07/02/16 20:45:51 3uJI20NB
12月10日ころ、
□子は「家に帰りたい」と言い始めた。すると、Aが「家に帰ったら母親に何て言うんだよ」
と言うと、□子は「今まで新宿で遊んでいました」と答えた。それに対し、Aは
「新宿で、学生服のままそんなに長く遊んでいられるかよ」と言って、殴ったり蹴ったりの
暴行を加えた。さらに、火傷の跡にライターのジッポオイルをかけ火をつけた。
熱がって火を消そうとするのが面白いと何度も繰り返した。
12月中旬、
小便で布団が濡れたことを理由にBとCが殴った。果てしなく続く殴打によって
□子の顔面が無惨に腫れあがり、凸凹のない別人の顔になった。
「なんだお前、でけえ顔になったなあ」誰かが言うと、また笑い声がした。
暴行がエスカレートするのにともない、□子に与えられる食べ物もおざなりになっていった。
それは主にCの兄のG(当時17歳)の役目であったが、監禁当初は出前を取ることもあったのに、
12月末には、1日に牛乳を1本、たまにパン1枚与える程度になっていった。トイレにも行かせず、
飲料用紙コップに排尿させられるようになり、その尿を飲まされたりした。
□子は「なんでもするから家に帰して」と必死に哀願するが、全裸で踊らされたり、
自慰を強要され、さらに、直径3センチの鉄棒や「オロナミンC」のビンを陰部に挿入させられた。
Cの両親は異常な気配に気づいていた。両親はそれ以上追及すると、開き直られるのを恐れて、
2階の物音には耳を塞いでいた。
□子はリンチによる足の火傷が化膿して動けなくなった。全身は衰弱し、悪臭もひどくなった。
Aはその臭いが嫌だと言って、寄りつかなくなった。
少年たちはそんな状態になった□子を見て、持て余すようになっていた。
だが、解放すると警察に知らされる。いっそのこと、死んでくれればと願うようになる。
□子がいないところで次のような会話が交わされている。
「女は殺して埋めるのかな?」「殺すならミンチがいいですよ」「ドラム缶に入れて焼けばいい」
「コンクリート詰めにして海に棄てればバレない」
「自殺に見せかけて殺しますか? 富士の樹海で首吊りでもさせますか?」
お笑い半分、冗談半分、面白半分、暇つぶし、といった感じであった。