07/08/23 10:29:05 q/6zUjeH
>>547
生きること自体が死ぬまでの時間の使い方だから。
死ぬまでの時間の過ごし方を決めようにも残り時間を大抵の人は知らない。
明日なのか、明後日なのか、10年後なのか、
そのわからない中で、10年後があると賭けて投資するもよし、明日かもしれないと思って今日だけに生きるも良し、
仮に死ぬ瞬間に後悔のないように生きる、と生き方を決めるなら、後悔のない死に方をしようとなる。
主婦として生きるとは主婦として死ぬとも見れる。
生涯を賭して学校の先生として生きるとは、定年はあれど、教師として死ぬも同義。
仕事に生きるとは仕事人として死ぬと同義。
将来的な目標を持ちつつ、明日死んでもよい生き方とは。
理想の死に方が無ければ志半ばは後悔になりかねないでしょ?
老後があると信じて今を見ずに蓄えに専念して、明日死ぬなら喜ぶのは遺族だけでしょう。
明日死ぬと信じて全てを今日使い果たして明日死ななかったら明後日には不本意に尽きるかもしれない。
死を見ず、死の設定なくして本当に人として生きられるものなのか。。。疑問。