07/08/26 15:21:07 daG6pKPy
>>556
> ならばどう悔いなく生きるか、だけでいいだろ。
そうだよ。内実はその通りだ。
ただ、私はそこに「生き方」と「死に方」と、二つのラベルを貼っているということだ。
> 自分の生涯に満足しようが満足しまいが
> 死ぬときはあっという間に死んじゃうわけで。
その通りです。だから >>552
>残る仕事もあるだろう。 が、そこに「やれるだけはやってきた」という自負があれば、
>引かれる後ろ髪は一本で済むw
ということになる。
> どう死ぬか、はあまり必要ない。
そのベクトルがあった方がいい場合もあるだろう。ということ。だから、
> パーセンテージで言うと
> どう生きるか=95%
> どう死ぬか =5%
この言い方に沿えば、「死に方」を人生の100%にしようと言っているのではない。
むしろ、上記の貴方の比率でもいい。
ただ、(これまでの貴方の発言及び)世間のイメージは「どう生きるか」が100%になってない?
と、指摘しているだけ。 貴方が言うように5%くらいでも、
「死」を意識する部分を持つべきではなかろうか? と。
束で後ろ髪を引かれるのはつらいでしょ? とねw
> 誰しも人は、年がら年中死ぬことばっかり考えているほど悠長なことは出来ないんだよ。
ここに誤解がある。
一日24時間、一年365日「死」について(「死に方について」)考えようと言っているのではない。
そういう視線を自分の中に設けておいた方がよくはないか?と言っている。
(勿論、一行目と仏教的・禅的に言えば、「生き方」と「死に方」は裏表の関係なので、
「どう生きるか」を考えることは「どう死ぬか」とイコールになるわけだが・・w)