07/05/17 00:22:48 LP7eGJ1x
双樹林下往生・難思往生・難思議往生 (化身土巻)
諸行往生・念仏往生 (末燈鈔)
正念往生・狂乱往生・無記往生・意念往生 (安心決定鈔)
即得往生・臨終往生 (浄土真要鈔本)
体失往生・不体失往生 (口伝抄)
辺地往生・報土往生 (歎異抄・口伝抄)
即往生・便往生 (化身土巻)
親鸞は往生という概念を様々に説明している。親鸞の考えに即して往生を考えてみよう。
さあ、生死を超えよう。親鸞仏教も、釈迦以来のこの提案を踏襲していることは当然で
ある。再起・挫折・再起・挫折というこの果てしない連続を根本から断とうじゃないか。
そのためには無明を断てばいい。釈迦はそう教えている。さあ釈迦に学ぼう。仏弟子にな
ろう。仏陀にその道を教わっていこう。親鸞はそう提案している。
人は千差万別である。従って、仏道の参加方法、仏弟子の成り方もひととおりではない。
親鸞は仏弟子の器を二種類に分けている。一つを邪定聚の機とよぶ。もう一つを不定聚
の機とよぶ。聚とは集という意味だ。人々という意味である。機とは器つまり器という
意味だ。器量という熟語に通じる。頑迷牢固に自分の意見に固まってしまっている者、こ
れを邪定聚の機という。自分の意見には決して固まっていないが、何が真実かは見えてい
ない者、これを不定聚の機という。邪定聚の機には、邪定聚の機なりの仏道への入り方が
用意してある。不定聚の機には、不定聚の機なりの仏道の入り方が用意してある。邪定聚
の機は双樹林下往生という形で仏道の世界に入る。不定聚の機は、難思往生という形で仏
道の世界に入るのだ。
16:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/17 00:25:11 LP7eGJ1x
ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸
善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに
難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、
速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるか
な。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡
要を拾うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴す
るなり。(化身土巻)
(私もかつては双樹林下往生しました。しかし)私は、曇鸞大師が書かれた浄土論註を
拝読し、善導大師の勧めにより、ずっと以前に万行諸善を積む(その)双樹林下往生を離
れ、善本・徳本つまり南無阿弥陀仏を称えようという真実の門に入り、永くここに親しみ、
難思往生の心を抱いてきました。しかし、今、方便であった真実の門を抜けだし、選択の
願海に転入しました。真実の門という方便の難思往生の心をできるだけ速やかに離れ、難
思議往生の世界に到達しようと思います。阿弥陀仏は、20願で果遂の誓いを起こしていま
す。必ず成し遂げよう、もし成功しなければ、自分は大乗の仏になったとは思うまい。
そのように誓っています。選択の願海に転入し、先人達の深い心が見えてきました。先人
達の親切と優しさとご苦労に報いるため、真実の宗の核心部分を抜き出し、永遠の偉大な
る世界を称賛し、心に念じたいと思います。
九歳の春の比(ころ)、阿伯従三位範綱卿 ~、前大僧正~の貴房へ相具したてまつり
て、鬢髪を剃除したまいき。範宴少納言公と号す(御伝抄)。
親鸞は9歳の時、養父に連れられて慈鎮和尚の元で出家し、剃髪したようだ。親鸞が、
双樹林下往生したのはこの時のことを言っている。親鸞は、仏教というものを皆目何も分
からない状態で9歳の時に仏教の世界に入ったのだ。
17:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/17 00:27:04 LP7eGJ1x
何よりも、殿の御往生、~ 山を出でて、六角堂に百日籠もらせ給いて、後世を祈らせ
給いけるに、九十五日の暁月、聖徳太子の文を結びて、示現にあずからせ給いて候いけれ
ば、やがてそのあか月、出でさせ給いて、後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、訪
ねまいらせて、法然上人にあいまいらせて、又、六角堂に百日こもらせ給いて候いけるよ
うに、又、百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りてありしに、ただ、後世
の事は、善き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべき道をば、ただ一筋に仰せられ
候いしをうけ給わり定めて候いしかば、上人のわたらせ給わん所には、人はいかにも申せ、
たとい悪道にわたらせ給うべしと申すとも、世々生々にも迷いければこそありけめ、とま
で思いまいらする身なればと、ようように人の申し候いし時も仰せ候いしなり(恵信尼手
紙)。
親鸞は、あるとき比叡山を下り、六角堂で百日籠もった。恐らく常行三昧という荒行を
やったのではないかと思う。現代では、酒井雄哉さんが行っている。このとき、親鸞は聖
徳太子への願文を書いていたようだ。常行三昧では、行者は死の淵まで行く。そこでしば
しば幻覚を見るようだ。示現にあずからせ給うとは、幻覚を見たのだろう。その後親鸞は
いったん法然に会いに行く。しかしそこで決心が付かず、もう一度百日常行三昧を行う。
さらに、その後も六角堂に通う行をやっという。酒井雄哉さんは常行三昧の後、千日回峰
行を行ったようだが、どうやら親鸞は100日間の回峰行をやったようだ。これによって、
比叡山での修行に終止符を打つ決心が付き、法然の下に正式に弟子入りした。
当時、法然上人はただ念仏せよと教えていた。親鸞は、専一に念仏だけを称えていく善
本・徳本の真門に回入し、難思往生を遂げた。 続く
18:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/18 01:03:11 QdNLEn6d
往生という概念を知りたければ、双樹林下往生の概念を基本に考えればいい。従来、真宗学で
は、双樹林下往生を釈迦の死と結びつけ、双樹林下往生とは、釈迦のような立派な死に方すると
いうような風に解釈してきていると思う。これでは九歳の時の親鸞の出家と結びつかない。双樹
林とは、祇園精舎の別名だろう。平家物語の書き出しは、祇園精舎が沙羅双樹林の中にあったこ
とを教えてくれている。つまり、双樹林下往生とは、祇園精舎に入学することを言う。親鸞は、
九歳で青蓮院に入学し、その後は延暦寺に登っている。青蓮院も延暦寺も祇園精舎の分校である。
青蓮院で剃髪したと言うことは、このとき親鸞は祇園精舎の分校に入学したのだ。ここで入学し
たのは、親鸞の霊魂だけではない。親鸞は肉体も、精神も、まさに全人格をもって祇園精舎に入
学したのである。往生は、親鸞の霊魂だけが親鸞から離れて入門したと思ったなら、これは大き
な間違いである。
親鸞はなぜ祇園精舎に入学したのか。親鸞に言わせれば、当時、彼も彼の回りもみな、邪定聚
の機だったからである。まさにここがいい、つまり青蓮院がいい、延暦寺がいいと、邪に確信してい
たからである。青蓮院も比叡山も、そこがいいと信じる人のために仏道の門戸を開いていたのだ。
釈迦は、三五歳の時、十二因縁の原理を悟った。同時に四諦を悟った。実体を知り(苦)、そ
の原因(集)を知り、原因を克服する方法論(滅)を実践(道)すれば、無明を断てる。互いに
学び合おう、教え合おうと提案した。
学則(戒律)を守ることを誓った者は入学を許し、有形の真理は智慧という形で、文字で、言
葉で、絵画などで教えた。無形の真理は、禅定法を教え、これによって誰でもがいつでも身近
に手に取れるようにした。釈迦は戒・定・慧を三学と呼び、これを教育の基礎においた。祇園精
舎は釈迦の教育理念をそのまま実践し、祇園精舎の分校もまさにそのように釈迦の理念を実践し
ていた。双樹林下往生とは、まさにそのような釈迦の学校に、霊魂だけでなく、全人格をもって
入学することをいうのである。
19:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/19 00:25:19 QmgtySWY
親鸞は、延暦寺という双樹林下学校(祇園精舎)の分校に入学した。なお、断っておくが、実
は延暦寺という寺は、本当は存在しない。比叡山一帯にある寺々を延暦寺と仮に総称している。
親鸞は、比叡山のどこにいたかは、現在では分からなくなっている。
9歳の子供がいきなり青蓮院や延暦寺に放り込まれれば、世界が変わる。このとき親鸞は全く
別の世界に往った。
それまで、例えばクレヨンしんちゃんごっこをしていた子供が、いきなり戒律を与えられ、こ
れを守れと言い渡されれば、自分の立ち居振る舞い、つまり行動を大きく変えなければならない。
行動を変えるには心も変えなければならない。心と行動が変われば、人は人格が変わる。このと
き古い親鸞が死に、新しい親鸞が生まれた。まさに双樹林つまり祇園精舎の世界に、霊魂だけで
なく全人格をもって往き、生まれた。
親鸞は、延暦寺では堂僧という地位にあったらしい。堂僧というのは、かなり低い地位のよう
だ。恐らく弁慶などと一緒で、緊急時には長刀を持って強訴する僧兵の一人だったんだろうと僕
は想像している。僧兵には、有髪の兵士と出家兵士とがいた。親鸞は出家兵士の一人だったんだ
ろう。
僧兵であっても、普段は学問をしている。親鸞が、曇鸞や善導に最初に会ったのは延暦寺での
ことだ。延暦寺で曇鸞や善導に会っているということは、親鸞は浄土系の学派に属していたとい
うことだろう。親鸞は釈迦の教育哲学に基づき、戒律を守り、智慧を学び、禅定を修行していた。
普段修める禅定は、円仁大師が唐から持ってきた五会念仏を修めていたのだろうと思う。僧兵な
らば、恐らく武闘訓練も日課に入っていただろう。
20:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/24 00:46:27 zRfGhVqi
>>19
続きは近日中。
21:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/26 13:18:05 Cz0ClXwT
親鸞はなぜ法然の下に走ったのか。好きな女性がおり、女の尻を追ったのか。玉日姫の伝説な
どを信じれば、まさにそういうことになるんだろう。親鸞は、女の尻を追っかけて学校を退学す
るような人間だったのか。はたしてそうだったのか。行者宿報などの偈文を信じればそんな話にも
なるんだろう。しかし、玉日姫の伝説は大正時代に恵信尼公の手紙の発見で消滅した。偈文の件
については、僕は確かな証拠がない限り信じない。根も葉もない三流の馬鹿話の類だろうと思って
いる。
釈迦は教育者であり、大乗仏教は教育学である。教育には様々なジャンルがある。大乗仏教の
先人達は、個人教育と学校教育を重要視した。法然は社会教育の重要性を訴え、親鸞もその社会
教育の重要性に共鳴した。これが比叡山教育学と法然教育学との根本的な違いであり、親鸞は、
比叡山になかった新興の社会教育論に惹かれ、比叡山を下りた。僕はそう思っている。
法然以前にも社会教育の重要性を感じ、その実践を行おうとした人はいただろう。しかし、そ
の人一代で終わったり、あるいは確固とした哲学がなく土俗の慣習世界に埋没していった。法然に
は哲学があった。親鸞は哲学のある社会教育学に惹かれていった。
伝教大師・弘法大師はいずれも学校教育学の確立を目指した。伝教大師は延暦寺、弘法大師は
金剛峰寺をその教育の現場に据えた。釈迦以来の戒律と智慧と禅定とを全寮制という枠の中に若
者に教え、次の時代の教育者も育てようとしていた。この考えは、基本的には釈迦の考えと同じ
だ。釈迦は祇園精舎を建設している。
22:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/26 13:21:14 Cz0ClXwT
全寮制とか学校という枠を出よう。広く社会の人に直接真理を伝えよう。真理を一部の特権階
級の独占物にしてはいけない。これが社会教育の基本的考えである。かつては鑑真和上も同じよ
うな考えを持っていた。鑑真和上は東大寺・唐招提寺との関連が強いが、あの人はかなり全国を
回り、各地で大衆に授戒を行い、倫理・道徳という概念を知らなかった日本の大衆に、仏教の先
進の倫理を伝えている。ただ、日本の律宗は鑑真和上以後、殻の中に入り込み、大衆に仏教倫理
を伝えるという努力を怠ってきているように思う。なお、東南アジアの現代仏教は、大衆に仏教倫理
を伝えるということが重要なテーマになっているようだ。
釈迦の教育学は、戒律と禅定と智慧とが三本柱である。これは、学校教育では重要なテーマと
なるが、社会教育でもそれが言えるのだろうか。鑑真和上は、日本で最初に社会教育を実践した
高僧だが、そのとき民衆に伝えたのは、戒律だけである。仏教の基本である五戒を伝えたんだろ
うと思う。三学は戒律と禅定と智慧であると言っても、大衆に禅定や智慧まで教えようとしたわ
けではない。
大衆に仏教を伝える場合、あれもこれもなどということは不可能である。大事なこと一つだけ
を伝えればいい。それならどうするか。社会教育学は、教える側にそのような選択が迫られてく
る。
23:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/31 12:26:53 yqP4Dh/L
しばしば、バスや電車内には市民講座という案内が掲示されている。「市民のための一日源氏
物語講座」などというのは、ラーメン屋さんやパン屋さんなどが簡単に受講でき、非常に便利な
ものだ。一般に、源氏物語などというとラーメン屋さんやパン屋さんには敷居が高いが、大学の
先生などが大学の一角を市民に一日だけ開放して教えてくれるという機会は意味のあることだろ
う。
源氏物語を勉強しようと思えば、普通は大学などに入学する。入学するには試験がある。源氏
物語を勉強しようと思っても、入学のためには、数学も物理学も勉強しないといけない。入学し
てからもいろんな勉強が待っている。源氏物語だけではなく、シェクスピアもギリシャ悲劇も勉
強しないといけない。そうやって幅広く勉強していって初めて源氏物語が分かってくる。しかし、
そんなことはラーメン屋さんやパン屋さんには不可能だし、ラーメン屋さんやパン屋さんが源氏
物語を勉強しようと思えば、そこまでは必要はないだろう。大学の先生などが半年か一年に一度、
不定期に市民講座を開いてくれれば、それだけでもう十分なんじゃないだろうか。
半日、一日の市民講座を受講し、それだけで源氏物語が分かったなどと思えば、それは噴飯物
だろうが、それを受講しなかった場合と比べれば、ラーメン屋さんやパン屋さんのレベルで考え
れば、月とすっぽん、雲泥の差があるだろう。
市民のための一日源氏物語講座では、シェクスピアの話は出ないだろう。ギリシャ悲劇の話題
も多分無いと思う。源氏物語講座全巻に及ぶ話もない。例えば桐壺の巻だけでも詳しく教えて貰
えれば、市民講座終了後は、源氏物語を自分一人で多少はめくれるようになるだろう。日本の古
典文学に触れるというのは、ラーメン屋さんやパン屋さんの人生にとっても意義あることだろう。
24:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/31 12:28:39 yqP4Dh/L
親鸞仏教も実はそれと同じだ。仏教を勉強するとなると、頭を剃り、衣を着替え、戒律を授か
り、全寮制の延暦寺や金剛峰寺に入学する。こうした道は、ラーメン屋さんやパン屋さんに簡単
にできる話ではない。
学校式仏教学では、戒律と禅定と智慧の学習が三本柱になる。戒律は価値観である。二千年も
三千年も昔の赤道近くのインドの価値観が、二千年も三千年も経て、雪降る北方のジパングでそ
のまま妥当するとも思えない。智慧は、真理を有形的に示してある。形を持てば真理と雖も時間
と共に古くなる。パソコン会計ついても、簿記についても何一つ解説していない仏典を、今更ラ
ーメン屋さんやパン屋さんが一生懸命勉強しても意味がないだろう。
ラーメン屋さんにはラーメン屋さんの勉強がある。仏教の智慧はどんなに深くても、パソコン
会計についても簿記についても解説していないものを勉強する必要はないだろう。ラーメン屋さ
んはラーメン屋さん学校の勉強をすればいい。戒律もいらない。国には憲法があり、法律がある。
ラーメン屋さんとして他人から後ろ指さされない生き方をしていけば、もうそれでいい。仏教か
ら正邪の価値観を教わらなくても、正邪の価値観はラーメン屋さんの世界で教わればいい。ラー
メン屋さんには仏教からは禅定だけ教えよう。禅定と言っても全部ではない。市民講座源氏物語
が入口の桐壺だけ教えてくれるように、ラーメン屋さんは禅定の入口だけ教わりなさい。それは、
禅定ではなく、称名念仏という形で教えよう。ラーメン屋さんが源氏物語を教わろうすれば、桐
壺の巻だけ少し突っ込んで教われば十分なように、ラーメン屋さんが仏教を教わろうすれば、称
名念仏だけ教われば十分だ。
25:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/05/31 12:30:19 yqP4Dh/L
源氏物語の学習には大学に入学して教わるという方法と、市民講座に入学して教わるという方
法とがある。仏教にも二つの方法がある。祇園精舎又はその分校に入学するというありかたがあ
る。それが一つだ。これを双樹林下往生という。双樹林下往生では、戒律と智慧と禅定とを必死
になって勉強しなければならない。シェクスピアもギリシャ悲劇も勉強しないといかんだろう。
しかし、善導大師が市民講座用のもう一つの入り方を開いてくれた。それを難思往生という。ラ
ーメン屋さんやパン屋さんなどが仏教を勉強するための方法である。源氏物語難思往生市民講座
は、半日・一日程度、桐壺だけ解説してくれる。後は、自分で好きなとき、暇があればぱらぱら
と源氏物語をめくりなさいな。仏教難思往生市民講座は、禅定のうちの入口部分、称名念仏だけ
を教えてくれる。後は好きなとき、暇があれば称名念仏を繰り返していけばいい。親鸞仏教は、
まさにそういう市民講座仏教なのだ。
26:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/06/05 11:17:20 6Ps/IbRq
親鸞会系のスレは流れが速いから今の内にメモしておく。
信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も
如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし (和讃)
称名念仏励 めよ」なんどの教えは、如何に間違っているかが判るであろう。若し、この
ような称名正因の教えを許すならば、真宗の信心正因の教義は、根本から転覆してしま
うのだ(白道燃ゆ)。
高森さんのこの議論に対し、僕が批判したところ、詳しく教えて欲しいという要請がありま
した。往生論に続いて、いずれここで解説します。
スレリンク(psy板:385番)
名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2007/06/04(月) 01:03:15 ID:dj2o0eB/
「親鸞聖人が聞けばそれこそ転覆してしまうようなデタラメを教え」
どこに根拠があるの?(私、頭悪いから分かりやすく書いてね)
金集めて何が悪いの?
出させて頂く側は好きでやっているんだから。
仮に、ぜ~んぶ、先生のところへ行っても、いいですよ。
親鸞聖人の御教えを明らかにして下される方のところであれば。。
浄財が、除名者や除名者候補のところに行くのは気に入らないけどね。
(浄財で生かされている本会の職員でありながら、
親鸞聖人の教えを曲げるから除名になるの!)
27:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/06/06 09:17:51 MmLn3Y9t
市民講座などで大丈夫なんだろうか。自分は源氏物語全体を知りたいんだ。ところが、市民講
座は桐壺しか教えてくれない。桐壺だけで源氏物語全体が分かるんだろうか。ラーメン屋さんは
そんな風に疑問を持つ。
考えてみよう。ラーメン屋さんは、別に、源氏物語で学位論文を通したいと思うんじゃないん
だろう。平安朝貴族の雅な精神に少しでも触れ、その豊かな心が少しでも自分の日常の中で生き
るなら、それで十分なんだろう。平安朝貴族の雅な精神は、源氏物語全体に流れているからこ
そ、桐壺の中にも十分流れている。全編の解説を聞けなくても、桐壺の解説だけで、源氏物語の
精神には十分に触れることができるだろう。
源氏物語は普通、大学で教わる。しかし、微分・積分も分からない。三角関数もチンプンカン
プン。中国史の義和団の乱も、朝鮮の東学党の乱もチンプンカンプン。そんな人には大学入試は
受からない。大学に入れない。罪悪深重、煩悩熾盛とまでは言わないが、ラーメン屋を切り盛り
していれば、大学などには通えない。市民講座はそんな人のために開かれている。
市民講座の先生は、大学の学部学生・院生などと市民講座の生徒を区別しない。ラーメン屋さ
んでも、パン屋さんでも、警備員さんでも、源氏物語を教わりたいという人は大歓迎してくれる。
学部学生や院生などは、三角関数を知らないと言えば「なんだお前は三角関数も知らないの
か」と眉をひそめられるが、パン屋さんにはそんなことはない。三角関数を知らないパン屋さん
が「私は光源氏が大好きだ」と言えば、市民講座の先生などは「そうだ。そうだ。私も大好きな
んだ」と言ってくれるだろう。パン屋さんやラーメン屋さんの源氏物語の勉強は、市民講座で十
分だ。パン屋さんやラーメン屋さんの仏教講座は、難思往生だけで十分なんだ。
難思往生市民講座で、ただ念仏しなさいよと教えてくれているは、天の神様ではない。宇宙の
中心の万物の創造主でもない。善導大師という、中国、唐の時代の高僧だ。パン屋さんやラーメ
ン屋さんの源氏物語講座は桐壺だけで十分。パン屋さんやラーメン屋さんの仏教講座は、念仏だ
けで十分だと教えてくれている。
28:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/06/06 09:18:33 MmLn3Y9t
ところがどうだろう。ただ念仏しなさいよと言ってくれているその背景には、先生の心がある
はずだ。大学学部でも、大学院でも、生徒と先生の間には師弟関係がある。市民講座にでも師弟
関係があるだろう。そこには、本物の生徒と、仮の生徒がいるはずだ。念仏申せと言われたとき
だけそれを実行する生徒は、先生の真の心が見えていないロボットのような仮の生徒ではないの
か。それをもし仮の生徒と呼べば、それ以外の生徒もいるだろう。
市民講座の生徒が、念仏しなさいよと言ってくれている先生の真意が感じられたとき、人は初
めて市民講座の本当の弟子になる。市民講座の先生の生徒になる。市民講座の生徒が、市民講座
の生徒としてやることは念仏だけだけど、その念仏をする中で、先生から拈華微笑され、我が意
を得たりといわれたとき、人は初めて市民講座の本当の生徒になるのではないか。それまでは、
仮の生徒と言うべきだろう。先生と肝胆相照らすそんな生徒になる。親鸞はそれを、難思往生と
区別して、難思議往生と呼んでいる。
源氏物語市民講座の生徒は桐壺だけでいい。しかしその桐壺を学ぶ中で、先生と肝胆相照せる
そんな精神世界を模索してみようじゃないか。仏教市民講座の生徒は、禅定の入口、称名念仏だ
けでいい。しかしその称名念仏を実践する中だけで、念仏せよと教えてきてくれている先生と肝
胆相照らすそんな関係を模索してみようじゃないか。そのとき生徒は、先生と同一の精神世界を
共有する。市民講座の仮の生徒の枠を越え、本当の生徒になる。人は難思往生を越えて難思議往
生を達成する。
難思議往生は、別に霊魂だけが肉体から抜け出てどこかにふわふわと流れていくことじゃな
い。まさに身も心も全身全霊をもって先生と肝胆相照すそんな関係を持つようになる。難思議往
生は、肉体から抜け出した霊魂だけの話じゃない。肉体も精神も、あらゆる価値観・世界観にお
いて先生と肝胆相照す先生と同一の精神世界に参入する。これを仏教市民講座の難思議往生と呼
んでいる。
29:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/06/11 09:16:53 CALheV5F
先生の弟子となって先生の下に入門するなら、形ばかりの生徒じゃなくて、実質のある生徒に
なろう。仮の生徒じゃなく、本物の生徒になろう。本物の生徒とは、自分の方からもこの人こそ
自分の本当の先生であり、先生の方からもこの人は自分の本当の生徒であると、そんな風に言っ
て貰える生徒になろう。先生と生徒が、共に肩を抱き合い、肝胆相照す同一の精神世界を共有す
るそんな世界を求めようじゃないか。
先生の指示だから、それじゃまあ、言われるままにやろか。そんなんじゃなく、先生の真意が
本当に汲み取れて、先生の心が見えてその教えを守るそんな弟子になろう。難思往生を越え、実
体のある難思議往生を求めよう。
源氏物語は、桐壺以外にも、帚木、空蝉、夕顔などもやはり読まないと駄目なんじゃないか。
そんなことはない。市民講座の先生が、桐壺だけしっかり読んでご覧と仰っている。ラーメン屋
さんやパン屋さんは、桐壺だけしかり読んでみればいい。そうすればきっと分かるものがあるだ
ろう。ああそうだったのかと、きっと見えてくるものがあるだろうと言っている。それなら、先
生の真意は、桐壺だけをしかり読ませようというところにあるんだろう。
善導先生は念仏だけ称えてみなさいと仰っている。念仏だけでいいんだと言ってくれている。
しかし本当は念仏以外、いろいろな行をやってみないとだめなんじゃないか。いやいや、そんな
ことはない。念仏だけしっかり称えていけば、必ずやきっと分かるものがあるだろう。親鸞先生
は、善導市民講座でそう仰っている。
30:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/06/11 09:17:59 CALheV5F
親鸞聖人の時代、先生と肝胆相照すような精神世界に到達した人という人は幾人もいたようだ。
「また、真宗の聞き書き、性信房の書かせ給いたるは、少しもこれに申して候様に違わず候えば、
嬉しく候」。親鸞は性信房の信心について全幅の信頼を寄せていたようだ(血脈文集)。こうい
うお弟子さん達は性信房以外にも、関東にたくさんいたようだ。おそらく真仏・顕智などのよう
な人も、先生とは肝胆相照すそんな世界に入っていた人だろうと思う。だからこそ、親鸞は後顧
の憂い無く関東の多くのお弟子さんを彼らに預け、自分は法然一門の再興を目的に単身で京都に
向かったんだろうと僕は考えている。
ところが、肝胆相照すようになるそんな人ばかりではない。念仏を称えても称えても、なかな
か「ああそうだったのか」と、膝を叩いて合点がいくようにならない人もいる。なかなか実感が
持てない。実感が持てなければ、様々なさまざまな疑問、疑いがでてくる。先生と肝胆相照す同
一の精神世界にはいたらない。こういう人は、しばしば、念仏が続かなくなる。しかし、それで
も、疑いながらも、疑いながらも、なお生涯、念仏を称えていけばどうなるか。
先生はきっとこういうだろう。「まさに貴方も、私の心を本当に理解してくれた一人だった
と」。生きているとき、互いに実感を持って肩たたき合い、「そうだ、そうだ」といいあえなか
った。必ずしも肝胆相照すことはできなかった。しかし、念仏の世界というのは、けっして肝胆
相照す世界だけじゃない。念仏を称えようじゃないかという、先生のこの提案を受け、生涯念仏
を称え続けた人は、「そうだ、そうだ、貴方こそ、私の心を本当に理解してくれた一人だった
と」、先生はきっとその生涯を称賛するだろう。念仏を死ぬまで称え続けた人は、その人も、先
生の精神世界と同一の世界にあった人として、その生涯を喜んでくれるに違いない。この人こそ、
まさに、現代における目蓮に同じ、舎利弗に同じ、弥勒に同じだった、そう称賛するに違いない。
31:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/06/11 09:18:55 CALheV5F
念仏は、疑いながら、疑いながら称えてもいい。疑っては駄目だと言ってもそれは逆に無意味
なことだ。疑う人は疑えばいい。疑いながら、疑いながらも、生涯称えていけば、まさにその生
涯は、全生涯をもって先生の精神世界と同一の世界に立つだろう。先生の精神世界と同一の世界
に立つのは、肉体から抜け出た霊魂だけの話ではない。生涯を全うした全人格が、身も心も先生
の精神世界と同一の世界に立つことになる。
難思議往生とは、生涯、死ぬまで称え続けたというその事が、仏陀の称賛をベースに、その人
の全生涯、身も心も、霊魂も肉体も、全てが、仏陀の精神世界と同一の世界に立つことを言う。
32:渡海 難 ◆Fe19/y1.mI
07/06/20 00:35:53 tWk4nw+b
極楽浄土はどこにある。阿弥陀仏は、釈迦の教師像を理想化したものだ。教師は生徒の未来を
信じて教育に当たる。生徒は未来を信じて努力する。
太陽は東から西に移動する。時計の無かった時代、人々は太陽の位置で時間を知った。東は過
去、西は未来を象徴する。
釈迦は、四つの姿を持っている。釈迦は三毒を抱える病人を直す医師である。人々に未来に向
かって歩ませる教師である。人々に働くことを教え、富をもたらす生産者である。人々に安らぎ
を与える休息所である。釈迦の四つの人格は、それぞれ独立した理想の仏陀像を形成した。東に
薬師仏、西に阿弥陀仏、南に宝生如来、北に不空成就如来を配する。
阿弥陀仏は、釈迦を理想化した教師である。釈迦は祇園精舎を創建した。極楽浄土は祇園精舎
をモデルとして理想化した阿弥陀学校である。祇園精舎は釈迦の精神界を具現化した。阿弥陀学
校は阿弥陀の精神界を具現化している。
釈迦の時代から二千年も三千年も経て、しかもインドからは遙かに遠く、ヒマラヤを越え、冬
には雪降る北方のジパングで、三学の内の一つでも、すなわち称名念仏だけでも称えている者は、
その尊さは釈迦の時代の目蓮に等しい。阿難に等しい。釈迦の精神界と同一の精神界を共有する。
それは、釈迦の教育者像を理想化した阿弥陀の精神界も共有するだろう。
称名念仏する者は、西方極楽浄土に往生する。親鸞の確信は、極めて自然な考え方だと僕は思
う。