GLA情報板「第五停泊港」at PSY
GLA情報板「第五停泊港」 - 暇つぶし2ch142:光の天使
07/02/15 16:20:27 g2Fa36gd
人間は何故、この苦しいこの世に、生まれてくるのか?

死後の生は無と断定する思想ほど人間生命を無価値にするものはありません。
死後の生があって、初めて人間生命は無限の価値を有した存在と言えるのです。
普段、すばらしいと思っている価値、優れていると思う感情、日々感じている良き心の動きは、
実は死後の生があるという事実が理解できますと、そこに無限の価値を感ずるようになります。

死イコール無の思想ほど実害的な思想はありません。これは全ての生命の価値を無にして、
人間を動物のように「えさ」だけを追うようないやしい存在におとしめる思想と言えます。
本当に事実として死が無であるならばいいませんが、明らかに事実と違うのです。

死が無であるならば人間は生まれてきません。生まれてくるのは死は無を意味していないからです。
死が無であるならば神の存在はありません。生まれてくるのは、人間は既に永遠の生命を内に有した存在だからです。
永遠のタイムの過程で、ほんの一時期、生命の修行のために肉体を持つということです。

もし死が無を意味するならば、何もするな。何をしてもそれは価値のないものとなる。
何をしてもそれは最後には無となり、無価値となり、ゼロとなる。死神は神に対して常に勝利することになるでしょう。
死が無であるならば、死は神に対して常勝将軍となり、神ですら死に勝利することはできない。




143:光の天使
07/02/15 16:23:13 g2Fa36gd
>>142
神が「よし」とするものの、その全ての価値と心が無価値となるからです。
神の存在は全ての「死」と「無価値」に対する常勝将軍であって、全てを無に帰すると思われる「死」ですら、神に勝利することはできない。
正義は常に死を超えます。死神は神に勝利することはできない。

あの世は「波長」の世界であり、「波長一致の世界」ですから、怨憎会苦や愛別離苦といった苦しみはありません。
恨み憎んでいる者と会う苦しみも好きな人と分かれる苦しみもないわけです。
波長が互いに合いませんから会うことができないわけです。
逆から言えば好きな者、相性の合う者とだけ常時、一緒にいられる世界です。ここに苦しみはありません。

肉体を去った世界の普遍的特長は「ラジオ」や「テレビ」の世界であり、生命は見たい番組の周波数やチャンネルを合わせる機能を
有していると同時に自分も生命波長として電波を常に発しているわけです。

この世でもある程度、似た者同士が集まるといった波長一致の原理が作用していると思います。
何かわからないけれども、相性の合うもの同士が何となく集まるといった関係があると思います。
この波長の原理は生命の中にもともと宿されている性質であり、あの世では肉体がありませんので、特にはっきりと出ます。




144:光の天使
07/02/15 16:25:52 g2Fa36gd
>>143
この世では肉体というある意味同一波長を有した衣をまとっておりますので、嫌いな人と会い、
愛する人と別れ、憎む者と顔を突き合せなければならない。そしてこれが苦しみを生みます。

この世では肉体を持っておりますので、仏教で言う生老病死、生きる苦しみ、肉体が老いる苦しみ、病気の苦しみ、死の苦しみがあります。
天界ではその肉体がありませんので、まず老いることがなく、病気もなく、死ぬこともなく、また好きな者とだけ会っていればいいので、
生きることが苦しみではなく、喜びとなります。あの世は各人の生命の奥に在りますから、これが人間生命の本質と言えます。

つまり生きることは、本来苦しみではなく、喜びなのです。もし苦しみの世界であると捉えている方がいますならば、
少なくともその方は本来のその方ではないと言い切れます。特に今回は神道の手口として心在る方ほど、「大峠」を見越して、
厳しい修行をわざとやらせておりますので、善人ほど苦しい修行をしています。

ただ本来は喜びの世界であり、これが各人の生命の本質であることは事実です。生老病死もなく、自己にとって快適な人間とだけ会い、
あの世にはお金がありませんから、金に関係する一切の苦楽はないわけです。
この世では想像しにくと思いますが、天界の世界とはそういった世界です。あなたが死後、帰る世界です。

しかもあなたがこの世に生まれる時、背中を叩いて励ましてくれた方の記憶もよみがえります。
そしてこの世界での生活が本来の生活です。肉体があるから自分と異なる人格性を有した人間とまみえ、
その自分とは異なる人格との邂逅が、自己を磨き、自己の生命の修行になっています。


145:光の天使
07/02/15 16:28:03 g2Fa36gd
>>144
肉体や物質は中間物であり、半分は相性の一致の原理で似た者同士が集まり、半分は異なる者と顔をあわせるという世界が
実現されています。人格の波長よりも低い物質的波長を創造することによって、この多様性の実現を表現しています。
この物質界がありませんと、神の世界における多様性とその偉大性は理解できません。
あの世では未熟な霊ほど異なる価値や人格との接触を嫌うからです。

ところがこの世では否応なく接触せざるを得ない世界となっています。これは物質界がなければあり得ないことです。
神の見地から見ますと、人類をかなり愛していることが読み取れます。苦しみといっても、たかだか7、80年です。

その一瞬の時間ぐらい努力して、多少苦労して生命を磨きなさい、ということだと思います。この世は道場であり
神の心を学ぶ少し厳しい学校ですから、自分の未熟や他との関係から色々と苦しみを作りますけれども、
神はかなり人類を愛していると思われます。

苦しみの原因は物質であり、自己の未熟です。肉体があるから生老病死があり、肉体があるから嫌いな者や
相性の合わない人と関係を持ち、顔を互いに突き合せなければならなくなります。しかもそれは一瞬です。

先はまだまだ長いわけですから、苦しみにのみとらわれますと、本末転倒となります。神の心は幸福が目的だからです。
私が神が偉大であると思うのは、老いることもなく、病気もなく、死ぬこともなく、好きな方とだけあって生きている喜びの世界である
天界の住人は、だから完全に成熟した人格をそれぞれが持っているから幸せなのかと言いますと、実はそうではないわけです。




146:光の天使
07/02/15 16:30:01 g2Fa36gd
>>145
少なくとも地球においては「この世」と同様、「あの世」では未熟な人達が多いけれども、天界では肉体を持っていないから生老病死がなく、
恨み、憎んでいる人間と会う必要がないから幸せなわけです。未熟な人類のくせに天界では一人残らず全てを幸福に生かしている点が
神の偉大性があらわれている点だと思っています。

それを決定づけている法則が波長一致の原理であり、肉体なしの悟りであり神の心なわけです。ただこの世では未熟が暴露される
世界ですから、やはり神の心には向かっていかなければならず、神理は幸福の早道と言えます。

あの世もこの世も未熟な人格体が地球では多いわけですが、天界では幸福、この世では腐敗で分かれています。条件は同一であり、
前提はあの世もこの世も未熟な人格が多いと言う点、同じなわけです。にも関わらず一方は幸福、他方のこの世は腐敗です。

何故か。もうお分かり頂けると思いますが、この世の人類全体の幸福を考える上で、あの世の霊天上界の仕組みやその構造の解明は
必須なのです。既に人類全体の幸福とその世界は各人の生命の奥で、既に実現されているわけです。つまり既に在るわけです。

神は天界で人類全体を、しかも一人残らずをどうやって幸福に生かしているのか。この世の幸福実現には、
実はあの世の解明と物質の意味、世界の仕組みや構造、並びにその世界で実現されている理法の探求なくして、ありえないのです。
そしてこれを知ることが神の心を知ることと言えます。

その心と世界に従って天界では一人残らずが幸福を実現しているからです。神が幸福であるゆえんです

この世がなければ本当の心、もっと言えば本当の自分、無限の自分を悟ることはできません。この世の生死は有限です。
苦しみは無限ではなく、有限がその本性です。無限に感ずるのは錯覚だと思います。どう考えても70年です。

あの世の生活は永遠です。頑張って頂きたいと思ってます。



147: ◆bYuDyLoLDI
07/02/15 17:55:54 K1JM3TqH
>>143
あの世に関する悟りは完璧ですね。
感心しました。
>>146
あの世の生活は永遠なのは、真実ですね。
人として生まれ出る事ができたということは、
永遠の時を生きる生命が約束されたともいうべきです。
あなたは、善なる宇宙意思とは対話されましたか?
私は、2004年8月11日に東京にて対話いたしました。
人の言葉では通じず、思いによりすべてが伝わる存在です。
あなたにも、その思いが伝わりますように。


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