06/12/24 17:19:20 FDAQ0xfv
ある特定の宗教団体が特殊な知識を全ての国民に伝えようとする。
それが別の宗教団体の知識とは違うから、対立を生み出す。しかし、多くの国民がどんなことよりも、平安が大切だと無意識に感じていたならば、平和となるだろう。
存在しない世界は一切が平安で安穏で安楽で幸福。
それはより多くの人々が認めるだろう。もしも善いところがあるならば、このような人間の思いはなく、一切が平安で安穏で安楽で幸福だろうと。
それを教育現場に取り入れ、人に敵対することがないように挨拶をしようとか、互いに仲良くしようとか、人の安穏な学校生活を奪わないように苛めをやめようとか、
安穏でない人を安穏にする人助けはよいことだとか、
学習の場を乱し、皆の平安を奪う行為は悪いことだとか、そういうことは、永遠に続くような大切なことだとして宗教の教えとする。
平安の幸せがわからない人、他人の不幸を心得、他人の安穏を故意に奪い、人に過酷を与えるだけのことが平気な人には、過酷を与え反省させる。