07/03/14 01:43:26 rcoxYnMN
>>553
平等と逆の自由観から述べても結構です。自由は主に差別相を表現します。
ある者は10の努力をし、ある者は100の努力をする。
個々人がどう努力するかはその者の選択と意志に関わっておりますので、
誰がどういった努力をどのぐらいするかは分かりませんし、
同一平等の努力をする者もおりませんので、結果として差別相が表現されます
かつてエマソンは「あらゆるものには段階と度合いがある」と言いました。
何故でしょう。段階と度合いがあるということは、どこかに向かっているわけです。
どこかに向かっているから、その過程で段階と度合いがあるわけです。
神の正義以外の価値や対象に向かっているのであるならば、自我は必然的に利益と快楽を求めますので、
これを求めても段階はあるでしょうが、利益は握った瞬間、対立を生み、その対立から上下、勝敗、苦楽、優劣を生み、
その苦楽から悪が増大して克服できない者は地獄に落ち、この世では犯罪や精神病、苦悩や経済の没落、
悪魔の跳梁跋扈に環境破壊、飢餓や癒着、傲慢や憎悪が無制限に表現されてくるでしょう。