07/04/13 12:18:07 qfuQ6a8/
>>50
非常に読み辛い文だが、要は、
《「輪廻転生や霊魂が存在する可能性は十分(問題にするに値する程度に)高いと見なすのは誤りである」》
《一方で、「輪廻や魂は絶対に存在しない」という判断もまた、誤りだと考えます。》
つまり、何ら主張は無いって事で、
《「存在可能性が十分ある」にも「存在可能性はゼロである」にも妥当な根拠が存在しないからです。》
主張だけでなく、何の体験も無いって事だ。
《データが得られしだい、存在可能性に対する見積もりを一気に上げる可能性を残すということです。》
何の主張も無いし、何ら体験も無い人が、
「客観的事実があるなら、俺様が聞いてやるから、馬鹿なオマイラ答えれ!」
ってわめいてるだけだよな?
そして、誰も相手にしなかったら、
「ウワーイ、ボクチン正しいのー♪」
って浮かれてるって訳だな。
デカルト以降の心身二元論に因って、
科学は再現性のある検証可能な事象に対して論理的仮説が構築され、追実験によりその妥当性が証明されている訳なのだよ。
自演ヤロウの権威付けの為に有る訳では無く。
また、オマイが戯言を好きに言う自由がある様に、他人も、ガキは相手にしない自由がある訳さ。
礼儀知らんガキには理解出来ないだろうがな。
って言うと、また逃げたってワメクだろうから、二つ三つあげるか。
魂が有るなら、魂と身体は如何に情報を交換出来るか。
物理的には有り得ない。
故に魂は物理的には存在しない。
従って輪廻は有り得ない。
臨床事例として憑依は報告されている。
故に、霊的事象は有る。