06/12/03 17:48:31 +xj7swW8
「究極の理想に通じた人が平安の境地に達してなすべきことは」
と普通の我々にはちょっと無理かもしれんが、まず理想として教えを受け入れなさいとする。
「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」と。
「怨みなく敵意なき慈しみを行うべし」
だれに対しても怨まず敵意を抱かず慈しみを行え。
「慈しみのこころづかいはこの世では崇高な境地」釈迦
「敵を愛し憎む者に親切にせよ」
世の中みんな自分の味方をしてくれるとは限らないし、釈迦でも教えている「敵である賢者を愛せと」
「いと高き者は恩を知らぬ者にも悪人にもなさけ深い」
天国での神様は、神様を信じて耐えて生きるなら、病人やこの世で困難に遭遇している人々を一瞬にして
天国で幸せにしてくれる慈悲深い方で、いつかはその時が来るだろう。
「あなたがたも慈悲深い者となれ」イエス
宗教が存在するのは、「一切の存在を幸福に安穏に安楽」にする神様が存在し、この世で
安穏でない人を安穏に安楽でない人を安楽に、人知ではとうてい測り知れない神の平安の
世界で全てを幸福にするから宗教が存在すると考える。
「神の身体を満たすであろう」釈迦。それを境地で求めた。「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行
完成者ブッダに罪過は存在しない」
できるわけないが、その言葉を教えとして受け入れよう、罪があってもあわれみの神を現したイエスを
信じるなら聖霊を汚さないし、あわれみが罪過のない心だと人々は知るだろうと。