07/01/28 21:33:44 BrAgtveb
金光教の根本は取次ではないですよ。
御取次成就信心生活運動というのがその昔なされていました。
ソレの影響が現在も残っているし、ソレを誇張していこうとしているのが昨今の当局者です。
教祖の頃は「実意丁寧神信心」と言われるように、天地の道理に基づく生き方、神の願いにかなう生き方を教えられています。
取次取次というのはごく最近になってからです。
結界取次は金光教独自のものと言ってますが、神と人の間を取り次ぐ方は金光教ではなくてもいくらでもいます。
(結界という場所は金光教独自ですが)
教師しか結界取次が出来ないと思っている人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
取次をしないと助からないとかおかげにならないとか言うのは錯覚でしかありません。
そうでなければ教師の存在意義がないとの危機感かもしれません。
大切なのは宗教団体としての宗教教師ではなく、神に向かう心であり、
「神も助かり氏子も立ち行く、氏子あっての神、神あっての氏子、あいよかけよで立ち行く」の精神です。