07/03/19 01:56:17 WW2gbeNR
>何の宗教団体にも属さないけれど個人的に尊敬すべき方のブログを読んで
同感すべきご意見だったのでコピペします。
>信仰の名の下に、サリンを撒いた人達は、教祖を信じていたのでしょう。彼らと私の「信」の違いはなんなのでしょうか?
>それは、彼らは自分の「信」に対してチェックを怠っていたからだと思います。
>教祖や、または自分が信じているもの(人)の言動や行動をいつも監視していなくてはならないのです。
>自分の信じているもの(人)が、他人を非難仕始めたり、金儲けに走り始めたりしたら要注意です。
>また、私は組織作り、それを大きくしていくことだけに奔走している人達も要注意だと思う。
>なぜなら、組織は大きくなれば、なるほど腐っていくものだし、それを維持するが為に
>ほとんどのエネルギーを使うようになるからだ
>このチェック機能をいつも自分のなかで作動させておくことが、
>「人を信じる」ことと「狂信や盲信」とを分ける唯一の方法だとおもいますがいかがでしょうか?
立正佼成会の教えには良い部分もある。しかし上記にもあるように組織を維持するがために
エネルギーをかなり使っています。お導きという自分の修行とか他人に対して親切ごかしの
熱心な会員勧誘などがその典型です。特に末期がんで命が燃え尽きようとしている家族がいる人に
お導きをすれば治るから一人でも多くお導きをして来いなどという言動はもう常軌を逸しているとしか言えません。
上記で言うところのチェック機能を働かせるとやはりオウムとなんら変わらない救いようの無い
集団であると判断せざるを得ないです。
この団体のこういう行動を当たり前とかありがたいとか感じて日々すごしている信者さんは気の毒ですが
狂信や盲信をしている方たちというカテゴリーに属してしまうんだなぁと痛感します。