07/05/11 01:44:05 RO9WiumH
ヴィパッサナーに関しては、こんなのを見つけました。
URLリンク(www.dia.janis.or.jp)
さて、私は長年、六波羅蜜の「智慧」の位置づけがよく分からなかったのです。
つまり、六波羅蜜は、菩薩の修行方法とされているのに、通常の解説書などを読むと、
前の五波羅蜜を修習することにより、自ずと現れてくる智慧などと説かれていますが、
これだと「智慧」は修行方法ではなく、修行の到達点になってしまうからです。
長老の指導を受けた後、連休中、世親菩薩の「摂大乗論釈」(玄奘訳)を
読んでいましたら、釈に、「又此れ皆生死を解脱せんが為なり。
此れ復云何が能く解脱を得るや。熏と覚と寂と通との故に解脱を得る。
謂ゆる聞に由りて心に熏習するが故に、思に由りて覚悟するが故に。
奢摩多を修するに由りて寂静なるが故に。
毘鉢舎那を証するが故に由りて通達するが故に、能く解脱を得るなり。」
とあるのを発見しました。これと六波羅蜜の部分を照らし合わせますと、
サマタ=禅定、ヴィパッサナー=智慧となります。つまり、六波羅蜜は、
布施、持戒、忍辱、精進を修し、サマタとヴィパッサナーにより菩薩の
悟りが得られるという構造であると理解できます。
346:神も仏も名無しさん
07/05/11 08:32:27 fO9F/KvA
>>344
>>興味深いご指摘です。
>>本題とは離れるかもしれませんが、大般若経での静慮と阿含経の禅と
>>の相違点をご教授願えませんでしょうか。
>>禅宗の禅はどのように見れば良いのでしょうか。
>阿含経での禅定は『初禅~無想定』ですが、大般若経には『静慮波羅蜜
多』は『布施波羅蜜多、浄戒波羅蜜多、安忍波羅蜜多、精進波羅蜜多、
般若波羅蜜多』などを行うこと自体が『静慮波羅蜜多』になっていると
説かれています。
>>禅宗の禅はどのように見れば良いのでしょうか。
残念ながら、禅宗ではどのような禅を行っているか私にはよく分かりません。
347:神も仏も名無しさん
07/05/11 09:05:57 fO9F/KvA
>>345
仏教は『止観』で構成されているというご指摘がありますが、それは阿
含経の修行と考えられた方がいいでしょう。大般若経は菩薩に対する教
えであるので『止観』を教えるか側、いわゆる教師の立場にあるのです。
禅とは何かと考えるとき、『無想定(何も考えない)』を思い浮かべます
が、それは阿含経でも最終的な禅定なのです。大抵は『禅思(静かに考
える)』が禅の修行なのです。
般若波羅蜜多は確かに智恵ですが、その智恵は『空の智恵』であって、
一般的に考えられているように『空は禅によって悟られる』というのは
誤りです。『空は法則』なのです。座禅によって『四則演算』を悟るこ
とができないように、空は理解によって悟れるものなのです。
348:神も仏も名無しさん
07/05/12 18:21:43 BC4X7eQP
>>347
>禅とは何かと考えるとき、『無想定(何も考えない)』を思い浮かべます
>が、それは阿含経でも最終的な禅定なのです。大抵は『禅思(静かに考
>える)』が禅の修行なのです。
では、「只管打坐」はどう説明します?
道元ははじめからそうせよ、といっていますよ。
349:神も仏も名無しさん
07/05/12 18:22:20 e/kqB+lo
>>338 :神も仏も名無しさん :2007/05/05(土) 15:01:24 ID:HaMEG+9W
>>人間は動物です。哺乳類の仲間です。神と宗教を作ったのも
>>人間です。宗教は人間が作った文化にすぎないのです。
>>天国地獄も人間が作った妄想です。
>>地球誕生の歴史から恐竜時代そして猿人から現代の人間進化
>>の過程を勉強すると宗教はアホらしくてやってられません。
確かに現代科学を信ずればその通りですが、釈迦はこの世自体を人間の
妄想と説きます。つまり人間の造った幻の世界です。
そうなると、動物も幻、『地球誕生の歴史から恐竜時代そして猿人から
現代の人間進化の過程』も人間の造った幻と説くのです。
そして、神とは幻を見ている人間の本体。また、天国も地獄も人間が次
に見るの幻のことになります。
350:神も仏も名無しさん
07/05/12 18:28:09 e/kqB+lo
>>348
>>では、「只管打坐」はどう説明します?
>>道元ははじめからそうせよ、といっていますよ。
日本には高僧と呼ばれる人がいますが、仏典に無いことを説く者は誰で
も仏教捏造であり、外道と呼ばれます。
351:神も仏も名無しさん
07/05/12 19:31:44 zpEe1bwA
>>530
>仏典に無いことを説く者は誰でも仏教捏造であり、外道と呼ばれます。
仏典に阿含経は含まれないのですか?
根本仏教からの流れを断絶させてしまうのが大乗なら、大乗こそが外道ということになってしまいませんか。
352:神も仏も名無しさん
07/05/12 19:53:34 e/kqB+lo
>>351
>>仏典に阿含経は含まれないのですか?
>>根本仏教からの流れを断絶させてしまうのが大乗なら、大乗こそが外
>>道ということになってしまいませんか。
『仏教経典にないことを説く者は仏教誹謗者であり、外道である。』
**********************************************
或は阿練若に 納衣にして空閑に在って自ら真の道を行ずと謂いて 人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に 白衣の与に法を説いて世に恭敬せらることを為ること 六通の羅漢の如くならん。
是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い名を阿練若に仮って 好んで我等が過を出さん而も是の如き言を作さん 此の諸の比丘等は利養を貪るを為っての故に 外道の論議を説く自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑す(法華経より)
**********************************************
本当の道を説くと称して、金儲けに執着し、美しい着物を着けるために法を説いて世間から阿羅漢のように尊敬される。この人の心は悪に満ち、つねに欲望を求める。これらの僧たちは儲けを貪るため、外道の議論を説き、自らの経典を作って世間を惑わす。
353:神も仏も名無しさん
07/05/12 19:57:53 hlEoRroS
>>345
たしか玄奘訳「大般若経」六百巻には、短いながら、他の五つの波羅蜜について別々に説かれた
分があったと思います。禅那波羅蜜多分を参照すれば、詳しいことがわかるのではないでしょうか。
個人的には、禅波羅蜜の中に止観(サマタ、ヴィパッサナー)の両者が含まれ、
般若(慧)波羅蜜は、観の結果、現れ出てくる智慧のことではないか、と思います。
しかし、
> 熏と覚と寂と通との故に解脱を得(う)。
> 謂(いは)ゆる〔=その意味するところは〕、
・・・
> 奢摩多(しゃまた)を修するに由りて寂静なるが故に、
> 毘鉢舎那(びばしゃな)を証するに由りて通達するが故に、
> 能く解脱を得るなり。」
奢摩多を修することによって(心が)寂静となり、
毘鉢舎那を証することによって(ものごとの真実のすがたに)通達する。
証する、とあるので、修行の面だけでなく、その結果の証果(つまり、智慧)の面をも含むかも知れませんね。
354:神も仏も名無しさん
07/05/12 20:18:56 zpEe1bwA
>>345で引用されている
熏と覚と寂と通
が、なぜどのようにして六項目からなる六波羅蜜に対応することになるのか、どなたか教えてくださいまし m(_ _)m
355:神も仏も名無しさん
07/05/12 20:21:35 e/kqB+lo
>>個人的には、禅波羅蜜の中に止観(サマタ、ヴィパッサナー)の両者
>>が含まれ、般若(慧)波羅蜜は、観の結果、現れ出てくる智慧のこと
>>ではないか、と思います。
般若波羅蜜多は禅定によって悟るものではなく、『空の論理』です。
空の論理とは五受陰は幻である。という意味です。
**************************************
『善現よ、汝はどのように考えるか?
色(物質)と幻とは異なるか?
善現答えて言った『いいえ世尊。どうしてかというと、色は幻に異なり
ません。
幻は色に異なりません。色はすなわち幻、幻すなわち色。受想行識も同
様です。』(大般若経より)
**************************************
このように経典には五受陰は幻であるとはっきり説かれているのです。
これが『空の意味』です。つまり『盤若の智慧』です。決して禅定によ
って悟るものではありません。
356:神も仏も名無しさん
07/05/12 21:03:27 fzAVqAIS
静慮波羅蜜多とは。
**********************************************
仏陀は告げられた「菩薩が布施波羅蜜多を行っている時、その時はすでに心は定に入っているのである。また浄戒波羅蜜多を行っていれば、その時すでに定に入っているのである。そのようにして安忍、精進、静慮、般若波羅蜜多を行っている時すでに定に入っているのである。」
(大般若経より)
**********************************************
357:南無大師遍照金剛
07/05/12 21:19:32 D8zo6RE3
(ノ_<。)最近ここ難しいことばかり話してて
オイラつまんないぉ…
お猿にも分かるようにお話してぉ…
358:神も仏も名無しさん
07/05/12 22:21:20 EV70rIBd
>>357
般若心経の般若波羅蜜多が、止観の観にあたるかどうかに始まって、
六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若)の般若と同じか違うのかという問題を経て、
現在、大乗非仏説に入るかどうかという際どい展開になってきている。
無料外野席にいても十分楽しめる一戦。お見逃しなく。
359:神も仏も名無しさん
07/05/12 22:43:40 ks4w3Sk+
>>358
まとめ乙w
てか、質問箱でする話じゃないがなw
360:神も仏も名無しさん
07/05/13 00:36:11 GNxG/sOP
お経を読むプロというかお坊さんは般若心経を読むときにどの場所で息継ぎをしているのでしょうか?
それとも慣れてきたら息継ぎなどせず一息で言えるのでしょうか?
361:南無大師遍照金剛
07/05/13 00:58:49 XVWJi0Q7
>>360
普通に好きな所で息継ぎします(≧ω≦)b
362:神も仏も名無しさん
07/05/13 02:24:16 R77cFdKk
>>352
仏典に阿含経は含まれないのかどうか聞いているのだが、これでは答えになっていない。
曖昧なままにしておきたいのなら、そう言ってほしい。
不必要にいじめる趣味はないのだが。
363:神も仏も名無しさん
07/05/13 07:36:36 ZpeS/aDr
>>362 :神も仏も名無しさん :2007/05/13(日) 02:24:16 ID:R77cFdKk
>>352
>>仏典に阿含経は含まれないのかどうか聞いているのだが、これでは答
>>えになっていない。
>>曖昧なままにしておきたいのなら、そう言ってほしい。
>>不必要にいじめる趣味はないのだが。
阿含経、大般若、法華経などの経典のように三宝(仏法僧)が説いた経
文を仏典といいます。
>>350で示したように、道元が説くように仏典にありもしない 「只管打
坐」などを説く者を仏教捏造の外道と言うということです。
364:神も仏も名無しさん
07/05/13 08:00:02 ZpeS/aDr
阿羅漢と菩薩
仏教は阿含経から始まり、いわゆる禅定の『初禅~無想定』の修行をし、
阿羅漢果を得て解脱します。その中、『止観』は初禅の修行なのです。
つまり阿含経一年生の修行法です。
一方、大般若経の六波羅蜜の修行は阿含経の卒業生である菩薩の修行法
です。したがって『止観』という自分自身に対する修行はしないのです。
365:神も仏も名無しさん
07/05/13 18:29:38 R77cFdKk
坐禅ではないとすると、静慮波羅蜜多では具体的になにをすればいいのでしょうか。
366:神も仏も名無しさん
07/05/13 19:37:35 onsoBF69
>>365 :神も仏も名無しさん :2007/05/13(日) 18:29:38 ID:R77cFdKk
>>坐禅ではないとすると、静慮波羅蜜多では具体的になにをすればいい
>>のでしょうか。
「菩薩が四禅を修行し、声聞や縁覚の修行をするならば、これを乱心の
菩薩という。なぜなら四禅の定は菩薩の定ではないからである。諸々の
菩薩は色々な人々を見て私は菩薩行を修行して、これらの人々を苦悩か
ら救いだし、涅槃に導こうと考える。これが菩薩の定である。」
これが静慮波羅蜜多です。
367:神も仏も名無しさん
07/05/13 21:32:14 R77cFdKk
常に落ち着いたご対応、感服いたしました。
また、質問ばかりですが、質問箱ということでご容赦下さい。
引用されている文章は、大般若経の部分和訳でしょうか。
大乗では、私のような菩薩以前の衆生でも声聞の修行をしてはいけないのでしょうか。
368:社長
07/05/13 22:17:29 EMG2sRBA
↑てかお前アホだなwww
369:神も仏も名無しさん
07/05/13 22:46:19 R77cFdKk
まだちゃちゃいれないの>社長
呼吸ってもんがあんでしょうに
370:神も仏も名無しさん
07/05/13 22:50:18 btT/yzPL
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
URLリンク(www.geocities.jp)
371:神も仏も名無しさん
07/05/14 15:42:56 28xa8HuN
>>367
>>引用されている文章は、大般若経の部分和訳でしょうか。
>>大乗では、私のような菩薩以前の衆生でも声聞の修行をしてはいけな
>>いのでしょうか。
引用した文章は国訳一切経の大般若経の一部を現代語に書き直したもの
です。一般に大乗というのは菩薩の修行法と考えていいと思います。菩
薩は声聞、縁覚(阿含経)を卒業した者だと考えられます。そこで我々
が一から仏教を勉強する場合は阿含経から始めることが必要ではないか
と思います。
372:神も仏も名無しさん
07/05/14 19:46:56 /US7wXAb
十三頭陀行でも遂行すれば仏教とは、何なのか理解出来ると思いますよ。
373:神も仏も名無しさん
07/05/15 00:00:17 E9DMfBHz
>>371
六波羅蜜の修行を八正道と対比させるような説明を入門書で読んだことがあるのですが、
実はこれは間違いであって、本来は八正道修道の後に六波羅蜜に入るべきだ、
ということでよろしいのでしょうか。。
374:神も仏も名無しさん
07/05/16 00:17:43 cwcaOSWe
>>371
菩薩の修行では声聞、縁覚(阿含経)の修行である止観業を禁じられているということが
大般若経に書かれている、というご説明だったと思いますが、
釈尊成道時の瞑想修行は止観業とは区別されるということになるのでしょうか?
375:南無大師遍照金剛
07/05/16 08:37:22 70H2+x++
ヽ(´∇`)ノオハニョ~
376:神も仏も名無しさん
07/05/16 10:19:33 aov9+1RB
>>373>>374
>>菩薩の修行では声聞、縁覚(阿含経)の修行である止観業を禁じられ
>>ているということが大般若経に書かれている、というご説明だったと
>>思いますが、釈尊成道時の瞑想修行は止観業とは区別されるというこ
>>とになるのでしょうか?
阿含経には釈尊が王子の身分から出家されて、修行をし、弟子たちに教
えられた修行法が説かれています。それが『止観』です。そして、釈尊
の滅度も書かれているのです。したがって、釈尊の成道地時の瞑想修行
も阿含経にあるのです。したがって、阿含経を卒業して阿羅漢になり、
菩薩の修行をする者には『止観』の修行は卒業しているのでいらないの
です。中学に入れば小学校の教えはいらないのと同じではないかと思い
ます。
377:神も仏も名無しさん
07/05/16 23:47:25 +JYmdpGU
>>355
禅と禅度とを区別して説いています。つまり、禅を一切智へ廻向する(ふりむける)ことにより
禅度という名を得る、と書かれています。
「世尊は施度・戒度・忍度・進度・禅度を賛嘆なさらず、
智度だけを賛嘆なさり、その名だけを述べられるのでしょうか」
「阿難よ、その通りである。なにゆえか。智度は五度に先立つからである」
「もし施・戒・忍・進・禅・智が一切智へと廻向されなければ、
それらは施度・戒度・忍度・進度・禅度・智度という名を得るであろうか」
「世尊よ、そのようなことはありません」
『摩訶般若波羅蜜経』第3
378:神も仏も名無しさん
07/05/17 01:23:01 6c1WUWnQ
イム
379:神も仏も名無しさん
07/05/17 08:58:03 XafW+ryl
>>377 :神も仏も名無しさん :2007/05/16(水) 23:47:25 ID:+JYmdpGU
>>355
>>禅と禅度とを区別して説いています。つまり、禅を一切智へ廻向する
>>(ふりむける)ことにより禅度という名を得る、と書かれています。
六波羅蜜の中の般若波羅蜜多は『空の論理の智慧』を説いたものですが、
『この世は幻(空)である』と言われても論理的に理解しても潜在意識
の奥まで浸透させることができません。したがって、静慮波羅蜜多(禅)
によって空を実感するという意味です。
>>--------------------------
「世尊は施度・戒度・忍度・進度・禅度を賛嘆なさらず、
智度だけを賛嘆なさり、その名だけを述べられるのでしょうか」
「阿難よ、その通りである。なにゆえか。智度は五度に先立つからである」
「もし施・戒・忍・進・禅・智が一切智へと廻向されなければ、それら
は施度・戒度・忍度・進度・禅度・智度という名を得るであろうか」
「世尊よ、そのようなことはありません」
『摩訶般若波羅蜜経』第3
>>--------------------------
空の論理(智度)を理解することなく、「施度・戒度・忍度・進度・禅
度」を行っても意味はない。空の論理を知ってこそ、「施度・戒度・忍
度・進度・禅度」の意味があるということです。
380:神も仏も名無しさん
07/05/17 23:59:31 pUBDrevg
六波羅蜜が菩薩の修行だとすると、それを行う資格のあるものはどれだけいるのでしょうか。
六波羅蜜は衆生とは縁の遠いもののようです。
仏門にいる大多数は六波羅蜜に目もくれず止観業に精を出さなければなにも始まらないと言うことですよね。
381:神も仏も名無しさん
07/05/18 22:17:51 x6KWGwFY
>>380
>>六波羅蜜が菩薩の修行だとすると、それを行う資格のあるものはどれ
>>だけいるのでしょうか。
>>六波羅蜜は衆生とは縁の遠いもののようです。
>>仏門にいる大多数は六波羅蜜に目もくれず止観業に精を出さなければ
>>なにも始まらないと言うことですよね。
仏教の修行を始めるには、阿含経の修行から入るのですが、阿含経を理
解するには『空の論理』を理解しなければ意味は解らないのです。。
不思議なことに、『空の論理』の教えは菩薩に対する教えである大般若
経の六波羅蜜の一つである『般若波羅蜜多』に説かれているのです。
382:神も仏も名無しさん
07/05/19 00:57:03 uj5bSEP0
天台智顗は天台小止観や摩訶止観を著した大乗の僧侶ですが、やはり止観(サマタ・ビパッサナ)を納めて菩薩になった後に六波羅蜜を修めるように説かれているのでしょうか。
禅宗は一時代の中国仏教界を席巻した宗派ですが、僧侶は生涯にわたって止観業を中心とした修行体系の中で生活することになります。彼等も般若経典群を学び六波羅蜜を実践しているはずですが、とんだ勘違いといったところなのでしょうか。。
383:神も仏も名無しさん
07/05/19 01:05:02 bYjlim+4
>>381
ご高説、感服致します。大変、勉強させて頂いております(^人^)
拙者の体験では、『空の論理』も『六波羅蜜』も同じ「脈」である。
因縁生滅に基づく本質が「空」なら、六波羅蜜の行いも「空」です。
金剛経の「応無所住而生其心」に通じるものがありますよね。
384:神も仏も名無しさん
07/05/19 01:34:45 uj5bSEP0
>>383
>拙者の体験では、
すると、あなたは菩薩様?
385:神も仏も名無しさん
07/05/19 06:45:01 NsfvGxds
>>382
>>禅宗は一時代の中国仏教界を席巻した宗派ですが、僧侶は生涯にわた
>>って止観業を中心とした修行体系の中で生活することになります。彼
>>等も般若経典群を学び六波羅蜜を実践しているはずですが、とんだ勘
>>違いといったところなのでしょうか。。
例えば、どんなに難しい数学でも、基本の四則演算(加減乗除)という
論理を知らなければ解くことはできません。四則演算を理解せずいくら
考え(禅)ても何も進歩しないのと同じです。座禅(止観)も同様で、
止観の前に論理を知らなければならないのです。それが『空の論理』で
す。
四則演算を理解した人のみ、座禅で4×5+4=24であると考えること
ができ、暗算の達人になれるのです。それが『止観』です。とにかく、
『空の論理』を理解することが、仏教入門と言えるのです。
386:神も仏も名無しさん
07/05/19 07:18:16 pdg9hnqi
一応、空の論理は『小室直樹の痛快宗教学入門』を読んで理解しました。
即ち、物事は因縁によって成り立って居ると言う説ですね
そこで禅に移行する訳ですが
何で禅なの?疑問がある訳です
座禅は要するに心を落ち着けて現象が成立する要因を見極め、現象に対して如何に働きかけて行くかを理論的に考える作業で
立ち上がった時がその実践と言う事でしょうか
ならば何故座禅会とかで「四則計算」たる空の論理を教えないのか
ただ座ってるだけで肩をビシバシ叩かれて痛いだけじゃないですか
387:神も仏も名無しさん
07/05/19 07:56:45 NsfvGxds
>>386
>>**********************************************
一応、空の論理は『小室直樹の痛快宗教学入門』を読んで理解しました。
即ち、物事は因縁によって成り立って居ると言う説ですね
>>**********************************************
空の論理は、『物事が因縁によって成り立っている』という『縁起』と
は少し違うのです。『空とは、この世が幻である』という原理なのです。
この世が空(幻)であるから『物事が因縁によって成り立ってい』のです。
『この世は空なるが故に縁起が働く』ということです。
>>**********************************************
そこで禅に移行する訳ですが
何で禅なの?疑問がある訳です
座禅は要するに心を落ち着けて現象が成立する要因を見極め、現象に対
して如何に働きかけて行くかを理論的に考える作業で
立ち上がった時がその実践と言う事でしょうか
ならば何故座禅会とかで「四則計算」たる空の論理を教えないのか
ただ座ってるだけで肩をビシバシ叩かれて痛いだけじゃないですか
>>**********************************************
『禅』とは縁起を考えることなのです。つまり『禅思』というのです。
『空の論理』とそこから展開される『縁起』について静かに考えること
を言うのです。これが『初禅』です。
ビシバシ叩くのは一心に暗算をしている者を後ろから叩くようなもので
まるで馬鹿げています。
388:神も仏も名無しさん
07/05/19 08:07:24 pdg9hnqi
空の論理は、『物事が因縁によって成り立っている』という『縁起』と は少し違うのです。『空とは、この世が幻である』という原理なのです。 この世が空(幻)であるから『物事が因縁によって成り立ってい』のです。 『この世は空なるが故に縁起が働く』ということです。
御答え有り難う御座いますm(_ _)m
「この世は幻であるの原理」ですが幻というニュアンスをどう解釈すべきでしょう
固定的なものでは無く流転して行く、変化して行くと受け取れば良いですか
変化する実体の無いものだから因縁が働く
こう言う考えで宜しいでしょうか
389:神も仏も名無しさん
07/05/19 08:12:49 pdg9hnqi
例えば「私」にしても変化する実体の無いものと考えれば縁起が働きますね
そこで禅定によって私を私たらしめて居る原因を思索する
因果の方向性を変えると当然「私」も変化する
これが座禅の実践でしょうか
390:神も仏も名無しさん
07/05/19 08:27:41 paAWIS9V
此処って質問箱でないの?
391:神も仏も名無しさん
07/05/19 08:34:11 NsfvGxds
>>388
>>**********************************************
「この世は幻であるの原理」ですが幻というニュアンスをどう解釈すべきでしょう
固定的なものでは無く流転して行く、変化して行くと受け取れば良いですか
変化する実体の無いものだから因縁が働く
こう言う考えで宜しいでしょうか
>>**********************************************
人間が見る幻の代表的なものは『夢』です。
夢は心よって展開するので、この世も『十二因縁』によって展開するということです。
392:神も仏も名無しさん
07/05/19 08:39:42 uj5bSEP0
>>390
質問しているように見えるのだが
393:神も仏も名無しさん
07/05/19 08:58:15 NsfvGxds
>>389
>>例えば「私」にしても変化する実体の無いものと考えれば縁起が働きますね
>>そこで禅定によって私を私たらしめて居る原因を思索する
>>因果の方向性を変えると当然「私」も変化する
>>これが座禅の実践でしょうか
おっしゃる通りだと思います。
阿含経は『無常・苦・空・非我』に集約されます。
無常=人間は生まれたり病気になったり老いたり死んだりする。
苦=その生・変化・滅は苦である。
空=なぜ生老病死などの変化があるか。それはこの世が幻だからである。
非我=あなたの肉体も心もあなたでは無く、あなたのものでも無く、存在さえしない。
この『無常・苦・空・非我』を禅思するわけです。
394:神も仏も名無しさん
07/05/19 09:01:18 pdg9hnqi
人間が見る幻の代表的なものは『夢』です。
夢は心よって展開するので、この世も『十二因縁』によって展開するということです。
つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
或いは心の変化に依って変化すると言う説でしょうか
対立説を上げて見ます。
最近読んだ西島なにがしさん訳のナーガルジュナの『中論』によると、「龍樹尊者」この世に実在と信じるに足りる信仰対象として理性、時間、行為、様々な力関係、そして物質の世界を上げて居るようです
そして私も「物質」が「無い」と言うのは現実にそぐわない極端説だと考えますが如何でしょうか
395:暇人
07/05/19 09:04:58 Cg7DKGFg
>阿含経は『無常・苦・空・非我』に集約されます
ちなみに阿含経を読んでの発言かね
396:神も仏も名無しさん
07/05/19 09:06:37 pdg9hnqi
物理的世界が「無い」とすれば飛行機が飛んだりアスピリンで歯痛が治ったりする現象を説明出来ません
397:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 09:09:19 pdg9hnqi
>暇人様
もし宜しければ書店で読めるアゴン経の定評のある入門書が在れば教えて頂きたいのですが
398:神も仏も名無しさん
07/05/19 09:20:56 NsfvGxds
>>394
>>**********************************************
つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
或いは心の変化に依って変化すると言う説でしょうか
対立説を上げて見ます。
最近読んだ西島なにがしさん訳のナーガルジュナの『中論』によると、「龍樹尊者」この世に実在と信じるに足りる信仰対象として理性、時間、行為、様々な力関係、そして物質の世界を上げて居るようです
>>そして私も「物質」が「無い」と言うのは現実にそぐわない極端説だ
>>と考えますが如何でしょうか
>>**********************************************
>>つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
文字通りこの世は夢であるという説が仏の説です。意外に思われるかも知れませんが阿含経にはそのような極端説が説かれているのです。
確かにおっしゃることはよく分かりますが、私はまず、仏教経典のみを
信じることにしています。ご存じの般若心経にも『物質は無い』とはっ
きり説かれているのです。次に抜粋するのは阿含経の一節です。
**************************************
『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者、滅する者是れ幻化にして真
実有ること無ければなり。』(阿含経 国訳一切経より)
**************************************
この世の一切は皆空であってね寂静であって、生まれる者、死んで行く
者は幻化であって真実に起きていることではない。という意味です。
399:神も仏も名無しさん
07/05/19 09:22:13 NsfvGxds
>>394
>>**********************************************
つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
或いは心の変化に依って変化すると言う説でしょうか
対立説を上げて見ます。
最近読んだ西島なにがしさん訳のナーガルジュナの『中論』によると、「龍樹尊者」この世に実在と信じるに足りる信仰対象として理性、時間、行為、様々な力関係、そして物質の世界を上げて居るようです
>>そして私も「物質」が「無い」と言うのは現実にそぐわない極端説だ
>>と考えますが如何でしょうか
>>**********************************************
>>つまりこの世は文字通りの夢だと言う説でしょうか
文字通りこの世は夢であるという説が仏の説です。意外に思われるかも知れませんが阿含経にはそのような極端説が説かれているのです。
確かにおっしゃることはよく分かりますが、私はまず、仏教経典のみを
信じることにしています。ご存じの般若心経にも『物質は無い』とはっ
きり説かれているのです。次に抜粋するのは阿含経の一節です。
**************************************
『一切諸行は皆空、皆寂にして、起こる者、滅する者是れ幻化にして真
実有ること無ければなり。』(阿含経 国訳一切経より)
**************************************
この世の一切は皆空であってね寂静であって、生まれる者、死んで行く
者は幻化であって真実に起きていることではない。という意味です。
400:神も仏も名無しさん
07/05/19 09:23:38 NsfvGxds
すみません。失敗して、二重投稿になってしまいました。
401:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 09:28:42 pdg9hnqi
御答え有り難う御座います。
聞く所に依るとブッダは賢者の言う事を鵜呑みにせず自分で確かめろとおっしゃったと言います
また、私が説いた事は全て嘘方便の教えだとも言ったと聞きます。
或いはアゴン経や般若心経の教え自体も方便であると言う可能性はありませんか?
402:神も仏も名無しさん
07/05/19 09:31:32 NsfvGxds
>>395
>>>阿含経は『無常・苦・空・非我』に集約されます
>>ちなみに阿含経を読んでの発言かね
当然ですよ。国訳一切経 阿含部を通しでは二度ほど読みました。また、
重要な部分は数十回読みました。25年ほどかかりましたよ。やっと全貌
が理解できました。
403:暇人
07/05/19 09:31:32 Cg7DKGFg
>>397
入門書より翻訳が充実してますよ。是非テキストを。
春秋社から原始仏典シリーズ
長部経典と中部経典が分冊で読めます。
古い訳ですが定番モノとしては増谷さんの阿含経典(全5巻)が
相応部経典の抄訳になります。
岩波文庫で手軽に入手できる中村元さんのシリーズは
重要な小部経典群が中心的に訳されてますので必読です
ダンマパダ スッタニパータ 長老偈 長老尼偈など。
相応部経典の前半の訳である「神々との対話」「悪魔との対話」など
404:日々是修行
07/05/19 09:38:19 bYjlim+4
>>394,396
個人的な認識ですが、間違ってれば、ご教示くださいm(__)m
「空」は「無い」ではありません。「有り」でもありませんが。
逆説的に、「無い」でもあり、「有り」でもあり、です。
その概念を言葉で説明するのは甚だ難しいが、強いて言えば、
「永遠に変わらぬ物事は無い。この本質を空という」ともいえましょうか。
無学な輩の知ってかぶりで、申し訳ありませんm(__)m
405:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 09:38:49 pdg9hnqi
>暇人様
有り難う御座います
是非挑戦して見たいと思います。
406:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 09:43:02 pdg9hnqi
>日々修行様
それは仏教用語で言うダールマ(法)と解釈して良いでしょうか
確かに「法」は無いようで在り、在るようで無い
純粋に「思考」によって捉えられる実体ですね
407:日々是修行
07/05/19 09:46:54 bYjlim+4
>無我様
諸法無我。法無定法。法の本質も空ではありませんでしょうか?
408:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 09:49:46 pdg9hnqi
座禅とは要するに静かに思考して感覚的に現れる世界を成り立たせて居る法を見切る事を目的として居ると考えて宜しいでしょうか
すると私が部屋でねっ転がって「もっと自分や他人が幸せな人生を送る為にはどう行為すればいいかな」とか考えて居るのも座禅と捉えて良いのでしょうか
409:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 09:52:30 pdg9hnqi
確かに法自体も絶対的なものではないかもしれませんね
思考が生み出した仮説と考えた方が良いかも知れません
410:神も仏も名無しさん
07/05/19 10:02:29 NsfvGxds
>>393
修行のレベルは『須陀亘果→斯陀含果→阿那含果→阿羅漢果』となっています。次は阿含経からの抜粋です。
**************************************
(無間等経)
摩訶拘希羅『須陀亘果を得るにはどんな修行をするべきですか。』
舎利弗『五受陰は病であり、、瘍であり、刺であり、殺であり、無常・苦・空・非我であると思惟せよ。』
摩訶拘希羅『須陀亘果の者が斯陀含果を得るにはどんな修行をするべきですか。』
舎利弗『五受陰は病であり、、瘍であり、刺であり、殺であり、無常・苦・空・非我であると思惟せよ。』
摩訶拘希羅『斯陀含果の者が阿那含果を得るにはどんな修行をするべきですか。』
舎利弗『五受陰は病であり、、瘍であり、刺であり、殺であり、無常・苦・空・非我であると思惟せよ。』
摩訶拘希羅『阿那含果の者が阿羅漢果を得るにはどんな修行をするべきですか。』
舎利弗『五受陰は病であり、、瘍であり、刺であり、殺であり、無常・苦・空・非我であると思惟せよ。』
**************************************
このように『無常・苦・空・非我』の禅思がすべてだということがわかります。
411:神も仏も名無しさん
07/05/19 10:06:53 NsfvGxds
>>396
>>物理的世界が「無い」とすれば飛行機が飛んだりアスピリンで歯痛が
>>治ったりする現象を説明出来ません
飛行機が飛んだりアスピリンで歯痛が治る夢をみることはあり得るのではないですか?
412:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 10:07:09 pdg9hnqi
法違いかも知れませんが世俗の法律も社会情勢によって変化が求められますしね
昨夜の銃乱射事件でも法制度の問題で強行突破が出来ませんでした。
413:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 10:13:36 pdg9hnqi
411様
確かに夢と捉えても良いでしょうが
その場合夢と現実と言う区別自体が意味のないものになるのではありませんか
ただ夢と違って念力で飛行機を飛ばす事はできず
厳然とした「法」がこの世では成立して居るように思います。
夢なら重力法則を無視して空を飛べたりするはずですが
精神世界と違って物理世界にはそれなりの制約があります
414:南無大師遍照金剛
07/05/19 10:15:10 iRNOXDux
ヽ(´∇`)ノ釣り師がイパーィ♪ウキウキ♪
でも
おさるにも分かるようにレベル下げてね♪
415:暇人
07/05/19 10:29:58 Cg7DKGFg
>>410
君の解釈から『五受陰は』という主語が脱落しているのだが、
1.『五受陰』とは何か
2.無間等経(URLリンク(www.buddhist-canon.com))の
「空」がなぜ
「空=なぜ生老病死などの変化があるか。それはこの世が幻だからである。」
といえるのか
これをまず経文に添って解説して頂きたい。
416:神も仏も名無しさん
07/05/19 10:46:49 NIP/R2dF
>>415 :暇人:2007/05/19(土) 10:29:58 ID:Cg7DKGFg
>>410
>>**********************************************
君の解釈から『五受陰は』という主語が脱落しているのだが、
1.『五受陰』とは何か
2.無間等経(URLリンク(www.buddhist-canon.com))の
「空」がなぜ
「空=なぜ生老病死などの変化があるか。それはこの世が幻だからである。」
といえるのか
これをまず経文に添って解説して頂きたい。
>>**********************************************
1、五受陰(色受想行識)とは。
色(四大)=この世の一切の物質(肉体を含む)
受(苦受・楽受・不苦不楽受)=外界から受ける感覚。
想 =想念
行 =行為
識 =記憶・知識
2、『空』
空=幻、夢 したがって幻には始まり(生)・変化(老病)・終わり(死)がある。
これが仏説です。
417:日々是修行
07/05/19 10:48:34 bYjlim+4
>>413
永遠に変わらぬ物事ではないので、幻です。
幻=偽物、ではありません。本物も「幻」と思います。
偽LBバッグは壊れるが、本物のLBバッグだって壊れます。
どっちも本質が「幻」ですね。永遠じゃないからです。
逆に、本物のLBバッグは使えますが、偽物だって使えます。
どっちも「真実」ですねw今・この瞬間が存在しているからです。
物理世界にも適用できると思います。
飛行機が飛んでいる。真実です。
降りてきたら、つい数分先大空を飛んでいたのは幻と化してしまいます。
過ぎ去った人生は夢の如く、と良く言われますよね?
418:神も仏も名無しさん
07/05/19 10:50:58 NIP/R2dF
>>413 :無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 10:13:36 ID:pdg9hnqi
>>411様
>>確かに夢と捉えても良いでしょうが
>>その場合夢と現実と言う区別自体が意味のないものになるのではありませんか
>>ただ夢と違って念力で飛行機を飛ばす事はできず
>>厳然とした「法」がこの世では成立して居るように思います。
>>夢なら重力法則を無視して空を飛べたりするはずですが
>>精神世界と違って物理世界にはそれなりの制約があります
物理的な制約は、『物理的な確信』という念力で造られているのではないでしょうか。
419:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 10:53:16 pdg9hnqi
>日々是修行様
確かに悠久なる歴史的な時間からすると「幻のようなもの」ですが
今、ここに在ると言う事実に関しては幻とは言い切れないのでは?
幻でないからこうやってコミュニケーションも取れて居る訳ですからね
420:神も仏も名無しさん
07/05/19 10:57:57 NIP/R2dF
>>417 :日々是修行:2007/05/19(土) 10:48:34 ID:bYjlim+4
>>413
>>永遠に変わらぬ物事ではないので、幻です。
>>幻=偽物、ではありません。本物も「幻」と思います。
永遠に変わらぬ世界があるのです。それが『天界』なのです。これが本
物の幻ではない世界です。永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
目的なのです。
421:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/19 11:04:26 pdg9hnqi
いや、仮に幻でも良いのですが
その場合でも幻が「在る」と言う事は否定できないのではないですかね
422:暇人
07/05/19 11:04:33 Cg7DKGFg
>>416
五受陰は『色受想行識』だね。
衆生の、つまり我々人間の構成要素を五つに分けたものだよ。
だから
五受陰の「色」は、我々の物質的要素である『身体』のことだね。
つまり五受陰とは、身体と心(感受作用・表象作用・意思・認識作用)、心身のことだよ。
我々の心身は、病.為癰.為刺.為殺.無常.苦.空.非我と思惟せよと
書いてあるわけ。
423:日々是修行
07/05/19 11:09:39 bYjlim+4
>>416様
お教えください m(__)m
「この世が幻だから生老病死がある」のではなく、
生老病死があるから、「この世」は幻と考えて宜しいでしょうか?
もう一つ、五受陰のご説明、
般若心経の「五蘊皆空」と捕らえて宜しいでしょうか?
>>419
無我様、拙者は今・この瞬間の存在をを否定してません。
仰った通り、コミュニケーションしているし^^
無我様は「幻」の文字(字義)に幻惑されておりませんか?
ここでいう「幻」とは思考概念であって、「無し」ではありません。
424:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:15:04 NIP/R2dF
>>423 :日々是修行:2007/05/19(土) 11:09:39 ID:bYjlim+4
>>416様
>>お教えください m(__)m
>>「この世が幻だから生老病死がある」のではなく、
>>生老病死があるから、「この世」は幻と考えて宜しいでしょうか?
>>もう一つ、五受陰のご説明、
>>般若心経の「五蘊皆空」と捕らえて宜しいでしょうか?
おっしゃる通りです。『生老病死があるから、「この世」は幻』です。
また、五蘊皆空=五受陰皆空という意味です。
425:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:19:04 NIP/R2dF
>>422
>>衆生の、つまり我々人間の構成要素を五つに分けたものだよ。
>>だから
>>五受陰の「色」は、我々の物質的要素である『身体』のことだね。
色とは肉体だけではなく肉体を含む一切の物質。
したがって、五受陰とは『この世と肉体と心』一切のことです。
だから『一切皆空』というのです。
426:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:23:01 UTfuL6Io
2点質問です
・合掌ってなぜするのですか?どのような意味合いがあるのでしょうか?
・以前、知り合いの葬式に出たとき、式後、お坊さんがおときで
お酒を飲んで顔を真っ赤にして酔っ払っていたんです。そんなお坊さんにお経をあげて
もらってほんとに成仏できるのでしょうか?
427:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:28:41 NIP/R2dF
>>421 :無我 ◆ZnBI2EKkq. :2007/05/19(土) 11:04:26 ID:pdg9hnqi
>>いや、仮に幻でも良いのですが
>>その場合でも幻が「在る」と言う事は否定できないのではないですかね
おっしゃる通りです。
幻だから存在はしない。しかし、幻としては存在する。
これが仏の説く中道の意味なのです。
428:南無大師遍照金剛
07/05/19 11:29:53 iRNOXDux
ヽ(´∇`)ノ携帯だから読むのめんどくせ~♪
429:暇人
07/05/19 11:40:06 Cg7DKGFg
「色」を一般化して言う場合は、
肉体だけではなく肉体を含む一切の物質を意味にとってもよいね。
わざわざ『五蘊』を『五受陰』と『受』いれて言う場合、
『受』<upAdAna(煩悩)>を入れているのは何故だね。
我々の『煩悩』や『執着』を問題にしているのだよ。
430:暇人
07/05/19 11:42:58 Cg7DKGFg
厳密には『五蘊』の場合は『五取蘊』というね。
431:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/19 11:43:18 DdfdXRiA
>>426
>以前、知り合いの葬式に出たとき、式後、お坊さんがおときで
>お酒を飲んで顔を真っ赤にして酔っ払っていたんです。そんなお坊さんにお経をあげて
>もらってほんとに成仏できるのでしょうか?
話がオカシクないですか?
式後の酒は”お清め”ですから、酒のんで赤面しようが問題にはならんですね。
なんか話がオカシイなぁ~(~o~)
432:暇人
07/05/19 11:47:36 Cg7DKGFg
一切の物質との意味に取りたかったらそれでもいいが、
忘れてならないポイントは、
『煩悩の対象』としての「色」だよん。
『一切皆空』は、「此の世すべてが夢まぽろし」という意味ではない。
「この世のすべては生滅変化しつづける無常な現象なので、固執しても苦だ」と
いう意味だよん
433:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:48:25 UTfuL6Io
>>431
426です ごめんごめん ちょっと分かりにくかったですね
私が言いたかったのは、酒飲むような人間が
ちゃんと死者を成仏させられるのかってことなんです
434:日々是修行
07/05/19 11:49:23 bYjlim+4
>>424
ありがとうございます。
420で仰ってた「永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
目的なのです」について、少し疑問を感じます。
仏教の生命観は「無始無終」ですよね。
寿命は有限ですが、存在の本質は「是諸法空相、不生不滅、
不垢不浄、不増不減」ではありませんか?
西方浄土極楽世界も終着駅ではなく、阿弥陀仏が幻化した道場です。
そこで「諸善男子善女人」が「花開見仏悟無生」⇒菩薩の境地へ。
仏教の目的は、真理を追求する方法の伝承であって、
真理そのものを教えるのではありません。
絶対的な真理は、教えられるものではありませんからです。
釈尊も「余49年間説法して、何一つ法を説いてません」(金剛経)
お如何でしょうか?
435:神も仏も名無しさん
07/05/19 11:55:50 DHtCY6HI
色受想行識:色=形有る物全ての存在
:受=色を認識する被対象
:想=認識した色を思考する思い
:行=思考した対象への実際の行動
:識=行動により得た知識と経験
空=色が成製流転している一様、その法則に則って
人もまた苦楽を享受している。
以上の事柄>>>>>在りて在る自分>>>>>超えられない壁>>>>>悟り
でしょうかね、釈尊はそれを超える道筋に光を灯したから仏陀
と呼ばれる様になったって聞いた事があります。
空は厳密には形あるものが成製流転する様の一様を表しているに
すぎません、生老病死も同じように生成消滅する一様です。
それを上手く理解して利用するのも人の智恵であり(夢の段階とも言えます)
それらに捕らわれ過ぎて無駄に苦楽の業を深めるのも人の業(わざ幻とも解釈できます)
それと上手に付き合う方法を説いているのが仏道の本核なのではないのでしょうか?
まずは中道に立つ自分と言う事なのでしょうかね?
436:神も仏も名無しさん
07/05/19 12:08:55 NIP/R2dF
>>429 :暇人:2007/05/19(土) 11:40:06 ID:Cg7DKGFg
>>「色」を一般化して言う場合は、
>>肉体だけではなく肉体を含む一切の物質を意味にとってもよいね。
>>わざわざ『五蘊』を『五受陰』と『受』いれて言う場合、
>>『受』<upAdAna(煩悩)>を入れているのは何故だね。
>>我々の『煩悩』や『執着』を問題にしているのだよ。
五蘊・名色・五受陰・五盛陰 皆同じ意味です。
『煩悩や執着』だけでなく、『この世の一切を嫌って離れよ』と言って
いるのです。>>410の通りです。
受は煩悩ではなく、『苦受・楽受・不苦不楽受』すなわち外界から六入
処(五官と心)によって受ける『苦しいものと楽しいものと苦でも楽で
もないもの一切』という意味で、『外界から受ける一切』という意味です。
437:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/19 12:09:00 C37uRkYg
>>433
>酒飲むような人間が
>ちゃんと死者を成仏させられるのかってことなんです
これもオカシな話ですね(~o~)
じゃあ、酒も一滴も飲まんで、しかも女すら抱いたことがない坊主が
お経を読むと成仏できるんでしょうか?
どんな坊主が読経しようと、故人は成仏はできんですよ。
葬式というのはセレモニーなんですから、
これ自体が本来は仏教的ではない。
ただ、
日本的な死生観において、既存仏教がその任にあたっているだけ。
そのような大局的見地において理解して頂きたいもんです。
438:神も仏も名無しさん
07/05/19 12:15:50 UTfuL6Io
>>437
私のような仏教に詳しくない一般人なんかは
お坊さんにお経をあげてもらって成仏できるってなんとなく信じ込まされているんですが
日本の仏教は、そうした一般人を騙してお布施をもらってるってことですか?
439:暇人
07/05/19 12:21:54 Cg7DKGFg
子供ぽい反論をされてもな。。。
名色を五蘊と同じと解釈するのは後代の仏教解釈だね。
例えば倶舎論で名色と言えば、色蘊以外の四蘊だね。
君の云う『受』は、
『五受陰』『五取蘊』という語の『受』『取』upAdAnaではなく、
「五」の中の一つであるvedanA『受』。感受作用のことだよ。
440:神も仏も名無しさん
07/05/19 12:26:33 NIP/R2dF
>>434 :日々是修行:2007/05/19(土) 11:49:23 ID:bYjlim+4
>>424
>>ありがとうございます。
>>420で仰ってた「永遠の寿命の永遠の世界へ行くことが仏教の
>>目的なのです」について、少し疑問を感じます。
>>仏教の生命観は「無始無終」ですよね。
>>寿命は有限ですが、存在の本質は「是諸法空相、不生不滅、
>>不垢不浄、不増不減」ではありませんか?
そこで般若心経はこの世界は幻であるから、生まれることもなく死ぬこともないと説くのです。幻を見ている世界は「無始無終」という意味です。
人間はこの世に対する愛着を滅する修行(阿含経の修行)によって死後、その悟りに比例して寿命の永い世界に生まれると説かれています。もちろん、死後に輪廻する世界は幻に違いはないのですが。
>>西方浄土極楽世界も終着駅ではなく、阿弥陀仏が幻化した道場です。
もちろんそうです。阿弥陀仏が造った幻の世界です。
441:神も仏も名無しさん
07/05/19 12:37:34 NIP/R2dF
>>439 :暇人:2007/05/19(土) 12:21:54 ID:Cg7DKGFg
>>子供ぽい反論をされてもな。。。
>>名色を五蘊と同じと解釈するのは後代の仏教解釈だね。
>>例えば倶舎論で名色と言えば、色蘊以外の四蘊だね。
**********************************************
識を縁じて名色ありとは、云何が名なる。謂ゆる四無色陰の、受陰・想陰・行陰・識陰なり。云何が色なる。謂ゆる四大と四大に作られし色なり。是れを名づけて色と為す。此の色及び前に説きし所の名、是れを名色と為す。(雑阿含より 国訳一切経)
**********************************************
このように阿含経には
名=受・想・行・識
色=四大と四大によって造られたもの。という意味です。
倶舎論など仏説以外はあまり読みませんのでよく分かりません。
442:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/19 13:10:57 C37uRkYg
>>438
>日本の仏教は、そうした一般人を騙して
坊主が「成仏します」とか言うのは、これは遺族の立場に立った言い方ですね。
身内を亡くされたばかりですから、
先ずは身内の精神的ダメージを癒すのも坊主の務めです。
その時は騙しでもいいじゃ~ないですか。
あまり本当のことを言う馬鹿もおらんでしょうから、
社交辞令的に遺族を安心させてあげる。
この方が得策かと思いますね。
>してお布施をもらってるってことですか?
お布施以外に収入の道はないですから、
布施はして頂きたいですね。
無理には言いませんけど、
香典が入るんですから、これはお布施代も含まれておるんです。
443:暇人
07/05/19 13:40:11 Cg7DKGFg
>>441
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
このサイトの関係者なのかね。
「法説義説経」は、漢訳雑阿含経巻12 第298経だね
URLリンク(www.cbeta.org)
釈尊が
「今から縁起について説くから良く聴いてよく考えなさいよ」と説くわけだね。
この箇所では「識→名色→六処」という十二支縁起が説かれているわけだが、
この「名色」の説明は不十分だね。
六識身「眼識身・耳識身・鼻識身・舌識身・身識身・意識身」
名色「受陰・想陰・行陰・識陰・四大に作られし色」
六觸身「眼觸身・耳觸身・鼻觸身・舌觸身・身觸身・意觸身」
と経典は説明するのだが、
正しいのは
六識身「眼識身・耳識身・鼻識身・舌識身・身識身・意識身」
名色「色・声・香・味・触・法」という六境
六觸身「眼觸身・耳觸身・鼻觸身・舌觸身・身觸身・意觸身」
444:暇人
07/05/19 13:46:22 Cg7DKGFg
失礼。
× 六觸身「眼觸身・耳觸身・鼻觸身・舌觸身・身觸身・意觸身」
○ 六内入処「眼入処・耳入処・鼻入処・舌入処・身入処・意入処」
445:神も仏も名無しさん
07/05/19 17:57:39 i9bezX+q
机上の空論
446:神も仏も名無しさん
07/05/19 22:24:21 xPZ+I7yn
「机の空論」に見えた
447:神も仏も名無しさん
07/05/20 01:00:38 oEzzZdhX
知りうるモノは、過去から現在、未来といった時間の領域にある。
全てのウゴキは時間であり時間は自由の要素では無い。
選択の自由などということは、自由を否定してる。
選択とは、混乱がある所にだけ存在すっるのだw
明確に知覚し内省することで選択の苦から自由になれる。
コノ秩序は、思の産んだモノでは無い。
思考が活動すれば、断片かを促すからだw
愛は、ソレ等、思考や快楽の断片じゃない。
愛と知性は切り離せないモノ。
ココから出た行為は苦痛をウムコトが無い。
ソノ、オーダーが土台だからだね。
448:神も仏も名無しさん
07/05/20 14:32:40 pO8eRM7L
>>441
なんか見覚えのある物言いだと思ったら、仙人さんだったのか。。
URLリンク(www1.ocn.ne.jp)
↑
ここでガンバってる、この世は気の持ちようでなんとでもなると説いているトンデモ仏教の主宰者さんね。
449:神も仏も名無しさん
07/05/20 14:38:07 pO8eRM7L
できれば暇人さんにお答えいただきたいのですが、
六波羅蜜のなかの般若波羅蜜はビパッサナと解釈できたりするのでしょうか?
>>345に紹介された根拠についてどのように思われますか?
450:暇人
07/05/20 14:48:46 FmGhRaq6
>>449
345さんは個人的修習過程で 自分なりの納得があったので
それでいいのではないでしょうか。
一般的に波羅密は完成の意味で、菩薩の六実践ですので、
「サマタ+ヴィパッサナー」という修行と別体系ですので
違うものを無理にいっしょに読み解く必要を感じません。
あえて言うならば六波羅蜜の「禅定」は
「サマタ+ヴィパッサナー」ではないかと。そこを分けていないと思います。
451:神も仏も名無しさん
07/05/20 23:20:17 pO8eRM7L
>>450
ありがとうございます。
>345さんは個人的修習過程で 自分なりの納得があったので
>それでいいのではないでしょうか。
>>345を書き込んだのは私ですが、リンク先の記述者とは別人ですので念のため。
>違うものを無理にいっしょに読み解く必要を感じません。
やはりそうなりますか。リンク先の記載にはヴィパッサナーに対する偏重を感じましたが、
偏見が入っていたのかも知れませんね。
ついでなのでお聞きしたいのですが、八正道の正念をヴィパッサナーと解釈する説明を
最近見かけるようになりました。
これは正しい解釈と考えてよろしいのでしょうか。
452:暇人
07/05/21 01:08:55 GOJP0xjb
南伝の日本テーラワーダ仏教協会などは、
ヴィパッサナー瞑想を解説する時、「四念処」を例示したりして
説明する立場から「正念」をヴィパッサナーと説明するみたいですね。
「正念」=「四念処」はそのとおりですね。
これをヴィパッサナーと結びつけるようですが、根拠は私にはよく
わかりません。
八正道に無理矢理当てはめれば、
「正念」というより経典に拠れば「正見」か「正定」ではないかと。
「定」はサマタですが、パーリ増支部には「正定」が他の七支を助ける
とありますし、雑阿含では「正見」が他の七支を起すとありますので。
ヴィパッサナー瞑想を具体的に説明するとき「四念処」の
1,身体を不浄
2,苦を体感する
3,心の無常を実感
4.法の非我を知る
が解りやすいかもだからでしょうか。
私はよくわかりませんので原始佛教スレなどで尋ねられてください
453:神も仏も名無しさん
07/05/21 08:25:38 TaHONbGx
ありがとうございました。
最近の原始佛教スレは雑談罵倒スレになってしまっていて、とても見るに耐えません。
あのスレは定期的にこういう状態になってしまうようですので、しばらく落ち着くのを待ちたいと
思います。
とりあえず、質問箱に暇人さんが出入りされているのが知れて安心致しました。
454:神も仏も名無しさん
07/05/21 19:38:57 XqmvEmwB
① 初禅から第四禅までは、いわゆるディヤーナ(禅那、新訳で静慮)ではないでしょうか。
そして第四禅はいわゆる「止観均行」で止と観の両方があり、ここで悟りを開かれ、
またここを出てすぐに無余依涅槃に入られたと。
新訳で「静慮」としたのも、この止の面に当てて「静」、観の面に当てて「慮」とした、
ということのようです。
また禅那 dhyAna の語根 dhyai には、考える、という意味があるので、「止」だけでは
ないように思われます。
ちなみに、正定の「定」は原語がサマーディで、識無辺処定などのサマーパッティ、四禅の
ディヤーナ、シャマタ(サマタ)やヴィパッサナーなどを包含する言葉だと思います。
サマーディ、三昧・定
サマーパッティ、等至・八定
ディヤーナ(ジャーナ)、静慮・四禅。<大乗の六波羅蜜の禅波羅蜜>
シャマタ(サマタ)、止。こころの散乱を止める。
ヴィパシュヤナー(ヴィパッサナー)、観。法を観想する。
② 安那(入息)と般那(出息)を入るに任せ、出るに任せて観察するさまは、身心の動きを、一々
そのまま観察する(言語化もしますが)「ヴィパッサナー瞑想」と同じ方式の観想法のように思います。
「正念」の「念」も「安般念」の「念」と同じサンスクリット語のスムリティ(パーリ語ではサティ)です。
「正念」の方は本来、仏陀の教えを正しく記憶しておく、ということのようですが、スムリティとは
忘れずに覚えておく、ということですので、「安般念」の「念」にも通じるのでしょう。
逆に、「止観」における「観」とは、その原語は同じでも、指している内容はかなり異なっている、
とした方が、要らぬ混乱を防げるのではないか、と考えます。
止観の方には、四諦や縁起などの法を観ずる、という悟りに直結する面があるのに対して、いわゆる
「ヴィパッサナー瞑想」の方は、そういうところに至る前段階の、身心を整える準備段階のものだと思われますので。
455:神も仏も名無しさん
07/05/22 20:00:05 ZRIF/Xcc
>>454
ご丁寧なご回答をありがとうございます。
大変に多くのヒントをいただきました。
そのうちにどこかのスレで議論のネタに使わせていただくことになると思います。
456:神も仏も名無しさん
07/05/22 20:25:47 j/XIlU55
深見さんのごちゃまぜ仏教を肯定したところで、カルトはカルトだよ
457:神も仏も名無しさん
07/05/22 20:59:20 A/jEY8h7
観(ヴィパッサナー)は『仏教要語の基礎知識』では三学の定と慧のどちらにも分類されていますね。
「ヴィパッサナー・パンニャー(観慧)」という熟語もあるので、ヴィ(分析して)・
パシュ(観察する)ということが、悟りの智慧を生み出す大切なことがら、ということなのでしょう。
そうして後には「般若仏母」という考え方まで出てくることになったのでしょうね。
「般若波羅蜜は是れ諸仏の母なり」(大智度論34)
458:神も仏も名無しさん
07/05/23 23:38:17 9AYhA31q
観自在菩薩は観法が自在な菩薩だってえのは本当なんでしょうか?
459:神も仏も名無しさん
07/05/23 23:48:48 YKeenXJg
観が自在な法だと思います。
法ならば観は自在だと思います。
460:神も仏も名無しさん
07/05/24 07:54:17 UDxI55HE
釈尊は人間ですか? インド人ですか?
461:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/24 08:00:20 wyGNROLz
仏教に置ける超越者に付いて質問致します
一見、仏教は無神論に見え、そう言う解釈もありますが
深く分けいって行くと殆どユダヤ―キリスト教の神と変わらぬような神を説く経典もあり
どうやらこの超越者としての仏に全て実を委ねる事こそが
悟りだと言う側面もあるように思います
超越者に関しては皆様は如何思われますか?
462:神も仏も名無しさん
07/05/24 19:26:58 yOZ/MLJW
ワールドメイト信者乙
463:日々是修行
07/05/25 10:31:02 ReMTM/Q8
>>461 超越者としての仏に全て実を委ねる事こそが悟りだ
「仏に全面的な信頼を置いて、悟りの道を辿る」と思いますが、
お如何でしょうか?
拙者も仏教は無神論だと認識してます。
キリスト:神は絶対的であり、何人とも真似できない存在である。
仏教:衆生は誰でも仏になる可能性はある。
できれば「ユダヤ―キリスト教の神と変わらぬような神を説く経典」を
教えてくださいませんか?
464:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 16:40:33 9LPrDf9S
>日々是修行様
キリスト教は父と子と精霊の三位一体の神がいる訳ですが
仏教でも「三身説」と言うのが在って
応身仏―報身仏―法身仏の三位一体だと聞きます
また、よく「これも仏の因縁か」みたいな事を言いますが
まるで事物の運命を司る超越者が居るかのような発言に思えます
もしそれが修行して仏になったかつての人間だったとしたら
もはやそれは「人間」じゃないでしょう
自然災害や人の生死の行方まで司る仏なる存在は
もしそれが元「人」だとしたらイエスキリストみたいな「人神」ですよ
少なくとも私はいくら修行してもこう言った事象の運命を操る「仏」には成れないと思う
それは修行してどうなると言う問題では無いですからね
465:南無妙法蓮華経
07/05/25 16:55:15 y8sX1fVL
仏は人間です。よく諸法に通達したものを悟ったもの、と言います。
キリストのように空想の神を信仰しているわけではないです。
日蓮大聖人の大曼荼羅には、仏の内証が凝縮されています。
日蓮正宗の信徒は、これを直感的に信仰することで、
釈尊仏法をも内包する果をいただくことができます。
南無妙法蓮華経
466:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:08:14 9LPrDf9S
>南無妙法蓮華経さま
日蓮様を信じてるだけで諸法に通達出来ると言う事は
もちろん貴方もある程度諸法に通じて居る訳ですよね
でしたら是非幾つかの法を説いて聞かせていただきたいのですが
467:南無妙法蓮華経
07/05/25 17:23:50 y8sX1fVL
自分が言えるのは南無妙法蓮華経が絶対ということだけです。
勉強中の身なのであまり偉そうに言えないです。
日蓮正宗の僧侶にいろいろ聞いてみられるといいと思います。
南無妙法蓮華経
468:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:25:37 9LPrDf9S
何故南無妙法蓮華経が絶対と言えるのですか?
469:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:27:36 9LPrDf9S
ちなみに仏教で言うところの「法」とは何の事なんですかね
いまいち捕らえどころの無い概念ですが
470:南無妙法蓮華経
07/05/25 17:40:06 y8sX1fVL
なんでも当てはまると思います。
娯楽・政治・宗教・産業・・・・・・・・・
全て法だといえます。
南無妙法蓮華経
471:神も仏も名無しさん
07/05/25 17:40:30 XLVefZR3
日蓮と真宗の現代教学は、仏教じゃないからね。
法は、多義的ですが、およそ四つの意味がありますよ。
1.教え
2.因
3.徳、習慣、法規
4.もの、現象
472:南無妙法蓮華経
07/05/25 17:42:41 y8sX1fVL
諸法は、移ろいやすく、普遍的に常住するとは言えない。
しかし、日蓮大聖人が顕された大曼荼羅本尊は
確固として700年前から日蓮正宗総本山大石寺に御存在しています。
473:南無妙法蓮華経
07/05/25 17:44:23 y8sX1fVL
第三次産業というのは法を売り物にしているといえます。
南無妙法蓮華経
474:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:55:21 9LPrDf9S
確かに大曼陀羅に限らず存在とは一種の因であり法かもしれませんね
私が在る事によって様々な因縁が生じて居るように思います
もちろん私も様々な因縁に因って生じて居る現象なのかも知れませんが
ところで万象の究極の原因として大日如来のようなものが想定されて居るのではありませんか?
それとも大日如来も因縁に因って生じたものですか?
或いは因縁そのものが大日如来であり
在るがままのこの世なのでありましょうか
475:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 17:59:02 9LPrDf9S
お釈迦様も因縁によって悟られたのではありませんか?
ならばお釈迦様を悟らせた因縁とはなんでしょうか
それとも悟りの因とは万物に存在すると言う仏性なのでしょうか
ならば仏性なるものはどう言った因縁によって生じたのでしょうか
476:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:06:11 9LPrDf9S
法華経の中に観音経と言うのが在って
ヒーッ!助けてと言う衆生の声を聞くと飛んで来て助けてくれるらしいのですが
この観音菩薩とは実存する生身の人間の事なのでしょうか
確かに世間にはたまに菩薩見たいな人も居て存在そのものが救いであり愛であるような場合があります
それとも観音菩薩は形而上的な存在で事象の背後に居て
事象を操り我々をそっと見守ってくれるような神的存在なのでしょうか
477:南無妙法蓮華経
07/05/25 18:10:03 y8sX1fVL
日蓮大聖人の御本尊様を因として南無妙法蓮華経をすると、仏に成れます。
南無妙法蓮華経
478:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:22:14 9LPrDf9S
現代科学に依ると人間もまた様々なる因縁に依って生じた現象であるとされますが
塵芥から人間を創造した宇宙の無限なる力
或いは人間を仏にするような無限の力
この力を大日如来と呼んで良いのでしょうか
だとするとそれは「神」(ゴッド)と同次元の存在ではありませんか
ゴーダマ・シッダルダは実在の人間ですがゴーダマさんをこの世に在らしめた力が在ってゴーダマさんが居る訳です
ゴーダマさんはこの無限の力ブラウマーに祈って悟りを得たと聞きます。一元論的に見ればゴーダマさんもまたブラウマーなのであり
自分の中の偉大なるパワー仏性が目覚め、ブッダに成ったとも考えられます
ブッダをブッダに在らしめた力とブッダそのものもまた同じ力なのです
法身がこのブラウマーであり、報身が具体的に働く因縁の力、例えばブッダの父であり、ブッダの敵であり、友であり、飢えたブッダにミルクを与えた少女であり、菩提樹であり、
難行苦行であり、風であり、雨であり、光であり、応身がゴーダマ・シッダルダであり、我々自身なのではありませんか?
479:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:30:46 9LPrDf9S
どうも日蓮宗と言うのはキリスト教と同じ構造を持って居るように思います
南無妙法蓮華経と言うのはキリスト教でいう精霊に当たります
日蓮様はイエスキリストであり
大曼陀羅は宇宙創造神のようなものではありませんか?
480:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:33:35 9LPrDf9S
日蓮宗に限らず仏教、いや宗教そのものが似たような神話世界観を持って居る訳で
生身の人間で在ったイエスは精霊が宿り神に成ります
日蓮も法華経を唱え仏になります
481:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:43:34 9LPrDf9S
仏説によると釈迦の悟りの内容は法華経に書いて在ると言います
だとすると法華経を信じるとお釈迦様になると言う事になります。
神に熱心に祈ったところ法華経が釈迦の精神に宿り、釈迦は法華経を説きました
法華経の原理はこの宇宙に客観的に存在して居り釈迦はそれを悟ったから仏になったのです
すると「悟る」とは法華経を知る事です。
もし、釈迦の悟りの究極的な内容が法華経に書いて在ると言う仏説が事実ならばですがね
法華経を学び実践する者は原理的に皆、ブッダなはずです
482:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 18:45:24 9LPrDf9S
それとも法華経が最高経典と言う説は嘘なんでしょうか
483:南無妙法蓮華経
07/05/25 18:47:18 y8sX1fVL
ようするに、本を読んだらその思想が心にインストールされる、にも通じる話だと思います。
仏の当体である法華経に南無すれば、仏に成れます。
日蓮大聖人の御本尊を強く胸に宿せば、仏に成れます。
良い法を行じるものは、神も守護します。
南無妙法蓮華経
484:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/25 18:57:04 2hcf6IvT
>ようするに、本を読んだらその思想が心にインストールされる、にも通じる話だと思います。
なるほどφ(..)メモメモ
>仏の当体である法華経に南無すれば、仏に成れます。
簡単に成れるもんですね(^_^)v
>日蓮大聖人の御本尊を強く胸に宿せば、仏に成れます。
ほんとですかか?(@_@;)
>良い法を行じるものは、神も守護します。
騙されてはいけません\(゜ロ\)(/ロ゜)/
485:南無妙法蓮華経
07/05/25 18:59:56 y8sX1fVL
嘘かまことか、まことか嘘か。
確かめるために退屈な人生を
南無妙法蓮華経にかけてみましょう。
南無妙法蓮華経
(^^)
486:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/25 19:00:57 9LPrDf9S
ものは試しで今から法華経3巻(岩波文庫)を熟読して見ようと思います
これで仏に成れなかったら嘘です
487:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/25 19:34:24 2hcf6IvT
>>485
退屈な人生にかける。って・・・?
そうですね、
それもいいかもしれませんね。
うわああああああぁぁぁぁぁ~~~\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
488:神も仏も名無しさん
07/05/26 00:21:23 B7xYjSrb
>>474
大日如来も、あらゆる本尊も空性ですよ。観想の対象としての本尊であって、
実在ではありません。確かに現代真言宗でマクロコスモスとか仰る方がいますが、邪見です。
>>475
縁起です。仏性も空性です。空といっても現れや働きはありますが実体は原子も神もないという意味です。
>>476
加持も縁起です。重要なのは、心の力です。心で強く願い続けることで縁起し加持が起こるのです。
>>478
科学というのは、西洋思想が根源にあって、何か本質を追究する還元主義の流れが主流でした。
しかしながら現代科学の量子論は、反還元主義で仏教の縁起に近い考え方です。
何か還元するクォークのような実体的基盤も、創造主も認めないのが、仏教です。
>>481
それはありません。
>>482
インド・チベットでは法華経が最高経典とはいいません。日蓮の『法華経』解釈は邪見です。
>>486
内容を正確に理解し、それを実際に修行しなければ悟れません。
インド学は、200年の歴史があり、少なくとも1万人ぐらいの人が
文献学によりかなり正確に『法華経』を読みましたが、誰一人悟りませんでした。
それは修行しないからです。それに『法華経』から修行法を読み取るのは難解なので、
本来は、師に就くべきです。それができないならスマナサーラ本かダライラマ本を
読んで見てください。『法華経』に関連するなら『摩訶止観』か『天台小止観』をお勧めします。
489:日々是修行
07/05/26 00:25:09 e/YwcJn5
>>486
無我様、理解する=悟ると、勘違いされておりませんか?
「悟る」とは、「理解」でも「感じ」でもありません。
>>483
法華経は確かに素晴らしい経典ですが、
御題目だけで成仏できるとは思えません。
490:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 01:25:17 PQnx+fo3
>インド・チベットでは法華経が最高経典とはいいません。日蓮の『法華経』解釈は邪見です。
法華経最高経典説はそもそも日蓮の説ではなく
天台大師や弘法太師の説だと聞きます
天台も空海も仏教界の最高権威者で彼らが悟ってないなら一体誰が悟ってるんだよと言うような人達ですが彼らの意見も邪見なのでしょうかか
>加持も縁起です。重要なのは、心の力です。心で強く願い続けることで縁起し加持が起こるのです。
とすると、ブッダのイメージは大事ですよね。
もう考えられる限りの人間の理想像がブッタと考えて良いでしょうか
そしてそれに成りたい成りたいと強く強く念ずると成れると
>それは修行しないからです。それに『法華経』から修行法を読み取るのは難解なので、 本来は、師に就くべきです。それができないならスマナサーラ本かダライラマ本を 読んで見てください。
悟ると言う事とブッダに成ると言う事は違うのですか?
師に付いた方が良いとおっしゃるのであれば是非師を紹介してください
ダライラマ本を読んで見ますがダライラマは悟ってるのですか?
491:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 01:37:30 PQnx+fo3
無我様、理解する=悟ると、勘違いされておりませんか? 「悟る」とは、「理解」でも「感じ」でもありません。
悟った事が無いので分かりませんが
熟読すると言ったのは法華経の作者の精神に触れるような読み方をすると言う事ですね
また南無妙法蓮華経さまの口上を信じるならば釈迦の悟りは数学的真理のようなもので学習すれば三歳児の子供でも悟れる性質のものであるような印象を受けます。
悟りと言うものが法則を自覚するものだとすると
法則とは人格とか経験とは無関係に存在して居る訳で
理解が出来れば三歳児でも悟れてるし
理解が出来なければ難行苦行を積んだチベットの高僧でも悟れないものだろうと思います
492:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 01:48:32 PQnx+fo3
もう考えられる限りの人間の理想像がブッタと考えて良いでしょうか そしてそれに成りたい成りたいと強く強く念ずると成れると
だとすると具体的なイメージとしての御本尊様としての日蓮を拝んで居る日蓮宗の人達の修業法は仏教哲理からして間違いでは無いですね
日蓮が人間の最高の理想像かどうかは扨置き、具体的なイメージがあると精神が集中し易いです。
そう言えば最近、若い世代にキムタクとかタッキーそっくりの人達が増えてますが、そりゃもう言動からルックスまでそっくりなんですが
キムタクやタッキーが彼らの御本尊様だと
段々それらしくなってくるんですかね
そうだとすると仏教理論は正しいですね
493:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 01:54:48 PQnx+fo3
心理学で言うところの同一化機制と言う奴ですよね
仏像と言うのは無意識の願望を具象化したもので、案外宮沢賢治が阿修羅像を拝んでた為に血へどを吐いて死んだと言う説も正しいかも知れません
494:神も仏も名無しさん
07/05/26 08:25:56 B7xYjSrb
>>490
> 法華経最高経典説はそもそも日蓮の説ではなく
> 天台大師や弘法太師の説だと聞きます
天台大師は、確かに法華経最高経典説ですが、日蓮とは質が違います。
法華経は、包括的な教えで決して排他的な教えではありません。これはインド以来の伝統です。
『摩訶止観』『天台小止観』は、『ヴィスッディマッガ』などによく似ています。
弘法太師は、法華経最高経典説は取ってません。密教は言うに及ばず『華厳経』より低く観ておられます。
悟りには階梯があります。例えば、空性を悟っても、それを深めていかなければいけないのです。
ダライラマ猊下は、少なくとも空性は悟っておられます。
ですが、どの程度の境地かは私のような者には伺いしれません。
ダライラマ本をお読みになるのでしたら、
『ダライラマの仏教入門』
『智慧の眼をひらく』
『仏教哲学講義』
『愛と非暴力』
の順番で読むといいかもしれません。
その前に、マチウ・リカールさんの
『僧侶と哲学者』
『掌の中の無限』
を読まれてからの方が誤解が少ないかもしれません。
師は、ご自身の縁で出会うのが良いと思いますよ。いろんな先生を観てよい先生と出会ってください。
それでは不親切なのでダライラマ猊下の師でもあるトゥルシ・リンポチェはいかがでしょうか?
URLリンク(www.chiwongmonastery.com)
495:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 10:28:11 PQnx+fo3
494さま
紹介を頂き本当に有り難うございます
ところで今、『掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時』のブックレビューをさっと読んだのですが
ちょうど前レスで議論があった空性と創造原理に付いての議論が物理学者とフランス人の僧侶マチウさんとの間にあったようです
どちらの意見にも肩入れせず私の見解を述べますと
仮に宇宙が空性だろうがゴッド創造者が居ようが
人間が今此所に在ると言うのは事実な訳です
前レスの議論で在ったように
仮に私が幻であろうとも幻としての私は在ります
宇宙が幻であり空の原理に貫かれていたとしても
その空は星を造り、太陽を造り、鉱物を造り、生命を造り、動物を造り、人間を造り、テレビを造ったり、パソコンを造ったりしている訳です。
この宇宙の原理が空であれなんであれ
空は「無」を生み出したわけではなく
テレビを生み出し、人間を生み出し
インターネッツを生み出し
仏教を生み出し
地球を生み出し
天文学を生み出し
有りとあらゆるものを生み出したのです
それらが幻であるにせよ
この幻の多産な事に私は驚きます
そしてこれは「時間」の経過と共により高度なものに発展して来て居ります
人間は無数の細胞の集まりですが
空はまず元素を創造し、単細胞生物を創造し、多細胞生物を創造し、さらに社会を創造し、より高度な事物を日々大量に創造して居る
仏教がそんな事は無い全ては空だとかいって目の前の事実すら否定するとしたら
仏教は思想としてはもはや現実しない空疎な観念論に堕落して居ると言う事になるでしょう
496:神も仏も名無しさん
07/05/26 11:25:01 B7xYjSrb
では無我さん、私とは何でしょうか?
私の本質はなんですか?
497:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 11:31:59 PQnx+fo3
分かりません
何でしょうか
498:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 11:45:15 PQnx+fo3
私の本質は「思い込み」じゃないですかね
499:日々是修行
07/05/26 11:45:37 e/YwcJn5
>>496
「私」は自我の認識。
「私の本質」は縁起生滅と考えて良いんじゃないでしょうか?
>>495
無我様、なんだか誤解されてるようですね^^
真空生妙有。「空」は「全て無し」ではありません。
そして、仏教は目の前の事実を否定してません。
ただ、目の前の現象に囚われず、その本質を見ようと言ってる。
500:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 11:52:20 PQnx+fo3
理想と現実に置ける妥協の産物
501:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 11:55:35 PQnx+fo3
本質などないというのが仏教の立場では?
502:、、大王
07/05/26 11:57:27 t2X1d6gM
むずかしすぎて、、わっかんなあい、、、
503:日々是修行
07/05/26 12:08:53 e/YwcJn5
>>501
どこでそういう曲がった論説を身に付けましたの?
○X宗やX○学会の「ご本尊」はよく解りませんが、
物事に、道理に「本質」はあっていいんじゃないの?
504:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 12:11:27 PQnx+fo3
仏教では私を私足らしめて居るのは無明であるなんて言いますね
私はこう言うHNですが
よく日常の生活の中でエゴに囚われて失敗してしまうことがあります
だからその都度、イカンイカンと思って
エゴを滅却するのですが
果たしてエゴの正体とは何だったのだろう
さてエゴの代わりに
「仏への意志」があり、それが私の全てかと思いますね
仏とは諸法を悟って衆生を救う存在です
505:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 12:15:32 PQnx+fo3
ここでの議論の流れの中でそんな話が在ったと思いますよ
この世をこの世足らしめて居る原理などなく一切は空であると
そのような議論の流れの中でレス番495の意見を述べました
506:日々是修行
07/05/26 12:23:47 e/YwcJn5
>>505
だから、その「空」に対する認識が偏ってませんか?
「永遠じゃない」=「無し」ではありません。
507:日々是修行
07/05/26 12:36:20 e/YwcJn5
無我様。「我」をご存知ないんですか?
「我」を知らなければ、「無我」はありえませんぞ?^^
「放下」を言う前に、持ち上げてなければ言う資格はありませんよw
「仏とは諸法を悟って衆生を救う存在」
仏とは衆生を救いたがる存在です。それは仏の意志であり、慈悲である。
で、助けてもらいたい、もらいたくないは衆生の智慧である。
508:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 12:37:07 PQnx+fo3
多分、偏ってないと思われます
私が仏教で言う空=無であると理解して居ると貴方が理解して居るしたらそれは誤解です
509:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 12:40:12 PQnx+fo3
確かに御存じないですね
そろそろ無我から空也とでもHNを変えようかと思います
510:神も仏も名無しさん
07/05/26 13:25:45 B7xYjSrb
その通り、本質はありません。
その本質のないことを空と呼んでいるわけです。
本質がないのに私を非常に大切にしますよね。
さらに私の身体、私の父母、私の家、私の車などなど、
所有物を大切にします。そしてそれらがいつまでも変わらず今のままであって欲しいと思います。
これに関連してマチウさんは『掌の中の無限』202頁で次のように述べてます。
> 私たちは、現象についてマクロ的で還元主義的な知覚をもつけれど、
> 私たちには何でもこの知覚に引き寄せようとする頑固な傾向があり、
> 多くの問題がそこから生じているはずです。
身体、父母、家、車などと言われる確固とした実体があるように知覚することを言っています。
そして~であると認識したら、それ自体がずっと不変であるように思っている。
そして何より、私を実体視し強力に執着することから、さまざまなトラブルが発生するので、
あるがままのありようを観るヒントとして、縁起、無常、空、無我という概念装置を言葉で提供しているわけです。
ですから、空というのは、何もないことを意味するのではなく、
不変の実体、固有性、本質というものがないことを意味します。
すべての現象が縁起によって相関関係のなかで生成していることを意味しています。
それについて『掌の中の無限』は、現代人に納得できるように巧みに説かれているので読んでみてください。
とても私はマチウさん以上に巧くは説明できませんから。
511:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 14:18:55 PQnx+fo3
丁寧なご説明有り難う御座います
西島和夫さんによると仏教哲学者のナーガルジュナは空を「あるがまま」と捉えて居たと言います
この説に依ると「あるがまま」に生きる事が仏教の悟りと言う事になります
確かに、空を悟るとかやって居るうちは空を生きて居る事にはなりませんからね
空の世界に空である私が飛び込んで行き一体となり空の世界を構成する
これが三昧と言う境地でしょうかね
512:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 14:22:00 PQnx+fo3
こうやって書き込みをする事も空の世界に実際に影響を及ぼしている訳ですからね
投げた石が水面に波紋を呼ぶように
波紋が波紋を呼び空の世界を構成する
513:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 14:28:54 PQnx+fo3
実際未熟な人間が「在るがまま」に生きたりするととんでもない事になるのですがそれもまた「在るがまま」の世界なんですよね
「あるがまま」の世界に恐れを成して仏教を学んだりするのもまた「在るがまま」なんですが
一番よいのは「在るがまま」に降伏してしまう事だと思います。
そしてそれは言わば「神」に帰依することと同義なのであろうと思います
514:神も仏も名無しさん
07/05/26 14:30:37 B7xYjSrb
西島和夫さんの本は、完全な邪見ですので、捨ててください。
彼の説は、空と反対の素朴実在論みたいなものだったと記憶しています。
彼の『中論』は、文法を囓った中学生が辞書を片手に言葉を当てはめたようなものです。
しかもそのパズルには、素朴実在論という彼の人生哲学が下絵になっているという、
全く酷いものです。
515:神も仏も名無しさん
07/05/26 14:59:49 B7xYjSrb
>>513
「在るがまま」の意味が違います。それは「思いのまま」「自分勝手に」でしょう。
だから、我、エゴがなくなれば「在るがまま」ですべて巧くいくんです。
その場で、最善のことを「在るがまま」にするからです。
エゴイステッィクな実際未熟な人間が「思いのまま」「自分勝手に」に生きたりすると
とんでもない事になるのですがそれは「在るがまま」の世界ではありません。
516:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 15:27:32 PQnx+fo3
もちろんそう言う意味で言って居りますよ
自分勝手に生きる人間を在るがままの世界に誘うのが在るがままの世界で
エゴイスティックな人生観を修正しないととんでもないことになりさらには「ポア」されるような原理が働いて居るようにも思える
それが在るがままの世界なのだ
517:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 15:33:37 PQnx+fo3
西島さんの中論は素朴実在論では無いと思いますね
氏に依ると「空」とは「目に見える総合的な現象」の意味らしいです。
518:神も仏も名無しさん
07/05/26 16:51:10 B7xYjSrb
>>516
仰る意味が分かりません。
とにかく『掌の中の無限』を読んでみてください。
西島さんの説は、私の印象で、素朴実在論みたいだと思っただけです。
ただし訳がムチャクチャなのは、はっきりと憶えています。
なんで、そんな意味になるのかという。
519:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 17:16:22 PQnx+fo3
いや、西嶋さんに言わせればこれまでの訳が漢訳中心で原典の意味をないがしろにしているとの事でした。
原典に忠実に翻訳すると
ナーガルジュナはこの世に信じるに足りる四つの信仰内容があり
1 理性(hetu)
2 客観的事物(alamaana)
3 現在の瞬間(anantara)
4 現実の神にも似た力関係(tathaivadhipateya)
さらに「行為」について分析して居ると言います。
520:神も仏も名無しさん
07/05/26 18:15:19 B7xYjSrb
それが正に良い例です。それは以下の『中論』1.2に基づいています。
catvaara.h pratyayaa hetur aaramba.nam anantaram |
tathaivaadhipateya.m ca pratyayo naasti pa^ncama.h ||
縁は四種、因縁、所縁縁、等無間縁と、増上縁である。第五縁はない。
これはただ部派仏教で受け入れられていた四縁説を列挙しているだけです。
hetur:因縁
aaramba.nam:所縁縁
anantaram:等無間縁
aadhipateya.m:増上縁 (ここに関しては単語の切り方さえ間違ってる)
という意味で、西島さんがサンスクリット辞典から適当に当てはめた意味ではありません。
こんなこと、ちょっと仏教を勉強すれば分かることです。西島さんの訳は妄想全開ですね。笑える。
こんな簡単なことがクリアーできてない西島さんの本は、読むだけ混乱の元なので、捨てましょう。
西島さんは、傲慢で無知なだけですよ。
『中論』の研究者は、梵蔵漢に基づいて緻密な研究を行ってます。
梶山雄一先生、丹治昭義先生がよい研究をされてます。
最近では石飛道子先生が、真に革新的な研究を準備しています。
和訳は、中村元先生の文庫本が一番入手しやすいので、それがいいでしょう。
といって中村先生の中観研究は、優れたものではありませんが、西島さんに
比べれば、天と地ほどの差があります。
521:神も仏も名無しさん
07/05/26 18:52:53 wfiYf1m4
>>519
西嶋さんはやめた方が良いけど、石飛さんにも注意が必要だよ。
三浦さんが批判しているんで、参照してね。
URLリンク(members.jcom.home.ne.jp)
522:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 18:57:52 PQnx+fo3
丁寧な御指摘有り難う御座います
ただ、学術的研鑽を積み重ねた中論研究が真理と合致しているかと言うとそうとは限らないと言う場合もあると思います
西嶋さんの妄想爆裂中論研究の方が実は現実的であり(仏法に適って居り)
オーソドックスな研究の方が間違いと言う事はありえるのではありませんか
もっとも!その可能性もあると言うだけの話で何も西嶋さんの研究に肩入れして居る訳ではありません。
私は仏教学者ではありませんので、現実に生きる知恵を仏教経典には期待して居るのです
どちらが正当な解釈かと言う論争は仏教学的には価値があっても宗教的には余り重要では無い。
523:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 19:17:07 PQnx+fo3
西嶋さんは西洋思想にもかなり通暁して居るインテリと思われその中論研究は欧米形而上学の難問を上手く克服しその先に在るものを掴んで居るような形になっており、オイオイ竜樹さんそこまで考えてたのかよ、ちょっと出来過ぎだろうと言う気が確かにしますが。
しかし彼の中論研究を現代の「仏教哲学者の著作」と考えれば
竜樹さんの思想を現代に生あるものとして甦らせた功績はそれなりに評価できるのではないかと思います。
524:神も仏も名無しさん
07/05/26 19:20:26 I1httt00
神社仏閣でお願い事を唱えていて、それが他人に聞かれてしまったらどうなるのでしょうか?
525:神も仏も名無しさん
07/05/26 20:19:35 B7xYjSrb
>>522-523
西島さんは、話にならない妄説ですよ。言うことはいいました。
後は、ご自身で選択してください。
526:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 20:44:57 PQnx+fo3
不思議と西嶋妄想訳は心に染み入るものがあるんですな
特に24章【崇高な現実の検証】は目から鱗です
特に西嶋さんの訳が優れて居るからでは無くブッダの教えが際立って優れて居るからかも知れませんが
主観的な独自性への帰属の中では、現実に道義を顕現するものは現れて来ない。
そして現在のこの場所に置いて道義は存在するが、主観的な独自性への帰属は確認される事が無い。
目の前の総合的な現象をはっきりと見る人は、この世の中を見る。
苦しみや、総合的な現象や、それと同じように自己規制は、まさに道義そのものである。
527:無我 ◆ZnBI2EKkq.
07/05/26 20:48:38 PQnx+fo3
525さま
御教え本当に有り難う御座いました。
御仏縁に感謝します
528:神も仏も名無しさん
07/05/26 23:22:15 I1httt00
>>524にお答えください
529:神も仏も名無しさん
07/05/27 00:21:43 T2CTeLrN
>>524
なんにもなんないから安心しなよ。
530:神も仏も名無しさん
07/05/27 01:29:53 lfHReGSX
ワタシたちは、どんな導師も、どんな指導者も、どんな話し手をも
受け入れることを拒否できないのでしょうか/
他人との関係、話しかた、声の調子、つかう言葉などで
自分の観察したこと以外..ナニもうけいれてはイケマセン。
ソノ全てに気がついてれば、、ソノ時、本当に注意深くなってる奈良バ
完全に異質なこつが起こってるの�・
531:ルー
07/05/27 01:44:55 hgvBVKaN
大日如来というのは実在する神なのでしょうか?
ユダヤやキリストの神の同じなのでしょうか?
それと、弥勒菩薩なのですが、神道の日月神示にでてくる救世主ですが、仏教でも
救世主としてこの世に降臨すると予言しているのでしょうか?
日蓮は弥勒が現れると予言しているらしいですが、いかがなものでしょうか?
532:神も仏も名無しさん
07/05/27 02:01:13 lfHReGSX
シンジナイという罪、グループのホカのヒト達と一緒にイナイという罪、
言葉では無く、その背後に潜む感情についてはご存じですね?
わるいことをした
タメに、後悔や懸念を感じ、其のためオソレや不安を感じるということです。
罪悪感は彼らの人生を酷く苦しめます。
すると、それはとてつも無く大きな問題になり、それが非常におおくの人びとの
罪悪感の背景になったりもします。
パターンは云います。
『何かしなければならない!正しい行為とは何か!誰がオシエテくれるのか!
精神科じみた所へいかなくては!』
このような馬鹿げた事実については全部ご存じです。
だから、常に努力は矛盾を意味し、DQN生産モンです。
努力とは、自分がそれとは別のものだという意味なのです。
本当の真実とは、観念ではなく、あなたが自分の特質、自分の怒り、妬み、憎しみ、不安、混乱、であるという現実です。
この事実を実際にみて、そこにとどまるの。注意、、、そうですね。事実から遊離したウゴキは何も無いのです。
xただ事実と共にとどまる仏教。
激しい痛みがあればとどまれません、
しかし、心理的痛みと共にいて、心で、そうだ!痛いんだ!
といえば
ということは、事実から遊離した逃避のウゴキが無いという意味ですが、そのとき
その本質には葛藤がありませんw
あなたの能のパターンを壊したことになりますので、釈迦のように純粋な発見をみいだすのですた。
533:神も仏も名無しさん
07/05/27 02:42:37 BLa4ar8H
>>529
そうなんですか
願い事に影響はないんですか?
534:神も仏も名無しさん
07/05/28 06:17:05 heJrEFqX
仏教とは
なまくら坊主が屁理屈を並び立て
民衆をかく乱し
金をふんだくって
道楽をするためのものです
民衆を救うどころか
世をかく乱する 恐ろしい退廃文化である
535:神も仏も名無しさん
07/05/28 15:44:19 e6ttcZ3E
>>533
願いを唱えても叶うことは滅多にないから、
他人に聞かれたからと言って、どうってこたぁねぇよ
536:神も仏も名無しさん
07/05/28 22:18:08 S9VXxXyC
あらそうですかあはは・・・
537:神も仏も名無しさん
07/05/29 01:01:07 m88xwN+9
親御さんの培った借金や夜逃げなど、または、
爆竹で年寄りを心臓発作に遭わすような生活態度を省みる
安全な転び方と、正しい立ち直り方について
ソンナ感じですよね。
538:神も仏も名無しさん
07/05/30 01:16:34 gfoD36Ll
松岡農相の葬儀の映像で、会場で遺影が掲げられているときに
告訴してと言う言葉が浮かんでしまったのですが、仏教的には大丈夫でしょうか?
仏教のほうがいいと思ったので相談しました。
539:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
07/05/30 06:53:32 ZoJxAvJJ
>>538
>仏教的には大丈夫でしょうか?
仏教的には大丈夫です。
というか、極端に脳の負担が過度になってるかと思います。
(これは自覚はあるんじゃないですか?)
自覚はあるけど、脳が勝手に反応してしまう。
というのは正常じゃないですね。
URLリンク(life8.2ch.net)
ここで相談するのもイイかもしれません。
異常に自覚があるのは、まだまだ軽症です。
たぶんノイローゼかと思いますね。
過度のストレスが原因で、このような症状が出る場合が多い。
540:神も仏も名無しさん
07/05/30 13:40:57 j0/UpNU3
無意識の願望が実現するというのは心理学の世界では常識ですが
人間の無意識の究極の願望は仏に成ると言う事なのでしょうか
無意識なので私にはなかなか意識できないのですが
私の日々の失敗からあらゆる出会いに関しても意識はしてなくてもすべて仏に成る修行をして居ると考えられない事も無い。
仏教ではマナ識アラヤ識と言う世界を想定し無意識の研究は最先端と言う事なので是非知られざる無意識の世界に付いて教えてください
541:神も仏も名無しさん
07/05/30 15:16:49 xb/wj+eG
はじめて滝行してみようかと考えてるんですが、
必要なものはなんですか?褌くらいですか?
542:神も仏も名無しさん
07/05/30 15:31:22 YXJQAfHB
>>541
風邪薬もっていくと良いよ。
543:神も仏も名無しさん
07/05/30 15:55:33 xb/wj+eG
>>542
8年くらい風邪引いてないんで多分大丈夫です。
褌だけでいいっすか?
544:南無大師遍照金剛
07/05/30 16:22:17 Bo/lwqF+
>>540
荒屋敷や真羅邸とかは書店や図書館にあるから見てね
分からなかったら
ヨガとか瞑想もやってね
仏教は瞑想や禅の実践なんでヨロ
545:神も仏も名無しさん
07/05/30 17:12:58 Acl6zKOZ
>>539
そうですか。脳がオーバーヒートしていると思います。
あと、松岡農相の遺影の写真が流れたときに、ざまあみろと言う言葉が弱いながらも浮かんでしまいました。
この場合は、映像が切り替わっても手を合わせればいいんですよね?
メンタルヘルス板のほうがいいということですね。
ストレスですか、わかりました。
>>540
無意識の願望は実現してしまうのですか?
じゃあ無意識で不利益な願望を抱いていたとしたらそれがなってしまうんでしょうか?
健在意識で抱いている願望は実現しないのですか?
546:神も仏も名無しさん
07/05/30 18:07:49 j0/UpNU3
無意識の願望は実現します
貴方は実際松岡農相が死んだニュースを聞いて「ざまぁみろ」と思われたと言って居りますが、日本全国で何千万人と言う人が「ざまぁみろ」と思ったと思います。
即ち何千万と言う人間の呪いが彼を死に追いやったのです
ユングは個人の無意識の他に集合無意識を想定して居ます
例えば集合無意識のごく表層に「家族の無意識」が在ります。
子供などがそうで自分の意識よりもむしろ家族の無意識に影響されて行動する事があります。
例えば僕は全然野球に興味が無かったのですが何故か少年野球のチームに入りました。
これは親父が無意識に望んで居た事でそれを敏感に察知してなんとなく野球を始めた訳です
我々は言葉では無く「心」に反応する性質があります
親父は言葉では野球しろとは言いませんでしたが心で強く願って居り、しかも無意識の感受性が強いタイプの人間だったので、ついフラフラと「私」は野球チームに入ってしまった訳です
このように心と心は繋がって居り、余り傍若無人な振る舞いを繰り返し周囲の人間に「死ね」と思われて居る人などは
ついフラフラと無意識に崖から足を滑り落としたり、フラフラと首にロープをかけて自殺してしまったりするケースもあると思います
また「人を呪わば穴二つ」と俗に言う言葉が何を意味しているかというと
ある人を呪うとその死の念が伝わります
呪われた人は意識のレベルでは呪殺など全然信じて無くとも
呪われた事によって自分を呪う対象を激しく憎みます
そして無意識に同じ力かそれ以上の「呪い返し」をします
それで共倒れになり「穴二つ」なんだと思います。
ですから如何に憎い相手がいても人を呪う事はやめた方がいいです
どっちにせよそういう人は多くの人の呪いのパワーを背負ってますから長いことは無いのですが
断末魔の呪い返しの力で地獄に引きずり込まれる恐れがあります。
547:神も仏も名無しさん
07/05/30 20:41:21 AJx+R+rh
それは死んだ後に思ったことでしょ?
だからその雑念が彼を死に追いやったとは思えない。
無意識の願望が実現するんだったら、俺はとっくに死んでるよ。
548:神も仏も名無しさん
07/05/30 23:36:09 j0/UpNU3
いえ、死んだからふと本音が出て来たのでしょう
まぁ少なくとも死ねと思われて居ても不思議では無いでしょ
好き好き大好き松岡さんとは思われて無かったはず
貴方が死なないのは自我が相当強いか
周りに毒にも薬にも成らない存在と思われて居るからかどっちかで
仮に貴方が死にたいと思ってるとしても
死にたいと思って居る事を意識して居るのでそのことは自我のコントロールにあるのです。
549:神も仏も名無しさん
07/05/31 19:58:31 33N7smZr
なるほど、そういうことですか。
550:神も仏も名無しさん
07/06/01 02:10:09 Nb8icKqW
ゴ自身の考案物、必死の希望、ある種の慰めへの願いゆえの発露が
相変わらずなので哀れなものですyo
551:神も仏も名無しさん
07/06/01 03:24:15 9k5+HElC
どういうことですか?
552:神も仏も名無しさん
07/06/01 12:19:16 8Rk2oVmf
現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である(ヘーゲル)と言う事です。
553:神も仏も名無しさん
07/06/01 18:58:35 CAewwJck
>>552
いまだにヘーゲルですか?古ッ!
もう既に破綻してしまった戯言ではなかったのか?
ま、ご自分の周りを見ればわかるだろ。
不合理的な物事がわんさとあるんだろ?
年金問題にしろ、老人医療問題にしろ、皆そうでしょうw
554:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:02:39 8Rk2oVmf
破綻してるかどうかはその身で知れ。
これでも仏教徒かねw
555:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:05:17 8Rk2oVmf
ま、仏教徒と言っても転びマルキストのにわかの集まりなんだろうが
556:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:22:43 k0fIHHg1
なぜ「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的」なのか?
そもそもここで言う「現実的」「理性的」とはどういう意味か? 説明してください。
557:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:26:38 8Rk2oVmf
現実とはそのまま現実の事です
仏教的に言うと現実の中に高度な仏の意志が働いて居ると言う事です。
558:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:48:25 k0fIHHg1
>>557
仏教で現実は、無常、無我、空、縁起です。
> 仏教的に言うと現実の中に高度な仏の意志が働いて居ると言う事です。
これはヘーゲル的神、さらにはセム的神を「仏」と読み替えているだけですよね。
さて、仏教でこんな高度な神を説くのは、日蓮宗と真宗の近代教学だけだと思いますが。
559:神も仏も名無しさん
07/06/01 22:54:32 CbbXGecY
>>558
現代日本仏教は、大なり小なり、似たような言辞を用いるよ。
厳密な教義に於いてではなくて、対人としてね・・。
そして勿論「神」としてでもない。
560:神も仏も名無しさん
07/06/02 02:30:44 MBgK8l2F
ちょうど花がそっと咲くようなもんです。
561:神も仏も名無しさん
07/06/02 12:25:22 SDtLsuX+
【悪霊に支配された街:秋田】
~秋田県民の多くは悪霊が輪廻転生を繰り返した産物である疑い~
URLリンク(www.megabbs.com)
URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
ここまで酷い事が行われているならば
「怨念をもった心霊」が輪廻転生したケースは当然、存在するだろう。
その場合、その心霊が生前に酷い犯罪被害を受けただけで
根は素晴らしい人であるケースや、生前に殺しを繰り返し
根自体も悪霊そのもののケースとが当然ありうる。
後者の場合、輪廻転生を受けた現世の人物自体が
やはり悪鬼(悪魔)になりうる。その負のサイクルを秋田は繰り返しているのでは
ないか。よって秋田の現実の人間達は、代々トランスポゾン汚染されたゲノムだけでなく
輪廻転生した心霊面でも大きなハンディキャップを背負い、
益々、悪鬼化しているのではないか。そういった意味で、心霊面でも
底知れぬ程、病んだ地域というのは実在しうる。また、悪鬼(悪魔)の血族・地域集団
というのは当然、保存されうる。自然淘汰の過程でそういった行動様式・思想様式は
保存され進化しうる。それが秋田でありユダヤではないのか?
そういった意味では秋田にはやはり一般人は近づくべきではない。
悪霊が支配しているのは比喩ではなく事実であろう。
日本国民はこの秋田県地域には絶対に近づかない方がよい。
一つ間違えれば殺害される。彼らの殺しは容赦がない。
9月の秋田国体や8月の竿灯祭にも行かないほうがよい。
一つ間違えれば消される。秋田はそういった特殊非人地域である。
日本ユダヤ問題はこういった事にもつながっている。
秋田は悪霊に支配された怨念地域だ。
悪霊に取り付かれたくなかったら秋田に来るのは止めたほうがよい
ここは黄泉の国だ。人間が住める場所ではない。
562:南無妙法蓮華経
07/06/02 12:28:52 pQonV3G+
そのリクツはおかしい。
563:神も仏も名無しさん
07/06/02 17:37:30 W+7HR/xn
>>561
大阪のほうが余程怖いと思うけどw
564:神も仏も名無しさん
07/06/04 02:01:57 GSdkKxQC
神様消えろ!と感情をこめて浮かんでしまったので
浄土宗の懺悔(さんげ)文を唱えました。
これで僕は許されますよね?
565:南無大師遍照金剛
07/06/04 06:26:30 3Vikc4BM
>>561
秋田に来る?
ヽ(´∇`)ノ貴方は秋田県民?
566:神も仏も名無しさん
07/06/05 22:19:00 9rWY9XAL
ずっと前、仏教では煩悩が頭から離れないときは「びゃっこつか」という
考え方があるとTVで聞いた覚えがあります。
しかし、今その内容が思い出せません。誰か分かる方がいたら
教えてください。
567:承狂 ◆nR84EH8w52
07/06/05 22:30:46 VRgRP8Nw
白骨化かなぁ?
もしかして、四念処の身不浄観か?
あとは誰か頼む。(笑)
568:神も仏も名無しさん
07/06/05 22:49:46 9rWY9XAL
>>567
「四念処の身不浄観」?
ググっても出ません。よろしければ詳しく教えてください。
569:承狂 ◆nR84EH8w52
07/06/07 10:43:31 kq4RUE0X
失敬失敬。
「四念」
又は、
「四念處」
或いは、
「四念住」
でググってね?
てか、違うかも知れねぇぜ?
570:日々是修行
07/06/07 11:58:45 sX9n1gmI
つ観身不浄、観心無常、観法無我、観受是苦
571:神も仏も名無しさん
07/06/07 17:54:44 O7tz56TP
それは、白骨観、骨鎖観、骨想、骨相、骸骨想などと呼ばれてます。こんな感じです。
不浄観に九想や十不浄というものがありまして、その中の一つをそう呼びます。九想はこんな感じです。
URLリンク(www2.library.tohoku.ac.jp)
美しい弘法大師の『九想詩』を勝又俊教先生の訓読でどうぞ、
新死の相第一
世上には日月短し 泉裏には年歳長し 速疾なること蜉蝣の如し 暫爾にして落崩しぬ
風雲のごとくに貪庫を辞し 火蜉のごとく欲城を罷む 生期既に数に盈ちて 死籍方に名を注す
諸の寿命は霞の若し 刀利の匠堂に非ざるも 救い贖わんこと未だ解らざる所なり 詠吟して傷を懐く
肪脹の相 第二
丘陵虚しく且つ広し 人跡隔てて猶お断えたり 皎潔として明月度り 蕭瑟として秋葉滿つ
悲みを含んで起つて四に望む 但だ屍の一りあるを覩る 裸衣にして松丘に臥せり 髮を被つて長夜に眠る
唯だ四相を以て遷る 半偈に投ぜし人に非ず 昔の時は万牲の厨 今は更に百獸の膳
青■(ヤマイダレ+於)の相 第三
鬼吏永く脱るること無し 死坑深くして底無し 滿月已に光を掩ふ 寶鏡轉た自ら負る
既に飄を被るる燈の如く 復た落花の枝に同じ 日往いて轉た爛を増す 月来たって更に自ら黛くる
白蠕は孔の裏に蠢き 青蝿は骨の上に飛ぶ 昔日の愛を尋ねんと欲するに 一たびは悲み一たびは愧づ可し
方塵の相 第四
四大は良に厭ふ可し 五陰は理として恃み難し 風火去つて還らず 水土將に朽敗せん
青黒にして且つ寛滿なり 膿んで猶お爛れたる莠のごとし 九孔より流るる所の汁 一界甚だ臭穢なり
猛獸其の側らに踞り 禍烏鳴いて一たび提ぐ 體は此の野の塵に留りて 魂は何の處にか歸るとか為る