ聖霊(プネウマティ[霊] ハギオウ[聖い])によって
洗礼を授ける者である』と。】
●Ⅰコリント12章3節
【それで、はっきり言っておきますが、神の霊によって語る者は、だれも
「イエズスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、
だれも「イエズスは主である」と言うことはできません。】
●ローマ10章9節
【口で、イエズスが主であると宣言し、心で、神がイエズスを死者の中から
復活させたことを信じるならば、あなたは救われるからです。】
●フィリピ2章11節
【すべての舌は「イエズス・キリストは主である」と表明し、父である神の
栄光を輝かす。】
ですから、カトリックで洗礼を受けるにせよ受けないにせよ、キリスト教の
教会で洗礼を受ける時には授けてくださる人にあらかじめそれとなく『イエスス
・キリストは私の主である』との公言が出来ることをお互いに確かめられる
ならば授ける側もあなたの方も安心であると言うことが出来るかと思います。
これが混迷の現状キリスト教界にあって重要な洗礼指針になると思います。
このような告白は洗礼を授ける側の方が、洗礼を授かる求道者を本当に
愛してくださるでしょうし導きに信頼して良いものだとも思われます。
初心者の方は、よき指導者、信仰者に恵まれお互いの愛によって罪が覆われ
神の御前で恵みに満ちた信仰生活になりますように、そう願わずにはおれません。
主の平安!