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1989年(昭和64年)1月4日、
監禁から41日目のこの日、午前6時半ころ、Aは徹夜マージャンで10万円ほど負け
ムシャクチャしていた。その腹いせとしてAは□子をその対象にした。
B、C、Dの3人は□子の火傷の臭いを嫌ってDの自宅でファミコンをしていた。
AはDの自宅に立ち寄り、3人を誘って、Cの自宅の2階に上がった。
小泉今日子の『なんてったってアイドル』という歌のリズムに合わせて、
□子は3人に次々と殴られて、鼻や口から血を流し、血だらけの状態になった。
ロウソクに火がつけられ、□子の顔にそのロウを垂らし、顔はロウだらけになった。
Dは自分の手に血がつくのを嫌がり、Aがシンナーを吸ったビニール袋を手に巻き、
□子の肩や足にパンチを浴びせた。やがて、□子は身体を硬直し、ブルブルと痙攣し始めた。
Aは1.7キロもある鉄球付きの鉄棒を持ち出すと、Dは□子の腹に落とした。
Aが暴力を振るうと、今度はB、C、Dが「ウケ」を狙って、
面白半分に暴力をエスカレートさせた。Aはリンチの途中で□子の死を意識した。
午前10時ころ、
リンチが終わった。Aは□子が逃げないように足をガムテープでぐるぐる巻きにすると、
4人はサウナに出掛けた。
翌5日朝、
死体の処理に困った少年たちは、死体を毛布に包み、旅行鞄に入れて車に乗せ、
近くの工場から盗んだドラム缶に鞄ごと入れてセメントを流し込んだ。セメントは、Aが以前、
タイル工として働いていた店に電話をかけて、セメントと砂利を調達して作ったものだった。