07/06/05 00:13:14
但し、これは男子を主として、男子の席に婦人が入ってきた場合の
ことを云々と述べたものであるが、壇下が婦人のために和すれば、
婦人が男子のために和するということも、まさしく同様に行われる
に違いない。婦人の会合に男子が入れば、自然と楽しく和やかな
雰囲気になり、男子の談笑が優しくて女性にとっての禁句に触れ
ることがなく、殺風景でない場合は、その一談一笑が耳目に快く
ないということはない。未だ談話笑語とまでは至らなくても、
その場にいるだけで南風が薫るごとく、女性の怒りを解くには
十分となるであろう。
901:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/05 00:20:56
男子が婦人を親愛することについては「女体には一種の薫りがある」
という説があり、これを天香と名づける人もいる。
生理上のことから論じても、婦人の体質は男子と異なるから、一種の
蒸発としてはそういうこともあるだろう。しかし、その蒸発の香気
ついてはさておくとしても、ただ一片の愛の心が女子の身辺の空気を
天香となすだけである。
婦人に天香があるならば、男子にもまた同様のものが存在することは
弁をまたずして明らかなことである。つまり、婦人が男子に接して
いまだに共に語ることもなく笑うこともないのに、まずその姿を
見るだけで南風が薫るかのような気持ちがするのは、男子の天香を
感じているということであるといえるだろう。
902:名無しさん@HOME
07/06/05 00:26:26
復活乙です。
URLリンク(sv2ch.baila6.jp)
ココのサイトで規制のチェックができるようなのでご活用ください。
903:名無しさん@HOME
07/06/05 09:16:34
いい言葉ですな、天香。フェロモン?
904:名無しさん@HOME
07/06/05 17:02:51
>>903
全く同じことをカキコしようと思いました
905:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/07 23:55:09
このように、人生において最も重要な関係は男女の間にある。
会えば和するし、離れればすぐにうまくいかなくなる。
その離合の自由、不自由から発生するところの利害は、一身一家に
関し、また社会一般に関して広大無辺に及ぶのだ。だから古来から
今にいたるまで、和漢東洋の学者たちが、この大切な問題に論及
したことがなく放置していたのは、学者の責任としてその罪を
免れることはできない。
906:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/11 01:04:58
男女がお互いに接してその情が和するということは、前の文章でその
大意を述べたが、今その反対にこの男女を別々にするとどうなるかと
いうことを考えたら、ますますその関係の重さに気づくであろうと
思う。
人類はさておくとして、獣についてこの男女の関係をみてみると、
前に述べたとおりその鳴きあうさまは和して、その戯れるさまは
楽しげなものであり、それが雄と雌の群れというものだ。
もし十百頭の犬の群れを二つに分け、雌は雌、雄は雄ばかりで
生活させたらどうなるであろうか。たとえ食物を十分に与えても、
その楽しまざるさまはもちろん、ときには吼えあってお互いを
傷つけることになるだろう。犬でさえそうなのだから、鶏でも
また同じことが起きる。牛や馬んも同じである。野馬が雄雌雑居
して群れをなすのは睦まじいが、家畜として雄の馬のみを一区内に
放した場合は、闘わないですむものはない。だから、その性情の
様子をよく見ることができるのである。
907:名無しさん@HOME
07/06/11 09:58:21
個人的には、繁殖期の鳥類の求愛行動って何とも微笑ましくて好きです
なんとか相手に気に入られようと必死で・・・
ややスレチでしたね、スマソ
908:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/13 11:48:47
牛、馬、鶏、犬から人類に至るまで、男女の間にはその性情の仕組みに
違いはないという事実を示してみたい。
封建の時代においての折助部屋、勤番小屋というのは、男子のみが
集まって住んでいたものである。その風俗が粗暴で言語挙動の
殺風景な様子は、往々にして見るにたえないものであることが多かった。
そこに住んでいた者たちの出処をたずねれば、諸藩地の領民と藩士
であった。彼らは郷里の家にいるときには必ずしも乱暴ではないの
だが、郷里を離れて都会にやってきて、純然たる男子の群れに入って
しまうと、たちまちその性が変化してしまった。ある者は博打をして
喧嘩し、ある者は酒に酔って激論争闘するなど、ほとんど人間交際の
潤いといったものからは程遠いものだった。その原因はほかでもなく、
単に男子ばかりで婦人が一人もいないと言わざるを得ない。
909:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/13 11:51:09
今日においても、相撲力士の部屋でその付き合いの殺風景なのも
その一例であるし、あの海陸軍人に限って特に法律が厳しいのは
その気質を制するために、やむを得ずのことなのである。
910:名無しさん@HOME
07/06/16 23:07:56
保守
911:名無しさん@HOME
07/06/18 10:07:09
保守
912:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/20 00:17:09 0
また、一個人について見れば、男子で年齢も相応、品行清潔だと称する
者が、日本古来の習慣においては婦人と談笑遊戯の交際をするのは
非常に稀なことであり、この高尚で清潔な交際から一歩下がれば
花街柳巷の不品行を犯すよりほかに情を慰める方法がないという。
それはさすがにあってはならぬこととして、進んで醜行を犯すまでも
ない人物は、鬱々とした気持ちを漏らす方法もなく、結局その逃げ道を
酒に求めて、ついには自分から健康を害するばかりではなく、
身を木石のようにして世間に背き、奇人変人と呼ばれるようになる
者も多い。
913:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/20 00:22:47 0
そのため、我が日本国の男子で結婚が遅かった者、または既婚者でも
ややもすれば花柳の醜行に陥る原因はさまざまでも、社会における
男女の高尚な交際が乏しいという点が大きな原因となっているものと
知っておくべきだろう。今の殺風景な世の中にいて、その品行を
清潔にして行動を恥じることがなく、しかもその精神の均衡を保つ
というのは、生まれつき心身が非常に剛毅である人物でなければ
とても無理なのである。
914:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/22 00:00:59 0
男性を女性から引き離すことの惨状がこのようであるならば、女性を
男性から引き離す害悪もまた同じようにならざるを得ない。
婦人が著しく群居していたものといえば、封建時代の諸侯の殿中が
あげられる。無数の婦女子を上下の別なく、これを一緒くたに「奥向き」
と称する区域内に閉じ込めて、一切の外出を禁ずるばかりでなく、
公用のほかは男子と言語を交えることも許されず、ましてや談笑遊戯
など堅い家法においては厳禁とされ、犯す者は罪がある、ひどい者に
なると一生男子の姿を遠目に見ることさえできない、といわれていた。
その外面は非常に行儀よくみえたが、その内実の言行にいたっては、
醜体厭うべきものが多い。
915:名無しさん@HOME
07/06/22 07:42:25 0
特に若いうちから男子校・女子校みたいに分けてしまうと
「男性と女性は別の生き物」みたいな感覚が大きくなると思う。
意識しすぎは良くないよね。
916:名無しさん@HOME
07/06/22 09:03:41 0
うん。
下手に分離?させると男女ともお互いに勝手な想像(妄想?)を膨らませがち
だと思うから『男女七歳にして(ry 』みたいな思想って危険な気がする。
917:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/22 16:04:17 0
他人の見えるところでは坐作進退も優美であるが、この美婦人らが
内に群を成して互いに遠慮のない状態になると、その一言一行は
思いもよらずみだらになる。たまたま男子が密かにこれを見聞き
したならば、蔭ながら赤面して思わず汗をかいてしまうようなこと
が多い。ただ日常の言行においてみだらであるばかりではなく、
その婦人の心は陰険獰猛で人をあわれむという情に乏しく、俗に
いわゆる人情知らずとも評すべきであろうか、自分でよく考えて
他人の喜憂を察するということは、この婦人たちに対しては
求めることは到底できなくなってしまう。
918:名無しさん@HOME
07/06/24 11:54:39 0
age
919:中上川彦次郎(諭吉の甥)
07/06/25 00:49:30 0
あの、一生奉公と称して若いときから殿中に仕え、殿中で成長して
殿中で老大した者を見ると、その気風には一種特別の変体が現れて
いる。優しいような、それでいて残忍なような、臆病なような、
果断なような、そばにいてもその喜怒哀楽を察することがとても
難しいのだ。
この種の老大処女が訳あって殿中を去り、一般人間社会に出てくる
ことがあるが、骨に徹するという習慣からは一生脱することができず、
家にいて世間との交際をまっとうして楽しむ者が少ないことは、
世の中の人も常に注目している事実である。
920:名無しさん@HOME
07/06/28 11:04:20 0
諭吉さん期待age