07/05/19 10:57:57 NIP/R2dF
>>417 :日々是修行:2007/05/19(土) 10:48:34 ID:bYjlim+4
>>413
>>永遠に変わらぬ物事ではないので、幻です。
>>幻=偽物、ではありません。本物も「幻」と思います。
永遠に変わらぬ世界があるのです。それが『天界』なのです。これが本
物の幻ではない世界です。永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
目的なのです。
421:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 11:04:26 pdg9hnqi
いや、仮に幻でも良いのですが
その場合でも幻が「在る」と言う事は否定できないのではないですかね
422:暇人
07/05/19 11:04:33 Cg7DKGFg
>>416
五受陰は『色受想行識』だね。
衆生の、つまり我々人間の構成要素を五つに分けたものだよ。
だから
五受陰の「色」は、我々の物質的要素である『身体』のことだね。
つまり五受陰とは、身体と心(感受作用・表象作用・意思・認識作用)、心身のことだよ。
我々の心身は、病.為癰.為刺.為殺.無常.苦.空.非我と思惟せよと
書いてあるわけ。
423:日々是修行
07/05/19 11:09:39 bYjlim+4
>>416様
お教えください m(__)m
「この世が幻だから生老病死がある」のではなく、
生老病死があるから、「この世」は幻と考えて宜しいでしょうか?
もう一つ、五受陰のご説明、
般若心経の「五蘊皆空」と捕らえて宜しいでしょうか?
>>419
無我様、拙者は今・この瞬間の存在をを否定してません。
仰った通り、コミュニケーションしているし^^
無我様は「幻」の文字(字義)に幻惑されておりませんか?
ここでいう「幻」とは思考概念であって、「無し」ではありません。
424:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:15:04 NIP/R2dF
>>423 :日々是修行:2007/05/19(土) 11:09:39 ID:bYjlim+4
>>416様
>>お教えください m(__)m
>>「この世が幻だから生老病死がある」のではなく、
>>生老病死があるから、「この世」は幻と考えて宜しいでしょうか?
>>もう一つ、五受陰のご説明、
>>般若心経の「五蘊皆空」と捕らえて宜しいでしょうか?
おっしゃる通りです。『生老病死があるから、「この世」は幻』です。
また、五蘊皆空=五受陰皆空という意味です。
425:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:19:04 NIP/R2dF
>>422
>>衆生の、つまり我々人間の構成要素を五つに分けたものだよ。
>>だから
>>五受陰の「色」は、我々の物質的要素である『身体』のことだね。
色とは肉体だけではなく肉体を含む一切の物質。
したがって、五受陰とは『この世と肉体と心』一切のことです。
だから『一切皆空』というのです。
426:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:23:01 UTfuL6Io
2点質問です
・合掌ってなぜするのですか?どのような意味合いがあるのでしょうか?
・以前、知り合いの葬式に出たとき、式後、お坊さんがおときで
お酒を飲んで顔を真っ赤にして酔っ払っていたんです。そんなお坊さんにお経をあげて
もらってほんとに成仏できるのでしょうか?
427:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:28:41 NIP/R2dF
>>421 :無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 11:04:26 ID:pdg9hnqi
>>いや、仮に幻でも良いのですが
>>その場合でも幻が「在る」と言う事は否定できないのではないですかね
おっしゃる通りです。
幻だから存在はしない。しかし、幻としては存在する。
これが仏の説く中道の意味なのです。
428:南無大師遍照金剛
07/05/19 11:29:53 iRNOXDux
ヽ(´∇`)ノ携帯だから読むのめんどくせ~♪
429:暇人
07/05/19 11:40:06 Cg7DKGFg
「色」を一般化して言う場合は、
肉体だけではなく肉体を含む一切の物質を意味にとってもよいね。
わざわざ『五蘊』を『五受陰』と『受』いれて言う場合、
『受』<upAdAna(煩悩)>を入れているのは何故だね。
我々の『煩悩』や『執着』を問題にしているのだよ。
430:暇人
07/05/19 11:42:58 Cg7DKGFg
厳密には『五蘊』の場合は『五取蘊』というね。
431:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/19 11:43:18 DdfdXRiA
>>426
>以前、知り合いの葬式に出たとき、式後、お坊さんがおときで
>お酒を飲んで顔を真っ赤にして酔っ払っていたんです。そんなお坊さんにお経をあげて
>もらってほんとに成仏できるのでしょうか?
話がオカシクないですか?
式後の酒は”お清め”ですから、酒のんで赤面しようが問題にはならんですね。
なんか話がオカシイなぁ~(~o~)
432:暇人
07/05/19 11:47:36 Cg7DKGFg
一切の物質との意味に取りたかったらそれでもいいが、
忘れてならないポイントは、
『煩悩の対象』としての「色」だよん。
『一切皆空』は、「此の世すべてが夢まぽろし」という意味ではない。
「この世のすべては生滅変化しつづける無常な現象なので、固執しても苦だ」と
いう意味だよん
433:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:48:25 UTfuL6Io
>>431
426です ごめんごめん ちょっと分かりにくかったですね
私が言いたかったのは、酒飲むような人間が
ちゃんと死者を成仏させられるのかってことなんです
434:日々是修行
07/05/19 11:49:23 bYjlim+4
>>424
ありがとうございます。
420で仰ってた「永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
目的なのです」について、少し疑問を感じます。
仏教の生命観は「無始無終」ですよね。
寿命は有限ですが、存在の本質は「是諸法空相、不生不滅、
不垢不浄、不増不減」ではありませんか?
西方浄土極楽世界も終着駅ではなく、阿弥陀仏が幻化した道場です。
そこで「諸善男子善女人」が「花開見仏悟無生」⇒菩薩の境地へ。
仏教の目的は、真理を追求する方法の伝承であって、
真理そのものを教えるのではありません。
絶対的な真理は、教えられるものではありませんからです。
釈尊も「余49年間説法して、何一つ法を説いてません」(金剛経)
お如何でしょうか?
435:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:55:50 DHtCY6HI
色受想行識:色=形有る物全ての存在
:受=色を認識する被対象
:想=認識した色を思考する思い
:行=思考した対象への実際の行動
:識=行動により得た知識と経験
空=色が成製流転している一様、その法則に則って
人もまた苦楽を享受している。
以上の事柄>>>>>在りて在る自分>>>>>超えられない壁>>>>>悟り
でしょうかね、釈尊はそれを超える道筋に光を灯したから仏陀
と呼ばれる様になったって聞いた事があります。
空は厳密には形あるものが成製流転する様の一様を表しているに
すぎません、生老病死も同じように生成消滅する一様です。
それを上手く理解して利用するのも人の智恵であり(夢の段階とも言えます)
それらに捕らわれ過ぎて無駄に苦楽の業を深めるのも人の業(わざ幻とも解釈できます)
それと上手に付き合う方法を説いているのが仏道の本核なのではないのでしょうか?
まずは中道に立つ自分と言う事なのでしょうかね?
436:神も仏も名無しさん
07/05/19 12:08:55 NIP/R2dF
>>429 :暇人:2007/05/19(土) 11:40:06 ID:Cg7DKGFg
>>「色」を一般化して言う場合は、
>>肉体だけではなく肉体を含む一切の物質を意味にとってもよいね。
>>わざわざ『五蘊』を『五受陰』と『受』いれて言う場合、
>>『受』<upAdAna(煩悩)>を入れているのは何故だね。
>>我々の『煩悩』や『執着』を問題にしているのだよ。
五蘊・名色・五受陰・五盛陰 皆同じ意味です。
『煩悩や執着』だけでなく、『この世の一切を嫌って離れよ』と言って
いるのです。>>410の通りです。
受は煩悩ではなく、『苦受・楽受・不苦不楽受』すなわち外界から六入
処(五官と心)によって受ける『苦しいものと楽しいものと苦でも楽で
もないもの一切』という意味で、『外界から受ける一切』という意味です。
437:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/19 12:09:00 C37uRkYg
>>433
>酒飲むような人間が
>ちゃんと死者を成仏させられるのかってことなんです
これもオカシな話ですね(~o~)
じゃあ、酒も一滴も飲まんで、しかも女すら抱いたことがない坊主が
お経を読むと成仏できるんでしょうか?
どんな坊主が読経しようと、故人は成仏はできんですよ。
葬式というのはセレモニーなんですから、
これ自体が本来は仏教的ではない。
ただ、
日本的な死生観において、既存仏教がその任にあたっているだけ。
そのような大局的見地において理解して頂きたいもんです。
438:神も仏も名無しさん
07/05/19 12:15:50 UTfuL6Io
>>437
私のような仏教に詳しくない一般人なんかは
お坊さんにお経をあげてもらって成仏できるってなんとなく信じ込まされているんですが
日本の仏教は、そうした一般人を騙してお布施をもらってるってことですか?
439:暇人
07/05/19 12:21:54 Cg7DKGFg
子供ぽい反論をされてもな。。。
名色を五蘊と同じと解釈するのは後代の仏教解釈だね。
例えば倶舎論で名色と言えば、色蘊以外の四蘊だね。
君の云う『受』は、
『五受陰』『五取蘊』という語の『受』『取』upAdAnaではなく、
「五」の中の一つであるvedanA『受』。感受作用のことだよ。
440:神も仏も名無しさん
07/05/19 12:26:33 NIP/R2dF
>>434 :日々是修行:2007/05/19(土) 11:49:23 ID:bYjlim+4
>>424
>>ありがとうございます。
>>420で仰ってた「永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
>>目的なのです」について、少し疑問を感じます。
>>仏教の生命観は「無始無終」ですよね。
>>寿命は有限ですが、存在の本質は「是諸法空相、不生不滅、
>>不垢不浄、不増不減」ではありませんか?
そこで般若心経はこの世界は幻であるから、生まれることもなく死ぬこともないと説くのです。幻を見ている世界は「無始無終」という意味です。
人間はこの世に対する愛着を滅する修行(阿含経の修行)によって死後、その悟りに比例して寿命の永い世界に生まれると説かれています。もちろん、死後に輪廻する世界は幻に違いはないのですが。
>>西方浄土極楽世界も終着駅ではなく、阿弥陀仏が幻化した道場です。
もちろんそうです。阿弥陀仏が造った幻の世界です。
441:神も仏も名無しさん
07/05/19 12:37:34 NIP/R2dF
>>439 :暇人:2007/05/19(土) 12:21:54 ID:Cg7DKGFg
>>子供ぽい反論をされてもな。。。
>>名色を五蘊と同じと解釈するのは後代の仏教解釈だね。
>>例えば倶舎論で名色と言えば、色蘊以外の四蘊だね。
**********************************************
識を縁じて名色ありとは、云何が名なる。謂ゆる四無色陰の、受陰・想陰・行陰・識陰なり。云何が色なる。謂ゆる四大と四大に作られし色なり。是れを名づけて色と為す。此の色及び前に説きし所の名、是れを名色と為す。(雑阿含より 国訳一切経)
**********************************************
このように阿含経には
名=受・想・行・識
色=四大と四大によって造られたもの。という意味です。
倶舎論など仏説以外はあまり読みませんのでよく分かりません。
442:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/19 13:10:57 C37uRkYg
>>438
>日本の仏教は、そうした一般人を騙して
坊主が「成仏します」とか言うのは、これは遺族の立場に立った言い方ですね。
身内を亡くされたばかりですから、
先ずは身内の精神的ダメージを癒すのも坊主の務めです。
その時は騙しでもいいじゃ~ないですか。
あまり本当のことを言う馬鹿もおらんでしょうから、
社交辞令的に遺族を安心させてあげる。
この方が得策かと思いますね。
>してお布施をもらってるってことですか?
お布施以外に収入の道はないですから、
布施はして頂きたいですね。
無理には言いませんけど、
香典が入るんですから、これはお布施代も含まれておるんです。
443:暇人
07/05/19 13:40:11 Cg7DKGFg
>>441
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
このサイトの関係者なのかね。
「法説義説経」は、漢訳雑阿含経巻12 第298経だね
URLリンク(www.cbeta.org)
釈尊が
「今から縁起について説くから良く聴いてよく考えなさいよ」と説くわけだね。
この箇所では「識→名色→六処」という十二支縁起が説かれているわけだが、
この「名色」の説明は不十分だね。
六識身「眼識身・耳識身・鼻識身・舌識身・身識身・意識身」
名色「受陰・想陰・行陰・識陰・四大に作られし色」
六觸身「眼觸身・耳觸身・鼻觸身・舌觸身・身觸身・意觸身」
と経典は説明するのだが、
正しいのは
六識身「眼識身・耳識身・鼻識身・舌識身・身識身・意識身」
名色「色・声・香・味・触・法」という六境
六觸身「眼觸身・耳觸身・鼻觸身・舌觸身・身觸身・意觸身」
444:暇人
07/05/19 13:46:22 Cg7DKGFg
失礼。
× 六觸身「眼觸身・耳觸身・鼻觸身・舌觸身・身觸身・意觸身」
○ 六内入処「眼入処・耳入処・鼻入処・舌入処・身入処・意入処」
445:神も仏も名無しさん
07/05/19 17:57:39 i9bezX+q
机上の空論
446:神も仏も名無しさん
07/05/19 22:24:21 xPZ+I7yn
「机の空論」に見えた
447:神も仏も名無しさん
07/05/20 01:00:38 oEzzZdhX
知りうるモノは、過去から現在、未来といった時間の領域にある。
全てのウゴキは時間であり時間は自由の要素では無い。
選択の自由などということは、自由を否定してる。
選択とは、混乱がある所にだけ存在すっるのだw
明確に知覚し内省することで選択の苦から自由になれる。
コノ秩序は、思の産んだモノでは無い。
思考が活動すれば、断片かを促すからだw
愛は、ソレ等、思考や快楽の断片じゃない。
愛と知性は切り離せないモノ。
ココから出た行為は苦痛をウムコトが無い。
ソノ、オーダーが土台だからだね。
448:神も仏も名無しさん
07/05/20 14:32:40 pO8eRM7L
>>441
なんか見覚えのある物言いだと思ったら、仙人さんだったのか。。
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
↑
ここでガンバってる、この世は気の持ちようでなんとでもなると説いているトンデモ仏教の主宰者さんね。
449:神も仏も名無しさん
07/05/20 14:38:07 pO8eRM7L
できれば暇人さんにお答えいただきたいのですが、
六波羅蜜のなかの般若波羅蜜はビパッサナと解釈できたりするのでしょうか?
>>345に紹介された根拠についてどのように思われますか?
450:暇人
07/05/20 14:48:46 FmGhRaq6
>>449
345さんは個人的修習過程で 自分なりの納得があったので
それでいいのではないでしょうか。
一般的に波羅密は完成の意味で、菩薩の六実践ですので、
「サマタ+ヴィパッサナー」という修行と別体系ですので
違うものを無理にいっしょに読み解く必要を感じません。
あえて言うならば六波羅蜜の「禅定」は
「サマタ+ヴィパッサナー」ではないかと。そこを分けていないと思います。
451:神も仏も名無しさん
07/05/20 23:20:17 pO8eRM7L
>>450
ありがとうございます。
>345さんは個人的修習過程で 自分なりの納得があったので
>それでいいのではないでしょうか。
>>345を書き込んだのは私ですが、リンク先の記述者とは別人ですので念のため。
>違うものを無理にいっしょに読み解く必要を感じません。
やはりそうなりますか。リンク先の記載にはヴィパッサナーに対する偏重を感じましたが、
偏見が入っていたのかも知れませんね。
ついでなのでお聞きしたいのですが、八正道の正念をヴィパッサナーと解釈する説明を
最近見かけるようになりました。
これは正しい解釈と考えてよろしいのでしょうか。
452:暇人
07/05/21 01:08:55 GOJP0xjb
南伝の日本テーラワーダ仏教協会などは、
ヴィパッサナー瞑想を解説する時、「四念処」を例示したりして
説明する立場から「正念」をヴィパッサナーと説明するみたいですね。
「正念」=「四念処」はそのとおりですね。
これをヴィパッサナーと結びつけるようですが、根拠は私にはよく
わかりません。
八正道に無理矢理当てはめれば、
「正念」というより経典に拠れば「正見」か「正定」ではないかと。
「定」はサマタですが、パーリ増支部には「正定」が他の七支を助ける
とありますし、雑阿含では「正見」が他の七支を起すとありますので。
ヴィパッサナー瞑想を具体的に説明するとき「四念処」の
1,身体を不浄
2,苦を体感する
3,心の無常を実感
4.法の非我を知る
が解りやすいかもだからでしょうか。
私はよくわかりませんので原始佛教スレなどで尋ねられてください
453:神も仏も名無しさん
07/05/21 08:25:38 TaHONbGx
ありがとうございました。
最近の原始佛教スレは雑談罵倒スレになってしまっていて、とても見るに耐えません。
あのスレは定期的にこういう状態になってしまうようですので、しばらく落ち着くのを待ちたいと
思います。
とりあえず、質問箱に暇人さんが出入りされているのが知れて安心致しました。
454:神も仏も名無しさん
07/05/21 19:38:57 XqmvEmwB
① 初禅から第四禅までは、いわゆるディヤーナ(禅那、新訳で静慮)ではないでしょうか。
そして第四禅はいわゆる「止観均行」で止と観の両方があり、ここで悟りを開かれ、
またここを出てすぐに無余依涅槃に入られたと。
新訳で「静慮」としたのも、この止の面に当てて「静」、観の面に当てて「慮」とした、
ということのようです。
また禅那 dhyAna の語根 dhyai には、考える、という意味があるので、「止」だけでは
ないように思われます。
ちなみに、正定の「定」は原語がサマーディで、識無辺処定などのサマーパッティ、四禅の
ディヤーナ、シャマタ(サマタ)やヴィパッサナーなどを包含する言葉だと思います。
サマーディ、三昧・定
サマーパッティ、等至・八定
ディヤーナ(ジャーナ)、静慮・四禅。<大乗の六波羅蜜の禅波羅蜜>
シャマタ(サマタ)、止。こころの散乱を止める。
ヴィパシュヤナー(ヴィパッサナー)、観。法を観想する。
② 安那(入息)と般那(出息)を入るに任せ、出るに任せて観察するさまは、身心の動きを、一々
そのまま観察する(言語化もしますが)「ヴィパッサナー瞑想」と同じ方式の観想法のように思います。
「正念」の「念」も「安般念」の「念」と同じサンスクリット語のスムリティ(パーリ語ではサティ)です。
「正念」の方は本来、仏陀の教えを正しく記憶しておく、ということのようですが、スムリティとは
忘れずに覚えておく、ということですので、「安般念」の「念」にも通じるのでしょう。
逆に、「止観」における「観」とは、その原語は同じでも、指している内容はかなり異なっている、
とした方が、要らぬ混乱を防げるのではないか、と考えます。
止観の方には、四諦や縁起などの法を観ずる、という悟りに直結する面があるのに対して、いわゆる
「ヴィパッサナー瞑想」の方は、そういうところに至る前段階の、身心を整える準備段階のものだと思われますので。
455:神も仏も名無しさん
07/05/22 20:00:05 ZRIF/Xcc
>>454
ご丁寧なご回答をありがとうございます。
大変に多くのヒントをいただきました。
そのうちにどこかのスレで議論のネタに使わせていただくことになると思います。
456:神も仏も名無しさん
07/05/22 20:25:47 j/XIlU55
深見さんのごちゃまぜ仏教を肯定したところで、カルトはカルトだよ
457:神も仏も名無しさん
07/05/22 20:59:20 A/jEY8h7
観(ヴィパッサナー)は『仏教要語の基礎知識』では三学の定と慧のどちらにも分類されていますね。
「ヴィパッサナー・パンニャー(観慧)」という熟語もあるので、ヴィ(分析して)・
パシュ(観察する)ということが、悟りの智慧を生み出す大切なことがら、ということなのでしょう。
そうして後には「般若仏母」という考え方まで出てくることになったのでしょうね。
「般若波羅蜜は是れ諸仏の母なり」(大智度論34)
458:神も仏も名無しさん
07/05/23 23:38:17 9AYhA31q
観自在菩薩は観法が自在な菩薩だってえのは本当なんでしょうか?
459:神も仏も名無しさん
07/05/23 23:48:48 YKeenXJg
観が自在な法だと思います。
法ならば観は自在だと思います。
460:神も仏も名無しさん
07/05/24 07:54:17 UDxI55HE
釈尊は人間ですか? インド人ですか?
461:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/24 08:00:20 wyGNROLz
仏教に置ける超越者に付いて質問致します
一見、仏教は無神論に見え、そう言う解釈もありますが
深く分けいって行くと殆どユダヤ―キリスト教の神と変わらぬような神を説く経典もあり
どうやらこの超越者としての仏に全て実を委ねる事こそが
悟りだと言う側面もあるように思います
超越者に関しては皆様は如何思われますか?
462:神も仏も名無しさん
07/05/24 19:26:58 yOZ/MLJW
ワールドメイト信者乙
463:日々是修行
07/05/25 10:31:02 ReMTM/Q8
>>461 超越者としての仏に全て実を委ねる事こそが悟りだ
「仏に全面的な信頼を置いて、悟りの道を辿る」と思いますが、
お如何でしょうか?
拙者も仏教は無神論だと認識してます。
キリスト:神は絶対的であり、何人とも真似できない存在である。
仏教:衆生は誰でも仏になる可能性はある。
できれば「ユダヤ―キリスト教の神と変わらぬような神を説く経典」を
教えてくださいませんか?
464:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 16:40:33 9LPrDf9S
>日々是修行様
キリスト教は父と子と精霊の三位一体の神がいる訳ですが
仏教でも「三身説」と言うのが在って
応身仏―報身仏―法身仏の三位一体だと聞きます
また、よく「これも仏の因縁か」みたいな事を言いますが
まるで事物の運命を司る超越者が居るかのような発言に思えます
もしそれが修行して仏になったかつての人間だったとしたら
もはやそれは「人間」じゃないでしょう
自然災害や人の生死の行方まで司る仏なる存在は
もしそれが元「人」だとしたらイエスキリストみたいな「人神」ですよ
少なくとも私はいくら修行してもこう言った事象の運命を操る「仏」には成れないと思う
それは修行してどうなると言う問題では無いですからね
465:南無妙法蓮華経
07/05/25 16:55:15 y8sX1fVL
仏は人間です。よく諸法に通達したものを悟ったもの、と言います。
キリストのように空想の神を信仰しているわけではないです。
日蓮大聖人の大曼荼羅には、仏の内証が凝縮されています。
日蓮正宗の信徒は、これを直感的に信仰することで、
釈尊仏法をも内包する果をいただくことができます。
南無妙法蓮華経
466:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:08:14 9LPrDf9S
>南無妙法蓮華経さま
日蓮様を信じてるだけで諸法に通達出来ると言う事は
もちろん貴方もある程度諸法に通じて居る訳ですよね
でしたら是非幾つかの法を説いて聞かせていただきたいのですが
467:南無妙法蓮華経
07/05/25 17:23:50 y8sX1fVL
自分が言えるのは南無妙法蓮華経が絶対ということだけです。
勉強中の身なのであまり偉そうに言えないです。
日蓮正宗の僧侶にいろいろ聞いてみられるといいと思います。
南無妙法蓮華経
468:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:25:37 9LPrDf9S
何故南無妙法蓮華経が絶対と言えるのですか?
469:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:27:36 9LPrDf9S
ちなみに仏教で言うところの「法」とは何の事なんですかね
いまいち捕らえどころの無い概念ですが
470:南無妙法蓮華経
07/05/25 17:40:06 y8sX1fVL
なんでも当てはまると思います。
娯楽・政治・宗教・産業・・・・・・・・・
全て法だといえます。
南無妙法蓮華経
471:神も仏も名無しさん
07/05/25 17:40:30 XLVefZR3
日蓮と真宗の現代教学は、仏教じゃないからね。
法は、多義的ですが、およそ四つの意味がありますよ。
1.教え
2.因
3.徳、習慣、法規
4.もの、現象
472:南無妙法蓮華経
07/05/25 17:42:41 y8sX1fVL
諸法は、移ろいやすく、普遍的に常住するとは言えない。
しかし、日蓮大聖人が顕された大曼荼羅本尊は
確固として700年前から日蓮正宗総本山大石寺に御存在しています。
473:南無妙法蓮華経
07/05/25 17:44:23 y8sX1fVL
第三次産業というのは法を売り物にしているといえます。
南無妙法蓮華経
474:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:55:21 9LPrDf9S
確かに大曼陀羅に限らず存在とは一種の因であり法かもしれませんね
私が在る事によって様々な因縁が生じて居るように思います
もちろん私も様々な因縁に因って生じて居る現象なのかも知れませんが
ところで万象の究極の原因として大日如来のようなものが想定されて居るのではありませんか?
それとも大日如来も因縁に因って生じたものですか?
或いは因縁そのものが大日如来であり
在るがままのこの世なのでありましょうか
475:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:59:02 9LPrDf9S
お釈迦様も因縁によって悟られたのではありませんか?
ならばお釈迦様を悟らせた因縁とはなんでしょうか
それとも悟りの因とは万物に存在すると言う仏性なのでしょうか
ならば仏性なるものはどう言った因縁によって生じたのでしょうか
476:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:06:11 9LPrDf9S
法華経の中に観音経と言うのが在って
ヒーッ!助けてと言う衆生の声を聞くと飛んで来て助けてくれるらしいのですが
この観音菩薩とは実存する生身の人間の事なのでしょうか
確かに世間にはたまに菩薩見たいな人も居て存在そのものが救いであり愛であるような場合があります
それとも観音菩薩は形而上的な存在で事象の背後に居て
事象を操り我々をそっと見守ってくれるような神的存在なのでしょうか
477:南無妙法蓮華経
07/05/25 18:10:03 y8sX1fVL
日蓮大聖人の御本尊様を因として南無妙法蓮華経をすると、仏に成れます。
南無妙法蓮華経
478:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:22:14 9LPrDf9S
現代科学に依ると人間もまた様々なる因縁に依って生じた現象であるとされますが
塵芥から人間を創造した宇宙の無限なる力
或いは人間を仏にするような無限の力
この力を大日如来と呼んで良いのでしょうか
だとするとそれは「神」(ゴッド)と同次元の存在ではありませんか
ゴーダマ・シッダルダは実在の人間ですがゴーダマさんをこの世に在らしめた力が在ってゴーダマさんが居る訳です
ゴーダマさんはこの無限の力ブラウマーに祈って悟りを得たと聞きます。一元論的に見ればゴーダマさんもまたブラウマーなのであり
自分の中の偉大なるパワー仏性が目覚め、ブッダに成ったとも考えられます
ブッダをブッダに在らしめた力とブッダそのものもまた同じ力なのです
法身がこのブラウマーであり、報身が具体的に働く因縁の力、例えばブッダの父であり、ブッダの敵であり、友であり、飢えたブッダにミルクを与えた少女であり、菩提樹であり、
難行苦行であり、風であり、雨であり、光であり、応身がゴーダマ・シッダルダであり、我々自身なのではありませんか?
479:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:30:46 9LPrDf9S
どうも日蓮宗と言うのはキリスト教と同じ構造を持って居るように思います
南無妙法蓮華経と言うのはキリスト教でいう精霊に当たります
日蓮様はイエスキリストであり
大曼陀羅は宇宙創造神のようなものではありませんか?
480:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:33:35 9LPrDf9S
日蓮宗に限らず仏教、いや宗教そのものが似たような神話世界観を持って居る訳で
生身の人間で在ったイエスは精霊が宿り神に成ります
日蓮も法華経を唱え仏になります
481:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:43:34 9LPrDf9S
仏説によると釈迦の悟りの内容は法華経に書いて在ると言います
だとすると法華経を信じるとお釈迦様になると言う事になります。
神に熱心に祈ったところ法華経が釈迦の精神に宿り、釈迦は法華経を説きました
法華経の原理はこの宇宙に客観的に存在して居り釈迦はそれを悟ったから仏になったのです
すると「悟る」とは法華経を知る事です。
もし、釈迦の悟りの究極的な内容が法華経に書いて在ると言う仏説が事実ならばですがね
法華経を学び実践する者は原理的に皆、ブッダなはずです
482:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:45:24 9LPrDf9S
それとも法華経が最高経典と言う説は嘘なんでしょうか
483:南無妙法蓮華経
07/05/25 18:47:18 y8sX1fVL
ようするに、本を読んだらその思想が心にインストールされる、にも通じる話だと思います。
仏の当体である法華経に南無すれば、仏に成れます。
日蓮大聖人の御本尊を強く胸に宿せば、仏に成れます。
良い法を行じるものは、神も守護します。
南無妙法蓮華経
484:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/25 18:57:04 2hcf6IvT
>ようするに、本を読んだらその思想が心にインストールされる、にも通じる話だと思います。
なるほどφ(..)メモメモ
>仏の当体である法華経に南無すれば、仏に成れます。
簡単に成れるもんですね(^_^)v
>日蓮大聖人の御本尊を強く胸に宿せば、仏に成れます。
ほんとですかか?(@_@;)
>良い法を行じるものは、神も守護します。
騙されてはいけません\(゜ロ\)(/ロ゜)/
485:南無妙法蓮華経
07/05/25 18:59:56 y8sX1fVL
嘘かまことか、まことか嘘か。
確かめるために退屈な人生を
南無妙法蓮華経にかけてみましょう。
南無妙法蓮華経
(^^)
486:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 19:00:57 9LPrDf9S
ものは試しで今から法華経3巻(岩波文庫)を熟読して見ようと思います
これで仏に成れなかったら嘘です
487:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/25 19:34:24 2hcf6IvT
>>485
退屈な人生にかける。って・・・?
そうですね、
それもいいかもしれませんね。
うわああああああぁぁぁぁぁ~~~\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
488:神も仏も名無しさん
07/05/26 00:21:23 B7xYjSrb
>>474
大日如来も、あらゆる本尊も空性ですよ。観想の対象としての本尊であって、
実在ではありません。確かに現代真言宗でマクロコスモスとか仰る方がいますが、邪見です。
>>475
縁起です。仏性も空性です。空といっても現れや働きはありますが実体は原子も神もないという意味です。
>>476
加持も縁起です。重要なのは、心の力です。心で強く願い続けることで縁起し加持が起こるのです。
>>478
科学というのは、西洋思想が根源にあって、何か本質を追究する還元主義の流れが主流でした。
しかしながら現代科学の量子論は、反還元主義で仏教の縁起に近い考え方です。
何か還元するクォークのような実体的基盤も、創造主も認めないのが、仏教です。
>>481
それはありません。
>>482
インド・チベットでは法華経が最高経典とはいいません。日蓮の『法華経』解釈は邪見です。
>>486
内容を正確に理解し、それを実際に修行しなければ悟れません。
インド学は、200年の歴史があり、少なくとも1万人ぐらいの人が
文献学によりかなり正確に『法華経』を読みましたが、誰一人悟りませんでした。
それは修行しないからです。それに『法華経』から修行法を読み取るのは難解なので、
本来は、師に就くべきです。それができないならスマナサーラ本かダライラマ本を
読んで見てください。『法華経』に関連するなら『摩訶止観』か『天台小止観』をお勧めします。
489:日々是修行
07/05/26 00:25:09 e/YwcJn5
>>486
無我様、理解する=悟ると、勘違いされておりませんか?
「悟る」とは、「理解」でも「感じ」でもありません。
>>483
法華経は確かに素晴らしい経典ですが、
御題目だけで成仏できるとは思えません。
490:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 01:25:17 PQnx+fo3
>インド・チベットでは法華経が最高経典とはいいません。日蓮の『法華経』解釈は邪見です。
法華経最高経典説はそもそも日蓮の説ではなく
天台大師や弘法太師の説だと聞きます
天台も空海も仏教界の最高権威者で彼らが悟ってないなら一体誰が悟ってるんだよと言うような人達ですが彼らの意見も邪見なのでしょうかか
>加持も縁起です。重要なのは、心の力です。心で強く願い続けることで縁起し加持が起こるのです。
とすると、ブッダのイメージは大事ですよね。
もう考えられる限りの人間の理想像がブッタと考えて良いでしょうか
そしてそれに成りたい成りたいと強く強く念ずると成れると
>それは修行しないからです。それに『法華経』から修行法を読み取るのは難解なので、 本来は、師に就くべきです。それができないならスマナサーラ本かダライラマ本を 読んで見てください。
悟ると言う事とブッダに成ると言う事は違うのですか?
師に付いた方が良いとおっしゃるのであれば是非師を紹介してください
ダライラマ本を読んで見ますがダライラマは悟ってるのですか?
491:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 01:37:30 PQnx+fo3
無我様、理解する=悟ると、勘違いされておりませんか? 「悟る」とは、「理解」でも「感じ」でもありません。
悟った事が無いので分かりませんが
熟読すると言ったのは法華経の作者の精神に触れるような読み方をすると言う事ですね
また南無妙法蓮華経さまの口上を信じるならば釈迦の悟りは数学的真理のようなもので学習すれば三歳児の子供でも悟れる性質のものであるような印象を受けます。
悟りと言うものが法則を自覚するものだとすると
法則とは人格とか経験とは無関係に存在して居る訳で
理解が出来れば三歳児でも悟れてるし
理解が出来なければ難行苦行を積んだチベットの高僧でも悟れないものだろうと思います
492:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 01:48:32 PQnx+fo3
もう考えられる限りの人間の理想像がブッタと考えて良いでしょうか そしてそれに成りたい成りたいと強く強く念ずると成れると
だとすると具体的なイメージとしての御本尊様としての日蓮を拝んで居る日蓮宗の人達の修業法は仏教哲理からして間違いでは無いですね
日蓮が人間の最高の理想像かどうかは扨置き、具体的なイメージがあると精神が集中し易いです。
そう言えば最近、若い世代にキムタクとかタッキーそっくりの人達が増えてますが、そりゃもう言動からルックスまでそっくりなんですが
キムタクやタッキーが彼らの御本尊様だと
段々それらしくなってくるんですかね
そうだとすると仏教理論は正しいですね
493:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 01:54:48 PQnx+fo3
心理学で言うところの同一化機制と言う奴ですよね
仏像と言うのは無意識の願望を具象化したもので、案外宮沢賢治が阿修羅像を拝んでた為に血へどを吐いて死んだと言う説も正しいかも知れません
494:神も仏も名無しさん
07/05/26 08:25:56 B7xYjSrb
>>490
> 法華経最高経典説はそもそも日蓮の説ではなく
> 天台大師や弘法太師の説だと聞きます
天台大師は、確かに法華経最高経典説ですが、日蓮とは質が違います。
法華経は、包括的な教えで決して排他的な教えではありません。これはインド以来の伝統です。
『摩訶止観』『天台小止観』は、『ヴィスッディマッガ』などによく似ています。
弘法太師は、法華経最高経典説は取ってません。密教は言うに及ばず『華厳経』より低く観ておられます。
悟りには階梯があります。例えば、空性を悟っても、それを深めていかなければいけないのです。
ダライラマ猊下は、少なくとも空性は悟っておられます。
ですが、どの程度の境地かは私のような者には伺いしれません。
ダライラマ本をお読みになるのでしたら、
『ダライラマの仏教入門』
『智慧の眼をひらく』
『仏教哲学講義』
『愛と非暴力』
の順番で読むといいかもしれません。
その前に、マチウ・リカールさんの
『僧侶と哲学者』
『掌の中の無限』
を読まれてからの方が誤解が少ないかもしれません。
師は、ご自身の縁で出会うのが良いと思いますよ。いろんな先生を観てよい先生と出会ってください。
それでは不親切なのでダライラマ猊下の師でもあるトゥルシ・リンポチェはいかがでしょうか?
URLリンク(www.chiwongmonastery.com)
495:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 10:28:11 PQnx+fo3
494さま
紹介を頂き本当に有り難うございます
ところで今、『掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時』のブックレビューをさっと読んだのですが
ちょうど前レスで議論があった空性と創造原理に付いての議論が物理学者とフランス人の僧侶マチウさんとの間にあったようです
どちらの意見にも肩入れせず私の見解を述べますと
仮に宇宙が空性だろうがゴッド創造者が居ようが
人間が今此所に在ると言うのは事実な訳です
前レスの議論で在ったように
仮に私が幻であろうとも幻としての私は在ります
宇宙が幻であり空の原理に貫かれていたとしても
その空は星を造り、太陽を造り、鉱物を造り、生命を造り、動物を造り、人間を造り、テレビを造ったり、パソコンを造ったりしている訳です。
この宇宙の原理が空であれなんであれ
空は「無」を生み出したわけではなく
テレビを生み出し、人間を生み出し
インターネッツを生み出し
仏教を生み出し
地球を生み出し
天文学を生み出し
有りとあらゆるものを生み出したのです
それらが幻であるにせよ
この幻の多産な事に私は驚きます
そしてこれは「時間」の経過と共により高度なものに発展して来て居ります
人間は無数の細胞の集まりですが
空はまず元素を創造し、単細胞生物を創造し、多細胞生物を創造し、さらに社会を創造し、より高度な事物を日々大量に創造して居る
仏教がそんな事は無い全ては空だとかいって目の前の事実すら否定するとしたら
仏教は思想としてはもはや現実しない空疎な観念論に堕落して居ると言う事になるでしょう
496:神も仏も名無しさん
07/05/26 11:25:01 B7xYjSrb
では無我さん、私とは何でしょうか?
私の本質はなんですか?
497:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 11:31:59 PQnx+fo3
分かりません
何でしょうか
498:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 11:45:15 PQnx+fo3
私の本質は「思い込み」じゃないですかね
499:日々是修行
07/05/26 11:45:37 e/YwcJn5
>>496
「私」は自我の認識。
「私の本質」は縁起生滅と考えて良いんじゃないでしょうか?
>>495
無我様、なんだか誤解されてるようですね^^
真空生妙有。「空」は「全て無し」ではありません。
そして、仏教は目の前の事実を否定してません。
ただ、目の前の現象に囚われず、その本質を見ようと言ってる。
500:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 11:52:20 PQnx+fo3
理想と現実に置ける妥協の産物
501:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 11:55:35 PQnx+fo3
本質などないというのが仏教の立場では?
502:、、大王
07/05/26 11:57:27 t2X1d6gM
むずかしすぎて、、わっかんなあい、、、
503:日々是修行
07/05/26 12:08:53 e/YwcJn5
>>501
どこでそういう曲がった論説を身に付けましたの?
○X宗やX○学会の「ご本尊」はよく解りませんが、
物事に、道理に「本質」はあっていいんじゃないの?
504:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 12:11:27 PQnx+fo3
仏教では私を私足らしめて居るのは無明であるなんて言いますね
私はこう言うHNですが
よく日常の生活の中でエゴに囚われて失敗してしまうことがあります
だからその都度、イカンイカンと思って
エゴを滅却するのですが
果たしてエゴの正体とは何だったのだろう
さてエゴの代わりに
「仏への意志」があり、それが私の全てかと思いますね
仏とは諸法を悟って衆生を救う存在です
505:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 12:15:32 PQnx+fo3
ここでの議論の流れの中でそんな話が在ったと思いますよ
この世をこの世足らしめて居る原理などなく一切は空であると
そのような議論の流れの中でレス番495の意見を述べました
506:日々是修行
07/05/26 12:23:47 e/YwcJn5
>>505
だから、その「空」に対する認識が偏ってませんか?
「永遠じゃない」=「無し」ではありません。
507:日々是修行
07/05/26 12:36:20 e/YwcJn5
無我様。「我」をご存知ないんですか?
「我」を知らなければ、「無我」はありえませんぞ?^^
「放下」を言う前に、持ち上げてなければ言う資格はありませんよw
「仏とは諸法を悟って衆生を救う存在」
仏とは衆生を救いたがる存在です。それは仏の意志であり、慈悲である。
で、助けてもらいたい、もらいたくないは衆生の智慧である。
508:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 12:37:07 PQnx+fo3
多分、偏ってないと思われます
私が仏教で言う空=無であると理解して居ると貴方が理解して居るしたらそれは誤解です
509:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 12:40:12 PQnx+fo3
確かに御存じないですね
そろそろ無我から空也とでもHNを変えようかと思います
510:神も仏も名無しさん
07/05/26 13:25:45 B7xYjSrb
その通り、本質はありません。
その本質のないことを空と呼んでいるわけです。
本質がないのに私を非常に大切にしますよね。
さらに私の身体、私の父母、私の家、私の車などなど、
所有物を大切にします。そしてそれらがいつまでも変わらず今のままであって欲しいと思います。
これに関連してマチウさんは『掌の中の無限』202頁で次のように述べてます。
> 私たちは、現象についてマクロ的で還元主義的な知覚をもつけれど、
> 私たちには何でもこの知覚に引き寄せようとする頑固な傾向があり、
> 多くの問題がそこから生じているはずです。
身体、父母、家、車などと言われる確固とした実体があるように知覚することを言っています。
そして~であると認識したら、それ自体がずっと不変であるように思っている。
そして何より、私を実体視し強力に執着することから、さまざまなトラブルが発生するので、
あるがままのありようを観るヒントとして、縁起、無常、空、無我という概念装置を言葉で提供しているわけです。
ですから、空というのは、何もないことを意味するのではなく、
不変の実体、固有性、本質というものがないことを意味します。
すべての現象が縁起によって相関関係のなかで生成していることを意味しています。
それについて『掌の中の無限』は、現代人に納得できるように巧みに説かれているので読んでみてください。
とても私はマチウさん以上に巧くは説明できませんから。
511:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 14:18:55 PQnx+fo3
丁寧なご説明有り難う御座います
西島和夫さんによると仏教哲学者のナーガルジュナは空を「あるがまま」と捉えて居たと言います
この説に依ると「あるがまま」に生きる事が仏教の悟りと言う事になります
確かに、空を悟るとかやって居るうちは空を生きて居る事にはなりませんからね
空の世界に空である私が飛び込んで行き一体となり空の世界を構成する
これが三昧と言う境地でしょうかね
512:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 14:22:00 PQnx+fo3
こうやって書き込みをする事も空の世界に実際に影響を及ぼしている訳ですからね
投げた石が水面に波紋を呼ぶように
波紋が波紋を呼び空の世界を構成する
513:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 14:28:54 PQnx+fo3
実際未熟な人間が「在るがまま」に生きたりするととんでもない事になるのですがそれもまた「在るがまま」の世界なんですよね
「あるがまま」の世界に恐れを成して仏教を学んだりするのもまた「在るがまま」なんですが
一番よいのは「在るがまま」に降伏してしまう事だと思います。
そしてそれは言わば「神」に帰依することと同義なのであろうと思います
514:神も仏も名無しさん
07/05/26 14:30:37 B7xYjSrb
西島和夫さんの本は、完全な邪見ですので、捨ててください。
彼の説は、空と反対の素朴実在論みたいなものだったと記憶しています。
彼の『中論』は、文法を囓った中学生が辞書を片手に言葉を当てはめたようなものです。
しかもそのパズルには、素朴実在論という彼の人生哲学が下絵になっているという、
全く酷いものです。
515:神も仏も名無しさん
07/05/26 14:59:49 B7xYjSrb
>>513
「在るがまま」の意味が違います。それは「思いのまま」「自分勝手に」でしょう。
だから、我、エゴがなくなれば「在るがまま」ですべて巧くいくんです。
その場で、最善のことを「在るがまま」にするからです。
エゴイステッィクな実際未熟な人間が「思いのまま」「自分勝手に」に生きたりすると
とんでもない事になるのですがそれは「在るがまま」の世界ではありません。
516:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 15:27:32 PQnx+fo3
もちろんそう言う意味で言って居りますよ
自分勝手に生きる人間を在るがままの世界に誘うのが在るがままの世界で
エゴイスティックな人生観を修正しないととんでもないことになりさらには「ポア」されるような原理が働いて居るようにも思える
それが在るがままの世界なのだ
517:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 15:33:37 PQnx+fo3
西島さんの中論は素朴実在論では無いと思いますね
氏に依ると「空」とは「目に見える総合的な現象」の意味らしいです。
518:神も仏も名無しさん
07/05/26 16:51:10 B7xYjSrb
>>516
仰る意味が分かりません。
とにかく『掌の中の無限』を読んでみてください。
西島さんの説は、私の印象で、素朴実在論みたいだと思っただけです。
ただし訳がムチャクチャなのは、はっきりと憶えています。
なんで、そんな意味になるのかという。
519:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 17:16:22 PQnx+fo3
いや、西嶋さんに言わせればこれまでの訳が漢訳中心で原典の意味をないがしろにしているとの事でした。
原典に忠実に翻訳すると
ナーガルジュナはこの世に信じるに足りる四つの信仰内容があり
1 理性(hetu)
2 客観的事物(alamaana)
3 現在の瞬間(anantara)
4 現実の神にも似た力関係(tathaivadhipateya)
さらに「行為」について分析して居ると言います。
520:神も仏も名無しさん
07/05/26 18:15:19 B7xYjSrb
それが正に良い例です。それは以下の『中論』1.2に基づいています。
catvaara.h pratyayaa hetur aaramba.nam anantaram |
tathaivaadhipateya.m ca pratyayo naasti pa^ncama.h ||
縁は四種、因縁、所縁縁、等無間縁と、増上縁である。第五縁はない。
これはただ部派仏教で受け入れられていた四縁説を列挙しているだけです。
hetur:因縁
aaramba.nam:所縁縁
anantaram:等無間縁
aadhipateya.m:増上縁 (ここに関しては単語の切り方さえ間違ってる)
という意味で、西島さんがサンスクリット辞典から適当に当てはめた意味ではありません。
こんなこと、ちょっと仏教を勉強すれば分かることです。西島さんの訳は妄想全開ですね。笑える。
こんな簡単なことがクリアーできてない西島さんの本は、読むだけ混乱の元なので、捨てましょう。
西島さんは、傲慢で無知なだけですよ。
『中論』の研究者は、梵蔵漢に基づいて緻密な研究を行ってます。
梶山雄一先生、丹治昭義先生がよい研究をされてます。
最近では石飛道子先生が、真に革新的な研究を準備しています。
和訳は、中村元先生の文庫本が一番入手しやすいので、それがいいでしょう。
といって中村先生の中観研究は、優れたものではありませんが、西島さんに
比べれば、天と地ほどの差があります。
521:神も仏も名無しさん
07/05/26 18:52:53 wfiYf1m4
>>519
西嶋さんはやめた方が良いけど、石飛さんにも注意が必要だよ。
三浦さんが批判しているんで、参照してね。
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
522:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 18:57:52 PQnx+fo3
丁寧な御指摘有り難う御座います
ただ、学術的研鑽を積み重ねた中論研究が真理と合致しているかと言うとそうとは限らないと言う場合もあると思います
西嶋さんの妄想爆裂中論研究の方が実は現実的であり(仏法に適って居り)
オーソドックスな研究の方が間違いと言う事はありえるのではありませんか
もっとも!その可能性もあると言うだけの話で何も西嶋さんの研究に肩入れして居る訳ではありません。
私は仏教学者ではありませんので、現実に生きる知恵を仏教経典には期待して居るのです
どちらが正当な解釈かと言う論争は仏教学的には価値があっても宗教的には余り重要では無い。
523:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 19:17:07 PQnx+fo3
西嶋さんは西洋思想にもかなり通暁して居るインテリと思われその中論研究は欧米形而上学の難問を上手く克服しその先に在るものを掴んで居るような形になっており、オイオイ竜樹さんそこまで考えてたのかよ、ちょっと出来過ぎだろうと言う気が確かにしますが。
しかし彼の中論研究を現代の「仏教哲学者の著作」と考えれば
竜樹さんの思想を現代に生あるものとして甦らせた功績はそれなりに評価できるのではないかと思います。
524:神も仏も名無しさん
07/05/26 19:20:26 I1httt00
神社仏閣でお願い事を唱えていて、それが他人に聞かれてしまったらどうなるのでしょうか?
525:神も仏も名無しさん
07/05/26 20:19:35 B7xYjSrb
>>522-523
西島さんは、話にならない妄説ですよ。言うことはいいました。
後は、ご自身で選択してください。
526:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 20:44:57 PQnx+fo3
不思議と西嶋妄想訳は心に染み入るものがあるんですな
特に24章【崇高な現実の検証】は目から鱗です
特に西嶋さんの訳が優れて居るからでは無くブッダの教えが際立って優れて居るからかも知れませんが
主観的な独自性への帰属の中では、現実に道義を顕現するものは現れて来ない。
そして現在のこの場所に置いて道義は存在するが、主観的な独自性への帰属は確認される事が無い。
目の前の総合的な現象をはっきりと見る人は、この世の中を見る。
苦しみや、総合的な現象や、それと同じように自己規制は、まさに道義そのものである。
527:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 20:48:38 PQnx+fo3
525さま
御教え本当に有り難う御座いました。
御仏縁に感謝します
528:神も仏も名無しさん
07/05/26 23:22:15 I1httt00
>>524にお答えください
529:神も仏も名無しさん
07/05/27 00:21:43 T2CTeLrN
>>524
なんにもなんないから安心しなよ。
530:神も仏も名無しさん
07/05/27 01:29:53 lfHReGSX
ワタシたちは、どんな導師も、どんな指導者も、どんな話し手をも
受け入れることを拒否できないのでしょうか/
他人との関係、話しかた、声の調子、つかう言葉などで
自分の観察したこと以外..ナニもうけいれてはイケマセン。
ソノ全てに気がついてれば、、ソノ時、本当に注意深くなってる奈良バ
完全に異質なこつが起こってるの�・
531:ルー
07/05/27 01:44:55 hgvBVKaN
大日如来というのは実在する神なのでしょうか?
ユダヤやキリストの神の同じなのでしょうか?
それと、弥勒菩薩なのですが、神道の日月神示にでてくる救世主ですが、仏教でも
救世主としてこの世に降臨すると予言しているのでしょうか?
日蓮は弥勒が現れると予言しているらしいですが、いかがなものでしょうか?
532:神も仏も名無しさん
07/05/27 02:01:13 lfHReGSX
シンジナイという罪、グループのホカのヒト達と一緒にイナイという罪、
言葉では無く、その背後に潜む感情についてはご存じですね?
わるいことをした
タメに、後悔や懸念を感じ、其のためオソレや不安を感じるということです。
罪悪感は彼らの人生を酷く苦しめます。
すると、それはとてつも無く大きな問題になり、それが非常におおくの人びとの
罪悪感の背景になったりもします。
パターンは云います。
『何かしなければならない!正しい行為とは何か!誰がオシエテくれるのか!
精神科じみた所へいかなくては!』
このような馬鹿げた事実については全部ご存じです。
だから、常に努力は矛盾を意味し、DQN生産モンです。
努力とは、自分がそれとは別のものだという意味なのです。
本当の真実とは、観念ではなく、あなたが自分の特質、自分の怒り、妬み、憎しみ、不安、混乱、であるという現実です。
この事実を実際にみて、そこにとどまるの。注意、、、そうですね。事実から遊離したウゴキは何も無いのです。
xただ事実と共にとどまる仏教。
激しい痛みがあればとどまれません、
しかし、心理的痛みと共にいて、心で、そうだ!痛いんだ!
といえば
ということは、事実から遊離した逃避のウゴキが無いという意味ですが、そのとき
その本質には葛藤がありませんw
あなたの能のパターンを壊したことになりますので、釈迦のように純粋な発見をみいだすのですた。
533:神も仏も名無しさん
07/05/27 02:42:37 BLa4ar8H
>>529
そうなんですか
願い事に影響はないんですか?
534:神も仏も名無しさん
07/05/28 06:17:05 heJrEFqX
仏教とは
なまくら坊主が屁理屈を並び立て
民衆をかく乱し
金をふんだくって
道楽をするためのものです
民衆を救うどころか
世をかく乱する 恐ろしい退廃文化である
535:神も仏も名無しさん
07/05/28 15:44:19 e6ttcZ3E
>>533
願いを唱えても叶うことは滅多にないから、
他人に聞かれたからと言って、どうってこたぁねぇよ
536:神も仏も名無しさん
07/05/28 22:18:08 S9VXxXyC
あらそうですかあはは・・・
537:神も仏も名無しさん
07/05/29 01:01:07 m88xwN+9
親御さんの培った借金や夜逃げなど、または、
爆竹で年寄りを心臓発作に遭わすような生活態度を省みる
安全な転び方と、正しい立ち直り方について
ソンナ感じですよね。
538:神も仏も名無しさん
07/05/30 01:16:34 gfoD36Ll
松岡農相の葬儀の映像で、会場で遺影が掲げられているときに
告訴してと言う言葉が浮かんでしまったのですが、仏教的には大丈夫でしょうか?
仏教のほうがいいと思ったので相談しました。
539:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/30 06:53:32 ZoJxAvJJ
>>538
>仏教的には大丈夫でしょうか?
仏教的には大丈夫です。
というか、極端に脳の負担が過度になってるかと思います。
(これは自覚はあるんじゃないですか?)
自覚はあるけど、脳が勝手に反応してしまう。
というのは正常じゃないですね。
URLリンク(life8.2ch.net)
ここで相談するのもイイかもしれません。
異常に自覚があるのは、まだまだ軽症です。
たぶんノイローゼかと思いますね。
過度のストレスが原因で、このような症状が出る場合が多い。
540:神も仏も名無しさん
07/05/30 13:40:57 j0/UpNU3
無意識の願望が実現するというのは心理学の世界では常識ですが
人間の無意識の究極の願望は仏に成ると言う事なのでしょうか
無意識なので私にはなかなか意識できないのですが
私の日々の失敗からあらゆる出会いに関しても意識はしてなくてもすべて仏に成る修行をして居ると考えられない事も無い。
仏教ではマナ識アラヤ識と言う世界を想定し無意識の研究は最先端と言う事なので是非知られざる無意識の世界に付いて教えてください
541:神も仏も名無しさん
07/05/30 15:16:49 xb/wj+eG
はじめて滝行してみようかと考えてるんですが、
必要なものはなんですか?褌くらいですか?
542:神も仏も名無しさん
07/05/30 15:31:22 YXJQAfHB
>>541
風邪薬もっていくと良いよ。
543:神も仏も名無しさん
07/05/30 15:55:33 xb/wj+eG
>>542
8年くらい風邪引いてないんで多分大丈夫です。
褌だけでいいっすか?
544:南無大師遍照金剛
07/05/30 16:22:17 Bo/lwqF+
>>540
荒屋敷や真羅邸とかは書店や図書館にあるから見てね
分からなかったら
ヨガとか瞑想もやってね
仏教は瞑想や禅の実践なんでヨロ
545:神も仏も名無しさん
07/05/30 17:12:58 Acl6zKOZ
>>539
そうですか。脳がオーバーヒートしていると思います。
あと、松岡農相の遺影の写真が流れたときに、ざまあみろと言う言葉が弱いながらも浮かんでしまいました。
この場合は、映像が切り替わっても手を合わせればいいんですよね?
メンタルヘルス板のほうがいいということですね。
ストレスですか、わかりました。
>>540
無意識の願望は実現してしまうのですか?
じゃあ無意識で不利益な願望を抱いていたとしたらそれがなってしまうんでしょうか?
健在意識で抱いている願望は実現しないのですか?
546:神も仏も名無しさん
07/05/30 18:07:49 j0/UpNU3
無意識の願望は実現します
貴方は実際松岡農相が死んだニュースを聞いて「ざまぁみろ」と思われたと言って居りますが、日本全国で何千万人と言う人が「ざまぁみろ」と思ったと思います。
即ち何千万と言う人間の呪いが彼を死に追いやったのです
ユングは個人の無意識の他に集合無意識を想定して居ます
例えば集合無意識のごく表層に「家族の無意識」が在ります。
子供などがそうで自分の意識よりもむしろ家族の無意識に影響されて行動する事があります。
例えば僕は全然野球に興味が無かったのですが何故か少年野球のチームに入りました。
これは親父が無意識に望んで居た事でそれを敏感に察知してなんとなく野球を始めた訳です
我々は言葉では無く「心」に反応する性質があります
親父は言葉では野球しろとは言いませんでしたが心で強く願って居り、しかも無意識の感受性が強いタイプの人間だったので、ついフラフラと「私」は野球チームに入ってしまった訳です
このように心と心は繋がって居り、余り傍若無人な振る舞いを繰り返し周囲の人間に「死ね」と思われて居る人などは
ついフラフラと無意識に崖から足を滑り落としたり、フラフラと首にロープをかけて自殺してしまったりするケースもあると思います
また「人を呪わば穴二つ」と俗に言う言葉が何を意味しているかというと
ある人を呪うとその死の念が伝わります
呪われた人は意識のレベルでは呪殺など全然信じて無くとも
呪われた事によって自分を呪う対象を激しく憎みます
そして無意識に同じ力かそれ以上の「呪い返し」をします
それで共倒れになり「穴二つ」なんだと思います。
ですから如何に憎い相手がいても人を呪う事はやめた方がいいです
どっちにせよそういう人は多くの人の呪いのパワーを背負ってますから長いことは無いのですが
断末魔の呪い返しの力で地獄に引きずり込まれる恐れがあります。
547:神も仏も名無しさん
07/05/30 20:41:21 AJx+R+rh
それは死んだ後に思ったことでしょ?
だからその雑念が彼を死に追いやったとは思えない。
無意識の願望が実現するんだったら、俺はとっくに死んでるよ。
548:神も仏も名無しさん
07/05/30 23:36:09 j0/UpNU3
いえ、死んだからふと本音が出て来たのでしょう
まぁ少なくとも死ねと思われて居ても不思議では無いでしょ
好き好き大好き松岡さんとは思われて無かったはず
貴方が死なないのは自我が相当強いか
周りに毒にも薬にも成らない存在と思われて居るからかどっちかで
仮に貴方が死にたいと思ってるとしても
死にたいと思って居る事を意識して居るのでそのことは自我のコントロールにあるのです。
549:神も仏も名無しさん
07/05/31 19:58:31 33N7smZr
なるほど、そういうことですか。
550:神も仏も名無しさん
07/06/01 02:10:09 Nb8icKqW
ゴ自身の考案物、必死の希望、ある種の慰めへの願いゆえの発露が
相変わらずなので哀れなものですyo
551:神も仏も名無しさん
07/06/01 03:24:15 9k5+HElC
どういうことですか?
552:神も仏も名無しさん
07/06/01 12:19:16 8Rk2oVmf
現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である(ヘーゲル)と言う事です。
553:神も仏も名無しさん
07/06/01 18:58:35 CAewwJck
>>552
いまだにヘーゲルですか?古ッ!
もう既に破綻してしまった戯言ではなかったのか?
ま、ご自分の周りを見ればわかるだろ。
不合理的な物事がわんさとあるんだろ?
年金問題にしろ、老人医療問題にしろ、皆そうでしょうw
554:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:02:39 8Rk2oVmf
破綻してるかどうかはその身で知れ。
これでも仏教徒かねw
555:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:05:17 8Rk2oVmf
ま、仏教徒と言っても転びマルキストのにわかの集まりなんだろうが
556:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:22:43 k0fIHHg1
なぜ「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的」なのか?
そもそもここで言う「現実的」「理性的」とはどういう意味か? 説明してください。
557:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:26:38 8Rk2oVmf
現実とはそのまま現実の事です
仏教的に言うと現実の中に高度な仏の意志が働いて居ると言う事です。
558:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:48:25 k0fIHHg1
>>557
仏教で現実は、無常、無我、空、縁起です。
> 仏教的に言うと現実の中に高度な仏の意志が働いて居ると言う事です。
これはヘーゲル的神、さらにはセム的神を「仏」と読み替えているだけですよね。
さて、仏教でこんな高度な神を説くのは、日蓮宗と真宗の近代教学だけだと思いますが。
559:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:54:32 CbbXGecY
>>558
現代日本仏教は、大なり小なり、似たような言辞を用いるよ。
厳密な教義に於いてではなくて、対人としてね・・。
そして勿論「神」としてでもない。
560:神も仏も名無しさん
07/06/02 02:30:44 MBgK8l2F
ちょうど花がそっと咲くようなもんです。
561:神も仏も名無しさん
07/06/02 12:25:22 SDtLsuX+
【悪霊に支配された街:秋田】
~秋田県民の多くは悪霊が輪廻転生を繰り返した産物である疑い~
URLリンク(www.megabbs.com)
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
ここまで酷い事が行われているならば
「怨念をもった心霊」が輪廻転生したケースは当然、存在するだろう。
その場合、その心霊が生前に酷い犯罪被害を受けただけで
根は素晴らしい人であるケースや、生前に殺しを繰り返し
根自体も悪霊そのもののケースとが当然ありうる。
後者の場合、輪廻転生を受けた現世の人物自体が
やはり悪鬼(悪魔)になりうる。その負のサイクルを秋田は繰り返しているのでは
ないか。よって秋田の現実の人間達は、代々トランスポゾン汚染されたゲノムだけでなく
輪廻転生した心霊面でも大きなハンディキャップを背負い、
益々、悪鬼化しているのではないか。そういった意味で、心霊面でも
底知れぬ程、病んだ地域というのは実在しうる。また、悪鬼(悪魔)の血族・地域集団
というのは当然、保存されうる。自然淘汰の過程でそういった行動様式・思想様式は
保存され進化しうる。それが秋田でありユダヤではないのか?
そういった意味では秋田にはやはり一般人は近づくべきではない。
悪霊が支配しているのは比喩ではなく事実であろう。
日本国民はこの秋田県地域には絶対に近づかない方がよい。
一つ間違えれば殺害される。彼らの殺しは容赦がない。
9月の秋田国体や8月の竿灯祭にも行かないほうがよい。
一つ間違えれば消される。秋田はそういった特殊非人地域である。
日本ユダヤ問題はこういった事にもつながっている。
秋田は悪霊に支配された怨念地域だ。
悪霊に取り付かれたくなかったら秋田に来るのは止めたほうがよい
ここは黄泉の国だ。人間が住める場所ではない。
562:南無妙法蓮華経
07/06/02 12:28:52 pQonV3G+
そのリクツはおかしい。
563:神も仏も名無しさん
07/06/02 17:37:30 W+7HR/xn
>>561
大阪のほうが余程怖いと思うけどw
564:神も仏も名無しさん
07/06/04 02:01:57 GSdkKxQC
神様消えろ!と感情をこめて浮かんでしまったので
浄土宗の懺悔(さんげ)文を唱えました。
これで僕は許されますよね?
565:南無大師遍照金剛
07/06/04 06:26:30 3Vikc4BM
>>561
秋田に来る?
ヽ(´∇`)ノ貴方は秋田県民?
566:神も仏も名無しさん
07/06/05 22:19:00 9rWY9XAL
ずっと前、仏教では煩悩が頭から離れないときは「びゃっこつか」という
考え方があるとTVで聞いた覚えがあります。
しかし、今その内容が思い出せません。誰か分かる方がいたら
教えてください。
567:承狂 ◆nR84EH8w52
07/06/05 22:30:46 VRgRP8Nw
白骨化かなぁ?
もしかして、四念処の身不浄観か?
あとは誰か頼む。(笑)
568:神も仏も名無しさん
07/06/05 22:49:46 9rWY9XAL
>>567
「四念処の身不浄観」?
ググっても出ません。よろしければ詳しく教えてください。
569:承狂 ◆nR84EH8w52
07/06/07 10:43:31 kq4RUE0X
失敬失敬。
「四念」
又は、
「四念處」
或いは、
「四念住」
でググってね?
てか、違うかも知れねぇぜ?
570:日々是修行
07/06/07 11:58:45 sX9n1gmI
つ観身不浄、観心無常、観法無我、観受是苦
571:神も仏も名無しさん
07/06/07 17:54:44 O7tz56TP
それは、白骨観、骨鎖観、骨想、骨相、骸骨想などと呼ばれてます。こんな感じです。
不浄観に九想や十不浄というものがありまして、その中の一つをそう呼びます。九想はこんな感じです。
URLリンク(www2.library.tohoku.ac.jp)
美しい弘法大師の『九想詩』を勝又俊教先生の訓読でどうぞ、
新死の相第一
世上には日月短し 泉裏には年歳長し 速疾なること蜉蝣の如し 暫爾にして落崩しぬ
風雲のごとくに貪庫を辞し 火蜉のごとく欲城を罷む 生期既に数に盈ちて 死籍方に名を注す
諸の寿命は霞の若し 刀利の匠堂に非ざるも 救い贖わんこと未だ解らざる所なり 詠吟して傷を懐く
肪脹の相 第二
丘陵虚しく且つ広し 人跡隔てて猶お断えたり 皎潔として明月度り 蕭瑟として秋葉滿つ
悲みを含んで起つて四に望む 但だ屍の一りあるを覩る 裸衣にして松丘に臥せり 髮を被つて長夜に眠る
唯だ四相を以て遷る 半偈に投ぜし人に非ず 昔の時は万牲の厨 今は更に百獸の膳
青■(ヤマイダレ+於)の相 第三
鬼吏永く脱るること無し 死坑深くして底無し 滿月已に光を掩ふ 寶鏡轉た自ら負る
既に飄を被るる燈の如く 復た落花の枝に同じ 日往いて轉た爛を増す 月来たって更に自ら黛くる
白蠕は孔の裏に蠢き 青蝿は骨の上に飛ぶ 昔日の愛を尋ねんと欲するに 一たびは悲み一たびは愧づ可し
方塵の相 第四
四大は良に厭ふ可し 五陰は理として恃み難し 風火去つて還らず 水土將に朽敗せん
青黒にして且つ寛滿なり 膿んで猶お爛れたる莠のごとし 九孔より流るる所の汁 一界甚だ臭穢なり
猛獸其の側らに踞り 禍烏鳴いて一たび提ぐ 體は此の野の塵に留りて 魂は何の處にか歸るとか為る
572:神も仏も名無しさん
07/06/07 17:58:56 O7tz56TP
方亂の相 第五
見縛は超え難き網 分段は恆の報に非ず 命の速かなること飛ぶ箭の如し 身の空なること朝露の如し
玉顏は亦た膿血なり 芳體は徒に敗腐す 臭氣風を逐つって遠く 膏腹炎のごとく隨つて流る
錦衣は其の爛れたるに羞づ 光枕は人の覩るに非ず 悲歎するに及ぶ所なし 涙を拭ふて還るに路を移す
骨猶連なれる相 第六
影に畏れて陰を知らず 蝶の如くして世雲に居り 命の短きこと電光よりも急なり 松下の塵埃と作んぬ
平生には市朝の華 今は白骨の人なり 黄鵠子を呼ぶに非ず 青柳復た田に非ず
春花徒に自ら香し 明月空しく山を照す 呼嗚永く寂寞として 終に獨り春を知らず
白骨連の相 第七
寂寞として人跡希なり 蕭散して聚落に遠ざかる 見るに朽敗の髏あり 倏然として中澤にあり
松柏良陰を作し 荒茨濕席を蓋ふ 風雲に恆に曝され 霜露更に自ら瀝る
日來れば日に隨つて枯れ 年去れば年を逐つて白し 青柳の根を殖うと雖も 豈能く■(鳥+扁)鵲を招かんや
白骨離の相 第八
永く無きこと夢の虚しきが如し 塵境は如泡の體なり 娑婆は厭ふべき所 閻浮は樂しび寐ぬべきに非ず
膚血は夜の月に異なり 骨柳は復た華さくに非ず 爪髮は各の草を塵る 頭頚は東西に散ず
落葉半ば體を覆ふ 秋の菊時に愛すべけんや 涙を垂れて禁ずること能はず 空しく是れ人の爲めに啼く
成灰の相 第九
山川は長くして萬世なり 人事は短くして百年なり 髏膝已に盡く滅して 棺槨猶お塵と成んぬ
魂尸は依る所なし 神魄豈に墳を守らんや 碑の上に聊か名を題す 隴底に寧ろ君を斂めんや
日月に黄白の土なり 終に黒風の山に歸す 唯三乘の寶のみあり 修せざれば八苦の人なり
六識今何にか在る 四大劣に名を餘す 寒苔は壤を縁つて緑なり 夏の草は墳を鑽って生ず
嚢の中に糧尚お在り 松下に髮猶お青し 蒼蒼として隴雲合ふ 瑟瑟たる夜の松の聲あり
573:狗 追う 者
07/06/07 21:11:31 LVInHucm
┃電柱┃x・`)チラッ
574:神も仏も名無しさん
07/06/09 20:09:53 iYwNQjCY
仏に逢うては仏を殺せ、祖に逢うては祖を殺せ
いわゆる殺仏殺祖は
『臨済録』にある言葉ですが、
中国の公案『無門関』にもまったく同じ言葉がでてきます
URLリンク(www.baus-ebs.org)
これは日本の臨済の言葉が中国に渡ったと考えていいのでしょうか?
それともまったくの偶然に中国と日本の禅で同じことが考えられたのでしょうか?
あるいは、臨済以前にもともと禅に殺仏殺祖という考え方があったのでしょうか?
詳しい方おられましたらご意見ください
575:神も仏も名無しさん
07/06/09 20:33:26 6wPz8xTF
>>574
詳しくは、無いのですが
もともと、中国の公案です。
臨済宗も、中国から伝来。
仏に会うては、仏を殺し。
ほとけとは、くそかきベラ、とも、あるいは、くその一本棒とも。
おまえ自身がほとけなのに、どうして、おまえを殺すの?
ほとけさまの体内にあっては、ほとけ、外に出たとたんに、くそ、と、言う。
576:神も仏も名無しさん
07/06/09 20:40:44 6wPz8xTF
>>575
公案は、問う、答えるという形。
問う、
答える、
門前の痩せ狗にも仏性はございますか?
有る。
577:神も仏も名無しさん
07/06/09 20:52:50 gCG53sd5
>>574
臨済宗の開祖は中国の禅僧、臨済 義玄(?-867年)です。
臨済録は彼の語録。
無門関は、中国宋代(960-1279)に無門慧開(1183-1260)によって編集された公案集。
当然、臨済録からも採集されています。
578:神も仏も名無しさん
07/06/09 21:04:12 iYwNQjCY
臨済宗は日本の禅宗で、
臨済を日本の禅僧だと勘違いしておりました。
たいへん失礼をいたしました。
お恥ずかしいです。
しかし、本来すごく大切なものを殺せとか糞とか、
禅ってツンデレですね
579:狗 追う 者
07/06/09 21:09:21 6wPz8xTF
>>578
「本来すごく大切なものを殺せとか糞とか、禅ってツンデレですね」
では、大切なもの、とは ?
改めて、考えてくださいな・・・
580:素人
07/06/09 21:45:36 5I8P1BAE
ツンデレとは・・w
言い得て妙ですね・・・。 >>578
581:狗 追う 者
07/06/09 21:49:35 6wPz8xTF
>>580
> ツンデレとは・・w
> 言い得て妙ですね・・・。 >>578
言い得てるのですね・・・_〆(。。)メモメモ…
582:承狂 ◆nR84EH8w52
07/06/10 11:50:30 ku0qqyhU
禅って、アレだろ?
ヨガと仏教のアイノコの宗教だろ?
ツンデレとは違うぜ?
ツンツンした後は馴れ合いじゃねぇの?
悟ったフリを皆でしてる連中だぜ?
583:神も仏も名無しさん
07/06/10 22:04:14 bjuPZvLs
>>582
君は、禅に限らず仏教について殆ど何も分かってないんだから大口叩かないように。
584:神も仏も名無しさん
07/06/11 05:23:54 6L0JEof9
禅は不立文字だそうですが、なんで禅語公案の類がいやになるほど多いんです?
どこが以心伝心だって思うんですけれど
585:狗 追う 者
07/06/11 13:30:28 Krzm5vNt
>>583
禿同 !!!
586:狗 追う 者
07/06/11 13:37:08 Krzm5vNt
>>584
> 禅は不立文字だそうですが、なんで禅語公案の類がいやになるほど多いんです?
> どこが以心伝心だって思うんですけれど
中国で、禅が迫害を受けていた時代、禅僧は見つけられ次第殺され、教の本は、焼かれました。
そこで、中国全土に、散らばっていくことになりました。
それがまた、禅宗の中国全土の隅々まで広がることにもなりました。
そういうわけで、他の人が聞いても、何を言ってるのか分からないような、例えば、その土地のはやり歌やら、俗謡など、方言なども、取り入れられました。
教典はありません。
そこが、不立文字です。
そして、伝えられたものは、以心伝心によって、です。
587:神も仏も名無しさん
07/06/11 16:35:58 h0K78/De
教えてください。ある寺に百度石ってあったんですが、お百度参りと関係ありますか?
寺回りの最中で時間なくて聞けなかったけど気になって。
お百度参りって発祥は?また、何故どうやってやるものなのか知りたいです。
お願いいたしします。
588:狗 追う 者 騎射
07/06/11 17:43:23 88lTpvTN
>>587
お百度参り、百度石
URLリンク(www.tctv.ne.jp)
589:神も仏も名無しさん
07/06/11 21:13:04 6L0JEof9
>>586
慧可が迫害されて死んだのは知ってますが、
禅僧がやたら殺され経が焼かれたと聞いたことがありません
そして禅宗が中国全土に広まったのは慧能以降ですよね
禅宗普及のきっかけとなった六祖壇経は禅の教典ではないのですか
590:狗 追う 者 騎射
07/06/11 22:36:07 EniNQ2Ud
>>589
良く、調べて・・・
591:神も仏も名無しさん
07/06/13 09:34:35 Q907Ya2D
専用スレにどなたもいらっしゃいませんでしたので、おことわりを入れた上でこちらで質問させて頂きます。
夏休み期間に勉強の為に上京しますと、お盆に予定がさしかかり父母の実家のお墓参りに同行出来ません。
期間中本当に勉強一心なのか?そもそもその勉強自体、娯楽なのではないか?と訳が分からなくなってきました。
一年に一度のお盆の意義をお教え下さい。私への厳しい言葉をお願い致します。
592:南無大師遍照金剛
07/06/13 15:29:47 yPoSbB8D
>>591
貴方はどうしたいの?
結局貴方次第
後悔しないようにね♪
ヽ(´∇`)ノ
593:狗 追う 者 騎射
07/06/13 17:05:11 nb9OD5rD
>>591
仏教と葬具は、無関係、なのです。本来。
いつの間には、葬儀が、仏教みたいになっていますが。
また、
キリスト教も、葬儀とは、無関係なのです。
「死者をして、死者を葬らしめよ」と、イエスさんも、言っています。
宗教のインドにおける原意は、
「いかに、生きるか」と言うことです。
生老病死。
すべて、
生の中の出来事です。
そう言うことが分かってくれば、お盆、とか、見え方も違ってくると思います。
594:狗 追う 者 騎射
07/06/13 19:38:57 n9SvFdzr
>>593
訂正
仏教と葬具は、無関係
↓
仏教と葬儀は、無関係
595:神も仏も名無しさん
07/06/15 00:21:24 dx42FsIh
>>592-593
回答ありがとうございました。自分自身に真剣に問いかけながら、過ごしてみようと思います。
596:神も仏も名無しさん
07/06/15 14:40:29 wPii8IV6
仏教用語
「歌頌」って何て読むんですか?
識者の方m(__)m
597:神も仏も名無しさん
07/06/15 15:44:58 6NRs1kc2
歌頌?
偈頌じゃないの?
598:神も仏も名無しさん
07/06/15 16:33:34 2LR4BQhk
>>596
,.-─ ─-、─-、
, イ)ィ -─ ─- 、ミヽ
ノ /,.-‐'"´ `ヾj ii / Λ
,イ// ^ヽj(二フ'"´ ̄`ヾ、ノイ{
ノ/,/ミ三ニヲ´ ゙、ノi!
{V /ミ三二,イ , -─ Yソ
レ'/三二彡イ .:ィこラ ;:こラ j{
V;;;::. ;ヲヾ!V ー '′ i ー ' ソ
Vニミ( 入 、 r j ,′
ヾミ、`ゝ ` ー--‐'ゞニ<‐-イ
ヽ ヽ -''ニニ‐ /
| `、 ⌒ ,/
| > ---- r‐'´
ヽ_ |
ヽ _ _ 」
ググレカス [ gugurecus ]
(西暦一世紀前半~没年不明)
かじゅ
599:神も仏も名無しさん
07/06/15 16:45:47 wPii8IV6
>>598
㌧
600:神も仏も名無しさん
07/06/15 17:45:55 ULjcDzUY
歌頌、カジュは stotraで 歌頌称讃とも訳されるように賛歌。
偈頌、ゲジュは gaathaa, zloka 等で 詩歌。
翻訳文献には両方見られるが、シナ選述文献では禅宗以外では専ら偈頌を用いる。
601:神も仏も名無しさん
07/06/15 18:28:43 rvjhw+MV
教えてください。
なぜ、仏教では、輪廻転生から解脱したいんですか。
永遠に生まれ変わりたいと思ってはいけないのですか。
よろしくお願いします。
602:神も仏も名無しさん
07/06/15 18:47:41 ULjcDzUY
それは一切皆苦だからです。
輪廻の中で経験する全てが苦以外のなにものでもないからです。
603:神も仏も名無しさん
07/06/15 19:12:15 rvjhw+MV
>>602
ありがとうございました。
604:神も仏も名無しさん
07/06/15 19:21:09 jVospNgu
本来釈迦の説いた佛教に「輪廻」は無いよ。
むしろその当時のヒンズー教の教えである「輪廻」を否定した。
日本人の考える仏教(大乗)はほとんどが輪廻肯定だから勘違いが多い。
大乗仏教肯定派は認めようとしないけどねw
605:神も仏も名無しさん
07/06/15 20:00:44 Cg9zWA+S
>>604
またでたよ、末法唯物仏教論者が。
おまえ、原始仏典もろくに読んだことないだろ。
606:神も仏も名無しさん
07/06/15 20:11:28 Vypvl7vF
本日は弘法大師空海のお誕生日らしい
では、本物に登場してもらいましょう!
1200年前の写真だよ!
URLリンク(mandalaya.com)
607:神も仏も名無しさん
07/06/15 20:16:06 ULjcDzUY
>>604
それは根本的誤解です。その見解は、日本の近代仏教学者の一部と、現代日本仏教界の公式見解ですが、完全なあやまりです。
所謂、小乗といわれるテーラワーダでも輪廻を受け入れることが仏教入門の第一条件です。
ついでながらヒンドゥーと言われるものはその時代になかったので、
それをいうならウパニシャッド、叙事詩的「輪廻」でしょう。
まったく否定してませんよ。
十無記、十二無記の「如来の死後」というのは、解脱者の死後の問題です。
これについて「如来」を「衆生」と解釈し死後は否定されたとする説が
ありますが、水野弘元先生を始め何人かが徹底的に論破しています。
次に無我、だから輪廻の主体がないので仏教に輪廻があるはずがないという和辻哲郎の
詭弁がありますが、これは無常、無我、縁起、空についての無理解を露呈しているだけです。
現在の我々も無我ですが、縁起して連続していく、それと同じように死後も無我だが、
連続していく、これがはっきり説かれるのは『ミリンダパンハー』ですが、
原始経典にも死後、識が輪廻すると説かれる箇所があります。
その識も無常、無我で空なものが縁起する連続する形相を識と呼ぶに過ぎません。
608:承狂 ◆nR84EH8w52
07/06/15 20:27:59 0U4jNWp9
>>604
此所は、ブッダのダルマではなくて、ぶっきょうの質問箱らしいから、あんまり関わらない方が良いぞ♪
609:神も仏も名無しさん
07/06/15 22:05:14 kFoT4agz
釈迦の仏教に『ミリンダパンハ』は引き合いにならんだろ。
>原始経典にも死後、識が輪廻すると説かれる箇所があります。<そんな明言してるか?
空なものが縁起する、って何じゃそれw 般若心経信者か?
610:神も仏も名無しさん
07/06/15 22:15:49 ULjcDzUY
>>609
では釈尊の仏教と言える文献は何ですか?
また釈尊の仏教で輪廻を否定してる箇所とは?
空が縁起するが理解できなければ、無常、無我なものが縁起するで結構です。
同じ意味ですから。
611:神も仏も名無しさん
07/06/15 22:19:11 OBXGN883
新規質問お願いします。
数珠が墓前の行事で必要になり、また手元にないので明日購入する
必要があるのですが、ホームセンターに高い確率で売ってますか?
また、そのような間に合わせ的かつ安価なものは無礼でしょうか?
(ない方がよい?)
612:神も仏も名無しさん
07/06/15 22:32:23 ULjcDzUY
>>611
本来は動機の問題です。よい動機で参加されるなら良い行為です。
ですが問題は、他の人がどう思うかで、列席する人が数珠がないと怒ったり、
安物だと怒ったりするとよくありませんね。
だから、そのために数珠を準備するのは慈悲に基づく良い行為です。
なので列席者次第ですから、貴方が判断してください。
ホームセンターは、分かりません珠数屋、仏具屋を検索して、そこにいくか、
目的のホームセンターのHPや電話で確認してみてください。
613:神も仏も名無しさん
07/06/15 23:05:10 OBXGN883
>>612
ごもっともなお答え、ありがとうございます。
そのとおりですね。大変ためになりました。
仏具屋の開店状況が微妙ですので、ホームセンターであるかどうか
気になってる次第です。ホームセンターの販売状況については、
引き続き回答お待ちします。
614:神も仏も名無しさん
07/06/16 02:10:07 Gl8D42XR
イメージに追従するって、言わずと知れた安易な縁起に起因するのでナニだってことね。
人生の安易さに身をゆだねた、己の醜悪さをも無自覚にゴマカスてるオバサンに、どうしたいの?なんて言われても
真剣な思惑があれば、どうでもいい、としか思えないようなもんでしょうね。
けっきょく幸福を信じ過ぎてはいけないし、アテはずれだけはジブンで処理しなくてはならないんだけどね。
615:神も仏も名無しさん
07/06/17 11:38:21 eIrSkX2n
>>614
挙動皆縁法、言行悉造業。
物事は皆、縁起法に基づくものであり、
お喋りや行いは悉く新たなカルマを惹起している。
「無為」の心で過ごしましょう^^
616:神も仏も名無しさん
07/06/17 21:46:56 GTW7OE1P
過去スレもスレ内検索もせず、あえてageで質問します。
昨年、祖母が亡くなり仏式で葬儀をあげたのですが、火葬が終わって骨をひろう時の事ですが、
竹と木の箸で骨をひろいました。
これには何か仏教的な意味があるのですか?
それとも火葬場の演出ですか?
教えてくださいエロイ人
617:神も仏も名無しさん
07/06/17 23:41:34 vhq9X3A/
それは骨上げと言われる民間信仰です。
それを仏教と呼ぶのはどうでしょう?
こんな感じです。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
618:財政破綻厨房
07/06/18 12:30:34 BbReqoYk
>>617
なるほど、公営火葬場とは、地方公共団体の財政を圧迫しているわけですね。
よく知恵を出せば、民が個別に埋葬することも可能なわけだ。
知恵者が現れるのを待とうっと。
619:希美の情夫
07/06/18 14:18:15 aNOwyeg4
仏教がキリスト教より優れているんですか?
620:神も仏も名無しさん
07/06/18 14:48:26 bnX6rgL5
>>619
教えとしてどっちが優れているのか?というような命題は仏教には
ないかと。
比較宗教学の命題としてあなたがやるのならご随意に。
#まぁ今更比較宗教学の時代でもないけどね。
621:神も仏も名無しさん
07/06/18 15:32:52 hmBtQ0QZ
>>620
標準解答!^^
622:狗 追う 者 騎射
07/06/18 18:36:16 ZGXh6F/k
>>617
学びました、m(__)m アリガトォ
623:希美の情夫
07/06/18 18:55:46 aNOwyeg4
>>620問答になってないね
624:神も仏も名無しさん
07/06/18 18:58:12 bGOtK/zQ
>>619
誰がそれを判断するのかに拠るでしょう。
625:狗 追う 者 騎射
07/06/18 19:06:42 ZGXh6F/k
>>622
りんごの色は、何色 ?
真の暗闇で見たりんごは、何色に見えますでしょうか ?
みかんの色は何色 ?
真の暗闇で見たみかんは、何色に見えますでしょうか ?
見えません。
存在するのかどうかすら、分かりません。
在るのに、無い。
りんごも、みかんも、無い。
りんごという存在もなく、みかんという存在もない。
ただ、真の闇がある。
まあ、空気があると言えば、いいですかねー
すべての存在が、一つの色に、見える世界。
そこを、空(くう)、と言います。
そこに、灯を点します(ひをともします)。
瞬時に、りんごやみかんが、見えます。
そこが、また、色です。
色から入り、
存在の本質は、空であると受け取り、また、色に立ち戻る。
宇宙の成り立ちです。
626:神も仏も名無しさん
07/06/18 19:27:35 doRn+ZmB
>>625 素晴らしき譬噺と歓読しました。
627:希美の情夫
07/06/18 19:32:40 aNOwyeg4
仏教は言葉遊びなのね
628:狗 追う 者 騎射
07/06/18 19:35:28 ZGXh6F/k
>>627
そのコテ、やめなよ、男らしくない・・・[壁]* ¨)* ¨) チラッチラッ
629:南無大師遍照金剛
07/06/18 19:36:34 5XT7smlq
(*´Д`)ハァハァ
630:狗 追う 者 騎射
07/06/18 19:37:00 ZGXh6F/k
>>626
ども・・・
631:狗 追う 者 騎射
07/06/18 19:37:50 ZGXh6F/k
>>629
乙彼の様子・・・(爆)
632:希美の情夫
07/06/18 19:55:26 aNOwyeg4
色即子供
633:狗 追う 者 騎射
07/06/18 20:47:02 ZGXh6F/k
>>632
ばか、だね、こいつ
634:神も仏も名無しさん
07/06/18 20:48:49 bGOtK/zQ
>>595(>>591)
多岐に亘り、且つ回答にバリエーションの生じる問なので難しいですね。
極端に言ってしまえば、>>592に尽きてしまうわけだが、それではバッサリいきすぎなので
まず、ポイントを幾つか。
A〔その勉強は貴方にとって〕
1、「どれくらい価値あるものなのか」
2、「必要不可欠なものか」
3、「その時期(機会)でないと駄目なものなのか」
4、「自ら、娯楽のようなものという位置付けをしながらも、それでも必要なものか」
B〔(元レスには、それぞれの実家を守っている人はいると書かれていますので、)
「貴方が墓参しなければならない理由は何か」〕
1、「周囲の人間関係・視線(≒どう思われるか)が気になるから」
2、「自身の気持の問題(≒祖父母に対する後ろめたさ)」
3、「恒例・習慣としていることだから、行かないと、心の座りが悪い」
C〔その勉強が娯楽かどうか〕
これは、Aに関することですが、貴方が判断することです。他人に言える言葉は一つもありません。
D〔ご先祖様をお迎え出来ないのは・・・〕
貴方の受けとめ方次第でしょうw 勉強のためだから(→【貴方の為だから!】)、
ご先祖様も応援してくれるのでは? 毎年行っているならば、一度くらい行かなくても無問題では?
E〔お盆の意義〕
URLリンク(ja.wikipedia.org)
URLリンク(www.choutin.com)
URLリンク(www.choutin.com)
Aについて、仮に全てYESとして勉強の為の上京が必須とした場合、
・Bの部分に於いて、貴方が、自身を納得させられるかどうか。
・Cに関して、Dと受け止めることができるかどうか。
ということになりそうです。
個人的には、
せっかくの機会なので、お墓やお迎えは各実家の方に任せ、上京すべきだと思います。
635:神も仏も名無しさん
07/06/19 09:16:22 vSr48qms
宗教質問箱スレに書いてみたんですが、
こちらの方がいいのかなと思い再度書き込みさせて
もらいます。どうぞよろしくお願いいたします。
--------------------
最近、仏教のいろいろなお経に興味が出て
本を読んだりしているのですが、お経っていうのは
釈尊がお話された物語が書かれてるのですよね?
なぜ、その物語じたいが有難いのか、
どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で
物語を読むことになってるのか、その辺りが疑問に思う
のですけど。
例えば、そういう物語じたいに意味があるのであれば、
漢訳や音訳されたお経じゃなくて、オリジナルの
サンスクリットやパーリ語でお経をあげることになると
思うんです。でも、日本の仏教界はそういうことは
しようともしませんよね?
どなたかお詳しい方ご教授願います。
636:635
07/06/19 09:21:55 vSr48qms
宗教質問箱に書き込んでから丸二日でレスがありませんので、
マルチには当たらないと思います。
どうぞご存知の方ご教授よろしくお願いします。
637:神も仏も名無しさん
07/06/19 09:46:57 h0IoUgTX
>>635
すばらしい質問です。
お経に説かれているのは単なる物語ではありません。
釈尊が体得した法(真理)が説かれているのです。
この真理には多くの者を幸福にさせる功徳がそなわっています。
ですから、真理が説かれているお経を唱えることによって
その功徳が出現するというしくみになっています。
お経を漢訳で唱えるというのは少なからず日本人の形式主義がかかわっています。
昔の僧侶は漢文の読み書きができて当然でしたし、
僧侶だけでなく、知識人はすべて漢文で情報の伝達を行っていました。
しかも上述のごとくお経には読んで出現するという功徳がそなわっていますので、
内容を理解せずとも、読むだけで十分功徳を得ることができると考えられたのです。
この読経の功徳と日本人の形式主義とが相俟って
お経は漢訳のまま唱えるというかたちが習慣となったのでしょう。
ちなみに釈尊の使っていた言語は今日伝えられているサンスクリット語やパーリ語とは
異なるものであったそうです。ですから、これらの言語で唱えることが
そのまま釈尊の説いた説法の再現になるとはかぎりません。
638:神も仏も名無しさん
07/06/19 09:56:33 SVyL+3P/
>635
>お経っていうのは
>釈尊がお話された物語が書かれてるのですよね?
違うと思います。
>なぜ、その物語じたいが有難いのか
読み方によります。
仏教の経典は読み方によっては殆ど全部、瞑想法の写本です。
但し日本にはその解読法は、ごく一部を除いて伝わってない筈。
>どうして、仏壇などで、亡くなった方たちの前で
>物語を読むことになってるのか
日本は葬式仏教だから。
基本的に意味はないと思っていいです。
639:神も仏も名無しさん
07/06/19 13:49:18 jWl9NB/v
仏教の経典は哲学書だよん。聖書読みなさい!
仏壇なんて死者には何も関係ないんだな。金儲け仏教が先祖祭らないと祟りがあるとほらふいて金儲け!
祖先には尊敬の念を抱き自分に対し信仰をもてばいいんだよ
俺は希美の観音様を毎日拝んでいる
640:神も仏も名無しさん
07/06/19 15:46:26 r+TBmtlw
>>639
キリスト教は仏教の極楽浄土へ心身の聖めを祈る手立てを
コピーしただけの仏教コピーなんですけど。
641:635
07/06/19 17:04:42 PF98NFyI
>>637様
>>638様
どうもありがとうございました。
法華経や維摩経に関する本を読んでましたので、
これらは文学作品チックで非常に面白く、お経というのは
実はストーリーがあったのかと早とちりをして
しまいました。
「如是我聞」って書いてあるとも聞いたので、
てっきり釈尊がお話になられていると思いました。
勉強になりました。また疑問がわいたら質問いたしたいと
思います。お二方ともありがとうございました。
642:神も仏も名無しさん
07/06/19 18:08:29 ApS8G2iO
>>641
気長に待って下さい。
貴方の問いは、(日本)仏教の(継承されてきた)文化的在り様とも関わる部分を含むので、
長文になるかもしれません。
が、>>637-638だけでは不十分と思われるので、暇を見てレスを返したいと思います。
ノシ
643:狗 追う 者 騎射
07/06/19 22:52:36 tW0EpEwN
>>639
> 俺は希美の観音様を毎日拝んでいる
それ、なんという観音様ですか ?
キミちゃんの個人所有のものなんですか?
644:神も仏も名無しさん
07/06/19 23:11:16 czYoFzSf
葬式は仏教が日本に伝わる前からあったし、むしろ土着宗教に仏教が利用された。
先祖やら輪廻やらに関して仏陀は肯定していない(否定もしていない)わけだから
先祖を祭らないと祟りがあるなんていう思想は「土着宗教」もしくは「大乗仏教」の思想だな。
645:神も仏も名無しさん
07/06/20 10:43:30 ojPE+D4l
>>644
土着、で正解でしょうね。
「大乗」つったらちょっと微妙になります。大乗・小乗の定義付けが
揺らいでいる状況では尚更。
>>641
>「如是我聞」って書いてあるとも聞いたので、
>てっきり釈尊がお話になられていると思いました。
偽経も含め、全ての仏典が「如是我聞」で始まりますね。
「お釈迦様がこのように仰っているのを私は聞きました」です。
こう書かれているからといって、その経典が本当にお釈迦様がその
ようにいったか?というとそうとは限らないわけで。
単にその地域の民間伝承でしかなかった逸話を釈迦に仮託して書か
れたものとか、お釈迦様の伝聞として伝わっている話を書きまとめて
いったものとか、他の聖典を切り貼りコラージュしていったものとか、
まるっきりゼロから創造していったものとか。
色々あるでしょうね。
>法華経や維摩経に関する本を読んでましたので、
>これらは文学作品チックで非常に面白く、
その二つに限定していうなら、感受性を磨く為の文学作品として読まれ
た方が宜しいでしょうね。
646:狗 追う 者 騎射
07/06/21 01:19:18 kwr3P7Gq
SabaFc4eIw <= #1UB;mE'x
JihiSjw1CI <= #GUB`.Uqh
Toko.fcp26 <= #B:vb(a#(
ZenhTQw7ig <= #c:v$Q@IP
JihiPLS.kE <= #Bw8P~vqi
DeskpkBmKs <= #mw8UEZ6b
MugarulD1Q <= #6w8sD*Lr
HohoolNbU. <= #Dw8y=X\j
BudomrMzYU <= #uw8&nNUS
ZencLSCXOM <= #v&PKwqM1
ZenIonKCUQ <= #9&PlEF6J
ZenD3juyI6 <= #J&P?aT$^
TetuJYHdGk <= #La{0]5Pk
SusiuaPri6 <= #S1XH#Z?u
Zenwra8Pg. <= #*1XO)Bpf
Mutiz6MBEw <= #Z1XU:3z{
Takoghvebc <= #41X(G*:B
TenCgJtSik <= #)h]Z;wUA
Takejuyz9E <= #Ch]mVrdj
MomonND5do <= #'h]oh#/-
HandZ.2gWk <= #Hh]'CzLf
Haraiog76I <= #@S.42jH[
JihiajzfLc <= #ES.6Pdrz
West/BEG7o <= #oS.M6J5#
YumeVYtVx. <= #vS.q,TJ?
UchuL5EK6M <= #IHW6+.@t
WasirWL4ZQ <= #rHWMIIu&
Ocha50VLBE <= #DHWhfW|b
WestCmlW8w <= ##HW)=nbX
647:神も仏も名無しさん
07/06/21 01:34:27 jJOvv2ip
質問です。
釈迦以外に悟りを開いて如来になった方は
今まででいますか?
648:神も仏も名無しさん
07/06/21 01:38:23 9b2J2yt4
いません。だから拝みなさい
649:神も仏も名無しさん
07/06/21 01:43:34 E2slAFDV
「もったいない」が仏道に反するってホントですか?
650:狗 追う 者 騎射
07/06/21 04:50:43 kwr3P7Gq
>>647
おしゃかさまと、如来さま、同じかたです。
651:神も仏も名無しさん
07/06/21 07:39:21 eIDI7f2J
>>647
如来というとタターガタ論争を思い出すなw
如来云々を置いといて、「悟りを開いた」或いは「成就した」んじゃないか
な?と思われる先人なら何人かいますね。
確証のない話ゆえ、推測でしかありませんが。
652:狗 追う 者 騎射
07/06/21 18:00:13 ojlL2KFj
>>651
あなたが、ほとけ。
653:希美の情夫
07/06/21 19:29:25 x+hcghQ9
>>643
蟻の町のマリア希美様だ!
憶えておけよ。2ちゃんで見掛けたら直ぐに観音様拝ませてもらえ。
654:神も仏も名無しさん
07/06/21 21:58:53 pWwNl78i
もったいないと思う心は執着心=煩悩そのものだそうでして、
煩悩の火を吹き消して悟りの智慧を得ようとする仏教には
相容れない、って聞きました。
「もったいない」って普通の道徳観だと賛美されると思うのですが、仏教では違うのですよね?
655:狗 追う 者 騎射
07/06/21 23:31:03 v5wtwX+Z
>>653
> >>643
> 蟻の町のマリア希美様だ!
> 憶えておけよ。2ちゃんで見掛けたら直ぐに観音様拝ませてもらえ。
でも、あんた、きみちゃんの、まぶ、なんでしょ?
拝みたいって、言っても、良いの ?
へー
656:承狂 ◆nR84EH8w52
07/06/21 23:43:22 7pU/TJNE
>>654
もったいないから、其のままの姿に執着して手元に置いとくのと、
もったいないから、其の特質を活かして再活用するのは違うと思いますよ?
657:神も仏も名無しさん
07/06/21 23:55:45 aNFCT1B7
僧堂の半分は勿体ない精神。
658:神も仏も名無しさん
07/06/22 00:12:56 8QZ/v0Re
特質を活かして再活用するのであれば、それは「特質」に対する執着でしょう。
結局もったいないから捨てることができない。
結果はそのまま手元に置くのとかわりません。
もったいないという言葉には、本来不必要な余り物でさえ破棄することを躊躇させる妙な
魔力がありますよね。
もしかしたら、「もったいない」は法に対する負の真言かもしれない。
659:承狂 ◆nR84EH8w52
07/06/22 00:28:02 LFl0uGtu
>>658
執着して自分の為だけにしか使わないなら、そうですね。
仏教には布施、般若と言う概念も有ります。
あー、後は誰か宜しく。(笑)
660:神も仏も名無しさん
07/06/22 00:41:49 GupY0gp7
仏教についてどのように思いますか?
661:勿体無い
07/06/22 00:41:52 61G6PzXq
勿体無いとは、公共広告機構が3Rを云ってますが、
①無駄として辞去する ②消費自体を節約する ③資源として再使用する
④資源に戻す再利用する と云います。
4Rとは、リフューズ(Refuse)・リデュース(Reduse)
リユース(Reuse)リサイクル(Recycle)の4つの言葉です。
①リフューズ(Refuse)とは、不要な物を買わない・断ることを
いいます。スーパーのレジ袋や包装紙・割り箸等を購入時点で断ったり
本当に必要な物以外を衝動買いをしないと言う事になります。
②リデュース(Reduse)とは、ゴミの発生量や資源の使用量を減らす事。
又、長く使える物を選んで購入したりする事もゴミを量を減らす事に繋がります。
③リユース(Reuse)とは、一度使った物を廃棄せず、そのままの形で
再利用する事を言います。ビール瓶や一升瓶など洗って何度も繰り返し使用したり、
着ない衣類などをフリーマーケットに出す事などを言います。
④リサイクル(Recycle)とは、一度使った物を廃棄せず、再び資源化して
利用する事を言います。牛乳パックやダンボールなど回収してトイレットペーパー
にしたり、新聞紙にしたりして別の物を作る事をいいます。
実際に社会で行っているのを載せると如何かと余慶なコト書きました。
662:神も仏も名無しさん
07/06/22 01:28:17 8QZ/v0Re
①のみが激しく仏教的みたいな。
refuseと喜捨を合わせて無所得に近づければお悟りの智慧も近いか。
仏教的な「勿体ない」があるとすれば、そこに②、③、④は不要でしょ。
持っているものが増えちゃうからね。
663:希美の情夫
07/06/22 22:18:31 Jq7aWTgd
>>655俺のハニー希美は博愛精神なんだ。
いつも酔っぱらうとメールで観音様を配布する。
いまならカトリックスレにいるから来いよ。そして乞えよされば与えられん
664:狗 追う 者 馬上騎射
07/06/22 22:23:38 wmBcLjkn
>>663 きみちゃんのまぶさん
> >>655俺のハニー希美は博愛精神なんだ。
> いつも酔っぱらうとメールで観音様を配布する。
> いまならカトリックスレにいるから来いよ。そして乞えよされば与えられん
しっともせず、坐りもせず・・・(汗々)
カトスレに、キミちゃんは、いるんですね。
しかも、観音様、持ち込んで・・・_〆(。。)メモメモ…
わけ、わかめー、な気がしますー (笑)
665:クララ
07/06/23 00:11:28 uZHOKIeQ
のぞみはそんな女よ。いやがる人にも送りつけてくる。
ひとりよがりの女よ
666:神も仏も名無しさん
07/06/23 01:29:36 6Pk2z4Pv
執着のない心で「もったいない」と思うのは仏教的だと思う。
反発を感じることこそ、実は非仏教的。
お釈迦様が在家から頂いた革靴?を大切に履いていたお話が、多分あったような。
667:神も仏も名無しさん
07/06/23 07:49:28 BQH69B+c
執着がなければもったいなくないと思うのですが。。
そこらへんの関係がわけわかりませんが。。
668:神も仏も名無しさん
07/06/23 09:54:44 BkNXCxVN
中道こそ仏教の核となる部分です。
もったいない、と固執すれば、それはひとつの極端論→常見
もったいなくない、と逆説的に固執しても、やはりひとつの極端論→断見
ふたつの極端論を離れた、執着のない、ありのままの「もったいない」→正見
と、左様に解釈しております。
日本語というのは、いろいろと奥深いのではないでしょうか。
「もったいない(ものを大切にする)」という概念の背景にある、分け隔てのない、屈託のない
思いやりとか感謝の念を考えるなら、機械的にそれは情である、と判断するのは、仏教のロボット
化に繋がるのではないかと、私は思うのであります。
669:狗追う者 馬上騎射する者
07/06/23 18:46:07 AJ99LM8q
>>668
是非、コテハンを
でないと、
泥の海の底に沈んだ、黄金の仏像みたいですよ。
670:南無大師遍照金剛
07/06/23 19:27:36 GJe+0B+K
ヽ(´∇`)ノ中道は
八正道関係するね
苦集滅道
苦の集まりを滅する為の道
それが八正道
そして中道とは
片寄らないことにより
苦を産み出さない?だっけ?
671:神も仏も名無しさん
07/06/23 19:35:42 lkwU/ciM
ニューエイジ思想やオカルトと、仏教は、親和性がありますよね。
理論理屈ではなく、霊的な方面からの話題はここではスレ違いですかね。
みなさん、僧侶の方なのでしょうか?
672:神も仏も名無しさん
07/06/23 21:09:18 MjtivhG/
物凄い初心者です。スレ違いでしたらすみません。
牛頭天王と馬頭観音は、なぜ牛頭馬頭と一緒にされ牛頭鬼、馬頭鬼となったのですか?
673:神も仏も名無しさん
07/06/23 23:20:53 BQH69B+c
私は曖昧さをはぎ取ったとしても仏教は成り立つと信じているものです。
さしずめ、仏教ロボット化推進者といったところでしょうか。
なんとなくなあなあでわかった気になっている洗脳信者の方々にはうんざりなのです。
私の理解によれば、中道は智慧を得るためのバランスを意味します。
なんでも極端を離れれば良いというものではないと思うのです。
努力のベクトルは智慧に向かっていますので、この努力の方向性まで半端にしてしまうのは
ナンセンスだと思うのです。
私たちは中道という言葉をなんにでも便利に使ったりしないで、中道のお題として
適切かどうかを充分に吟味するべきなのではないかと愚考する次第なのです。
さて、もったいない、に中道は当てはまりますか?
私はそうは思いません。
仰るとおり、もったいない、には奥深いというか複数の意味があります。
そうであれば、もったいないに含まれるどの意味が適切で、どの意味が不適切なのかを
考える方が適切だと思うのです。