07/08/11 14:01:52 bPqxryPW
愛は命を神のうちに投げおくこと、同じように隣人の中に投げおくこと、だから
こそその意味をイエスの十字架に見て、神と隣人への愛に信徒は感服し、その復活
に信徒は希望を抱くわけです。
神への愛、これなくして「愛」は無いわけです。
>>325 >>326
自分は「サロメおたあ」さんじゃないんですが、荒らされるのを見過ごすのも
なんなので答えます。
カトリックでは煉獄について旧約マカバイの書下12章44-46節『じつに死んだ
人たちのよみがえりを希望していなかったら、死者のために祈ることは無益な
空しいことであったろう。彼は敬虔に眠りに入った人たちにすばらしい報いが
準備されていると考えていた。これは聖い信心深い考えである。そのために
彼は死者のための償いのいけにえをささげ、罪から解き放とうとした。』という
文面などをもとに天国に行く前に心の汚れを清め残っている償いを果たすべき
ところとして煉獄を教えます。そして「諸聖徒の交わり」の具体的信者の行い
としてミサ聖祭、祈り、善業、免償などをもって煉獄の霊魂を助け、償いが
ゆるされて天国の栄光に入ることができるようにと神に願うことが勧められます。
このことは十一月二日に死者の記念日として全ての死者のために祈ることにも
通じることです。