07/07/25 15:15:10 GpA1dwLr
>>200
> 人間には細かくはいくらでも生き方があっても、実は一つの生き方しかないとも言えます。
りょんらしいレスだw
「(日常的に)生きる」という時に、実はその「細かい部分」重要だと思うのです。
理念やスローガンを叫ぶのは簡単ですが、それと具体的行動とのリンクの部分が肝だと思うのです。
絵に描いた餅でなく、実際に食せる餅を作り出さなければなりません。
「お父さんお母さんを大切にしよう」という、極としての理念があった時、それで十分か?ということです。
「自然を、環境を保護しよう」と言った時、それで(それだけで)十分か?ということです。
>>201
「べき」が必要無い、とか、仏教に「べき」は無い、とか言ってはいないでしょw (´∀`)b
>>202
付加価値だから重要でないというわけではありません。
付加価値であるということは、(りょん自身も述べているように)足場の確定がまず必要だということです。
※(たとえ大きく、「人類愛」みたいなビッグな風呂敷wを広げても、
そこには『人間であること』という条件設定が絡んできます。)
>>203
> これらも、学者とかは人間仏陀だから矛盾するとか、いや、これにはこれこれの意味があるとかやるんでしょ?w
> くだらないんですよね、でも、そのくだらないやり取りも、本当は付加価値の一環なんですよね。
ちょっと誤読されたようだw
全てはりょんの >>74 >「べき」って自我ですよね、仏教って自我は尊重するんでしたっけ。
から始まってるわけで、
『りょんの言う「自我」が、仏教内でどういうものなのか』が確定されなければ答えようがないよ・・(´・ω・`)
ということが言いたかっただけ。別に学界・業界内での議論を披露したいわけじゃないよ・・(^^;
>>204
> でも、良かったら俺のスレの方に来てくださいよ。
どこ?