07/07/30 23:53:11 F8/zY0WL
>>454
>原罪のないアダムとエバも堕落する。
堕落性本性は堕落の過程で生じたサタンの性質。
愛の減少感(嫉妬)から憎しみ、位置を離れ、反逆、責任転嫁。
まるで生まれた時から持っていたように見えるが後天的なもの。
「愛の力は原理の力よりも強いので、アダムとエバが完成し、神を中心として夫婦となることにより、
その絶対的な愛の力によって、神の直接的な主管を受けるようになれば、いかなるものも、
またいかなる力もこの絶対的な夫婦の愛を断ちきることができないから、彼らは決して堕落するはずはなかった。
まして、人間よりも低級な天使長の愛の力ぐらいでは、到底神を中心とした、
彼ら夫婦の愛を断ちきることはできなかったはずである。」(原理講論、堕落論より)
原理では原罪の無いアダムとエバは成長期間だったから堕落したが、
もし完成していたら堕落は無かったとしている。
しかし現実は、「罪の無い完成した父母」(笑)から生まれて、
成長期間を過ぎ祝福を受けて、子を産んでから堕落して離婚するのが文家庭です。
原理で言う堕落性は最初からあったもので、(堕落したから堕落性本性、堕落しなければ)創造本性です。
嫉妬は比較するから生じます。比較する事自体は悪い事ではなく、知恵があるから比較するのです。
比較して嫉妬しても、その気持ちを主管できれば、嫉妬心が目的達成の原動力にもなります。
欲望も同様です。欲望がなければ発展しません。欲望を主管する事が必要なのです。
出エジプト記20:5にはこうあります。
「あなたの神、主である私は、妬む神であるから・・・・・」
神様が「妬む」性稟を持っているからこそ、人間も天使も「妬む」のです。
堕落論はとても矛盾が多い理論です。