07/01/26 23:39:57 CuaMAK4B
『什一献金』なる用語は聖書のどこにも書いてないので念のため。
レビ記27:30の、「土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、
主のものである。それは聖なるものに属す。」を什一献金の根拠にしているのだろうが、
これは現代のような貨幣経済時代の話ではない。
今、農家の方が、自分の畑で取れたキャベツや白菜やナスやキュウリなどの全収穫量の
十分の一を教会に持って行ったら、教会は受け取るのだろうか?
(魚沼産コシヒカリを持っていったら喜んで受け取るかもしれないけど・・)
古代ユダヤ社会では、神殿に捧げられた穀物や果実などは、神殿の祭司とその家族の
生活の支えとなったほか、孤児や未亡人などに再分配され、それらの貧しい人たちの生活
の支えともなっていた。
本来は『お金』を献げるという話ではない、このレビ記の記述を、「時代が変わったのだから」
と言って、『お金』を献げる話に読み替えるのであれば、当然その集まったお金は、牧師と
その家族を養うほか、生活に困っている人たちの福祉に当てられなければならないはず。
それをしないのであれば、今度は牧師が神のものを盗んでいることになる。