07/08/19 20:47:47 pgsOA7e3
>>425
>そもそも他人の目を全く気にしないのであれば自分を正すことも困難。
>それではエゴを通すにも限界点は低くなる。
それは君が神ではなく俗世の雰囲気を行動の指針に置いているからである。
俗世の雰囲気を行動の指針にするのは世間の批判を浴びて己が傷つきたくないという
エゴの故である。
エゴに縛られた人間はエゴの為すがままに思考し行動するのである。
それがどうあってもエゴを脱却できない無神論者の限界である。
>人の世のことは人と人の係わり合いによってのみ調整が可能。
>そもそも評価や他人の目、見え方ってのは利用するもので、自分が無条件に影響されるものではない。
>利用価値があるから利用するだけのこと。
これにより君は君が風に舞う凧のようにふらふら軸足の定まらない
俗世の事象を行動の基準としかつどこまでも己のエゴを満足させるために行動するという
ことを暴露し私のの推測を自ら裏付けることになった。
>たとえば子供の前であまり非常識な事をしないのは、
>出来るだけ子供におかしな感覚を与えたくないからであって、子供に見られるのが嫌だとか恥ずかしいからではない。
エゴは己の自己保存の為にあらゆる言い訳を正当化するということは>>412で
述べたとおり。
>自分が相手に影響を与える事を自覚するから。
>こう思われたいというのは、その方が自分にとって都合がいいから。こんなの当たり前に誰でも持つエゴの一種。
まぁこんな風に開き直るのだったらあまり軽々しく
無神論者であるなどと他人の前で表明しないことだ。
神の問題を論じたいのであれば少なくとも
君自身がのエゴの支配から脱却できてからにしたまえ。