07/02/15 16:25:52 g2Fa36gd
>>143
この世では肉体というある意味同一波長を有した衣をまとっておりますので、嫌いな人と会い、
愛する人と別れ、憎む者と顔を突き合せなければならない。そしてこれが苦しみを生みます。
この世では肉体を持っておりますので、仏教で言う生老病死、生きる苦しみ、肉体が老いる苦しみ、病気の苦しみ、死の苦しみがあります。
天界ではその肉体がありませんので、まず老いることがなく、病気もなく、死ぬこともなく、また好きな者とだけ会っていればいいので、
生きることが苦しみではなく、喜びとなります。あの世は各人の生命の奥に在りますから、これが人間生命の本質と言えます。
つまり生きることは、本来苦しみではなく、喜びなのです。もし苦しみの世界であると捉えている方がいますならば、
少なくともその方は本来のその方ではないと言い切れます。特に今回は神道の手口として心在る方ほど、「大峠」を見越して、
厳しい修行をわざとやらせておりますので、善人ほど苦しい修行をしています。
ただ本来は喜びの世界であり、これが各人の生命の本質であることは事実です。生老病死もなく、自己にとって快適な人間とだけ会い、
あの世にはお金がありませんから、金に関係する一切の苦楽はないわけです。
この世では想像しにくと思いますが、天界の世界とはそういった世界です。あなたが死後、帰る世界です。
しかもあなたがこの世に生まれる時、背中を叩いて励ましてくれた方の記憶もよみがえります。
そしてこの世界での生活が本来の生活です。肉体があるから自分と異なる人格性を有した人間とまみえ、
その自分とは異なる人格との邂逅が、自己を磨き、自己の生命の修行になっています。