07/06/04 03:36:31 UmA2cizq
ていうか、純粋に学問的に言えば、結集が、釈迦入滅の勅後に行われいても
すでにブッダご自身の説法の録音テープや自著ではなくて、
アーナンダさまやマハーカッサパさまから見たブッダになっているわけですね。
さらに100年後に、なぜ口伝を経典として文字化しなければならなかったのか?といえば
師から弟子へ口伝しているうちに、それぞれの口伝している内容に食い違いが生じてきた
からです。
まずい、ここらへんで、元マスターを再現して文字に記録しておかないと、
師や弟子ごとに記述がバラバラになってしまうという危機感があったわけですね。
さらに、根本分裂から仏教が二十近い部派に分かれるようになると、
それぞれが、若干異なる経典を伝えるようになってきます。
南方上座部のパーリ語経典も、その中の一つのバージョンだけが現在まで伝わったもの。
北伝大乗の阿含経もその中の一つのバージョンだけが伝わったものです。
だから、現在でも、パオ式、ゴエンカ式、マハシ式と、
いろいろと違いが生じるのも仕方ないんです。
ただ、アーナンダもマハーカッサパも部派仏教の方たちも、
なるべく正しく、ブッダの教えを伝えようと努力したとは思いますし
それは、パオさんも、ゴエンカさんも、マハシさんも同じで、
いちおう、みなさま篤信の方たちですから、
ブッダの教えを現代人の生活に生かせるように
それなりに各自で工夫されているのだと思いますよ。
そこはそれ、いくら経典どおりでも、オウムじゃなあ。
経典の意味もわからず、そのまま単に口パクしてしてるだけじゃないですか?