07/05/19 00:25:19 QmgtySWY
親鸞は、延暦寺という双樹林下学校(祇園精舎)の分校に入学した。なお、断っておくが、実
は延暦寺という寺は、本当は存在しない。比叡山一帯にある寺々を延暦寺と仮に総称している。
親鸞は、比叡山のどこにいたかは、現在では分からなくなっている。
9歳の子供がいきなり青蓮院や延暦寺に放り込まれれば、世界が変わる。このとき親鸞は全く
別の世界に往った。
それまで、例えばクレヨンしんちゃんごっこをしていた子供が、いきなり戒律を与えられ、こ
れを守れと言い渡されれば、自分の立ち居振る舞い、つまり行動を大きく変えなければならない。
行動を変えるには心も変えなければならない。心と行動が変われば、人は人格が変わる。このと
き古い親鸞が死に、新しい親鸞が生まれた。まさに双樹林つまり祇園精舎の世界に、霊魂だけで
なく全人格をもって往き、生まれた。
親鸞は、延暦寺では堂僧という地位にあったらしい。堂僧というのは、かなり低い地位のよう
だ。恐らく弁慶などと一緒で、緊急時には長刀を持って強訴する僧兵の一人だったんだろうと僕
は想像している。僧兵には、有髪の兵士と出家兵士とがいた。親鸞は出家兵士の一人だったんだ
ろう。
僧兵であっても、普段は学問をしている。親鸞が、曇鸞や善導に最初に会ったのは延暦寺での
ことだ。延暦寺で曇鸞や善導に会っているということは、親鸞は浄土系の学派に属していたとい
うことだろう。親鸞は釈迦の教育哲学に基づき、戒律を守り、智慧を学び、禅定を修行していた。
普段修める禅定は、円仁大師が唐から持ってきた五会念仏を修めていたのだろうと思う。僧兵な
らば、恐らく武闘訓練も日課に入っていただろう。