07/09/17 08:41:53 Ed5+e/1u
『さとりへの道―上座仏教の瞑想体験 』
これ読むと、彼はマハーシでニルバーナを体験していると書いてある。
するってーと、彼は預流果ということになるが、パオではマハーシの
ニルバーナ体験を「定力が足りなくて有分心に落ちているだけだ」と否定す
るから、彼もその理論にしたがって、自分は預流果ではないと言っているの
かもしれない。
しかし、このへんは微妙な印象を受けるのだが・・・だれかフェアな立場
から資料を提供してほしいものです。
(ヴィパッサナー山のたとえは面白かった)