07/08/17 12:02:52 f/H5jGXu
>>372
>人間が人間として誇りと自信を持って生きる事をまず望むはず。
>そうでないなら神はすでに神ではない。当たり前だけどね。
別に誇りや自信など持つ必要はない。
それは単なる人間(それも一部の人間)の価値観である
神の望みとは「無条件にすべての存在を愛せ」
これだけである。
>人間ごときと呼ぶ事は神を冒涜する事にもつながる人間のエゴである。
神を忘れて我欲のみに生きる人間を人間としての立場から
窘める意味で言ったのである。
無論神はすべてを愛する存在であるからエゴのみに生きる人間をそのこと故に
罰するということはあり得ない。
自分を罰したり自分を地獄に落とすのはすべて自分の我欲に端を発する
後ろめたさに起因するということを心に留めよ。
>人はその与えられた能力に感謝して最大限に発揮して世の中に十分に生きる事が神に近づく事となる。
>と、無神論である俺でも想像することは可能なんだが。。。
これは一人間の価値観に過ぎない。
こういう価値観が行動を規定し一人の人間の人格を形づくるというに過ぎない。
神は人間がその想念を自由に形成し様々な体験をすることを望むのである。
人間の世界で聖人と呼ばれようと邪悪な者と呼ばれようと
気の遠くなるほどの体験を経て最終的には愛そのものである神の素晴らしさを
再確認して我々は神の下に戻っていくのである。