07/03/12 13:17:59 AAcygeBB
グノーシスは真のキリスト教だ。今世に出ているキリスト教は、真のキリスト教のイミテーション。
聖母崇敬は、その、最たるものだ。あれは知恵の女神、ソフィアに対する崇敬のイミテーション。
彼女は、「言」持つ、我々「人」の心に誰でも宿り、彼女は、聖霊ともなるが、悪霊ともなる。
肉の母、マリアには何の価値もない。また、イエスという名の、肉の男もさして重要ではない。
重要なのは、彼の残した「言葉」であり、彼の生き様、彼の残した道である。
肉の男イエスと、その肉の母マリアの関係である、マリア崇敬は、聖霊と、「人の子」の関係に対する
イミテーション。聖書は全て喩えで書かれている。もちろん肉の男、イエスは、処女から生まれたものではない。
「人の子」が、処女である、聖霊から生まれたのだ。悪霊は、姦淫の子を生むだろう。
姦淫で出来た子供は、全て呪われる。その報いは、死だ。我々は、姦淫で出来た子である。
我々の偽りの命には、死が付きまとう。復活とは、本来の自己に立ち戻るということである。
今の自我が永遠に生きることではない。また、肉の復活などはない。形あるもの、自我は残らないのだ。
なんにせよ、形あるもの、造られたもの、相対するものは、いずれは滅びるだろう。それが定め。
本来在るのは、「一」だけである。
グノーシスは、一見、今の正統派とされる、今のキリスト教会に駆逐されたにみえるが、表立ってはみえないが、
今も綿々と生きている。実は異端なのは、今の正統派とされる、今の表立って活動している今の教会なのだ。
彼らの教えは、イエスの教えから遠く離れる。今の教会の教えでは、誰も救われない。
人を救うのは、どこそこの宗教がどうこうではなく、永遠不変である、真理なのだ。
その視点で見れば、人々に新たなエゴをもたらす、宗教という団体は、妨げにしかならない。
今の教会は、彼らの、自分達の役目が終わるとき、我々の前から消滅するだろう。
そして、そのとき、キリスト教に限らず、宗教の役目は終わりをつげる。真のイエスの教えを理解する者は幸いである。