07/04/12 11:40:47 b4WqlKGC
承狂氏の投稿をいろいろと読んでみましたが、要するに仏教を中心とした東洋
の思想について深く勉強をしている人なんですね。すごい長い時間を使ってい
ろいろな書物に書いてあることを学び、その成果を掲示板で披露したり、その
ような思想について他者との議論を行ったりしている、と。
まあ、そのような人にとって、自分が一生懸命勉強してきたそのような思想が
そもそもの基盤となっている認識論のレベルにおいて誤謬であるというような
批判は、その可能性を想像するのも嫌なことだというのはすごく理解できます。
しかし、どれだけ長い時間を使って勉強したものであっても、それが間違いで
あることが分かったとすれば、それを受け入れて信念を再構築することはまさ
に「前進」なのであって、そこは勇気を持って自己懐疑・自己修正を行うべき
なのではないかと思います。もしも若い人ならば、という話ではありますが。
また、東洋思想も個別論だけを取り出せば素晴らしいものをたくさん含んでい
るわけで、それら全てを捨てる必要はないということがあります。認識論的な
誤りは形而上学の部分だけなわけですから、そこだけ捨てればよいわけですよ
ね?そして、その怪しい形而上学を根拠としていた様々なことがらに対して、
もう一度妥当な根拠を自分で与え直せばよいわけです。
年寄りは、もう今更後戻りはできません。自分の信念の中に誤謬や欺瞞が混入
していることに気づいたとしても、そこから必死で目をそらし、自己修正を行
わずに生きていくしかありません。しかし、前途ある若者は、自己懐疑・自己
修正を繰り返してこそ成長することができます。そこに必要なのは、いくばく
かの勇気と労力だけであり、若者にはそれがあります。
批判に対して頑なに耳を閉ざして生きていくことは、老人になってからでもで
きることです。勇気を持って、頭を使ってみてはいかがでしょう?