○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○at PSY
○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○ - 暇つぶし2ch137:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI
07/08/28 09:28:12 6tWczCO3
 しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
 私は、建仁元年、1201年、比叡山を下りて法然上人の門に入りました。

 印可を得たも同然の僧であるとは何を根拠にするのか。それは、自分は選択集の書写を許され
た者である。親鸞はこれを根拠にしている。
 選択集とは外でもない。法然上人が関白藤原兼実の命により書いた念仏の奥義書のことである。
法然上人の教化を受けた者は非常に数多いが、その中で、選択集を書写させて貰えるような人は
非常に数が少ない。それだけではない。自分は法然上人の肖像画を描かせて貰っているのだ。そ
のよう者は、さらに数が少ない。
 法然上人からは印可を得る機会を得られなかったが、法然上人からここまで認められていたの
は自分が専念正業の徳、つまり真剣に念仏を称えてきた徳の表れであり、自分が往生決定したも
のであることの現れである。どうか、どうか自分を信用して欲しい。悲喜の涙を抑えて申し上げ
る。

 元久乙の丑(1205年)の歳、恩恕つまり法然上人の許しを得て『選択』つまり選択集を書
写しました。その年、初夏中旬、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往
生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字とを、上人自らがこれを書いてくださいました。
 その日、法然上人から上人の肖像画を描くように命じられ、それを書くと法然上人は、「南無
阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当
知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書きこんでくれました。


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